第17話 雪のかけら
患者が横になっている大部屋の前の廊下で、エルの前にしゃがみ込んだティアナが小さな声で囁く。
「じゃあ、どうかイザベルのことをお願いね、エル」
ティアナ達が北の森に行く間の二日間、イザベルを一人宿屋に置いておくことはできないので、イヴァン医師の長屋に連れてきていた。
「本当に、私は連れて行ってもらえないのでしょうか……」
不服そうに言うエルに、ティアナは苦笑を洩らす。
「アレは他の属性の魔を嫌うから、エルは来ない方がいいってジークベルトが言っていたわ……」
「私も何かお役にたちたいのです!」
ティアナは優しく微笑み、エルの頭をふわりと撫でる。
「だからエルにはイザベルのことをお願いするのよ。これはエルにしかお願いできないことだから」
「……わかりました。無事のご帰還をお待ちしています」
「ええ、行ってくるわ!」
長屋の外に出たティアナとエルの目の前、長屋街の開けた場所に立ったジークベルトはブツブツと詠唱をし、彼を中心とした巨大な魔方陣が浮かび上がる。そこだけ強い風が吹き荒れ、砂嵐に目をつぶり、再び開いた時――そこには巨大な白い鳥が地に足をつけていた。
ジークベルトから少し離れたところにいたイヴァンとザシャは目を瞬かせ、突然現れた白大鳥をみつめている。
『お呼びか、ジーク』
地を這うような声で白大鳥が喋る。
「ああ、すまないが少し足になってもらいたい、“フロッケ”」
『承知した』
そう言うとフロッケと呼ばれた白大鳥は、バサバサと広げていた大きな羽を折りたたみ、その場に小さく落ち着いた。
「これは……」
その様子を呆然と見ていた中で、初めに声を出したのはイヴァンだった。
「使役魔です。魔族だが、妖魔ではない。契約をしている者の言うことを必ず聞く忠義者で、襲ったりはしませんから安心してください、ザシャ殿」
前半をイヴァンに、後半を……足音を忍ばせその場から一人離れようとしていた後姿のザシャに言った。
話しかけられるとは思っていなかったのだろう、ザシャはびくりと肩を震わせ、振り返ったその顔にはぐっしょりと油汗が滴っていた。
「確かにこれに乗れば、歩いて往復四日の距離も二日で帰ってくることができそうだ……」
イヴァンは驚きと感心の声で頷いた。そんなイヴァンを横目に、ジークベルトはティアナに向き直る。
「では、行くぞティア、準備はいいか?」
「ええ」
ティアナは頷くと、ザシャに抱いていたエルを渡しイヴァンに深々と頭を下げた。
「それでは行ってきますので、エルとイザベルのこと、それから薬草のことをお願いします」
「大丈夫だ、こちらの事は任せなさい。そなた達はそなた達のなすことをしてくるのだ」
「はいっ!」
力強く頷いたティアナは、すでにフロッケの背中に跨ったジークベルトの腕に手を伸ばし、引き上げられる。ティアナが座ったか座らないかのうちに、フロッケはしまっていた大きな翼を広げ、数回羽ばたかせる。するとその場に風の渦が起こり、次の瞬間には、地上より遥か天上に飛び立っていた。
「行ってしまったな。無事に帰ってくんだぞ……」
独り言のように呟いたイヴァンは、パンパンっと手を叩く。
「手の空いているものはこっちに。さあ、これから一仕事するぞ!」
そう言って、長屋に足早に向かった。
※
雲の高さまで舞い上がったフロッケは、すごい勢いで北の森を目指して飛びはじめた。東の空に顔を出し始めたばかりの日の光がまぶしくて、ティアナは目をつぶって、掴んだジークベルトの服の裾を握り直した。
「ティア、俺たちが目指すのは北の森の最奥・北の魔森だ」
「魔森?」
「魔が好む、魔が巣食う森のこと。魔……つまりは、魔法使いや魔女が住んでいる、または住んでいた森のことだな」
「じゃあ、マグダレーナ様が住んでいたあの森も魔森?」
「ああ、そうだ。きっとティアが探している薬草は見つかるだろうが……魔森というだけあって、厄介な奴も出てくるだろう」
「厄介な奴?」
「下級の妖魔……または、たちの悪い魔法使いか……」
「でも、マグダレーナ様の森はそんなことなかったわ」
「レーナの森だからだ。レーナが魔森の均衡を守っていたからで、亡くなった今はエリクがそれを引き継いでいる。だが、今から行くところは秩序なんてない、危険な魔森だ。まあ心配するな。近寄ってくる魔は俺とフロッケに任せて、ティアナは薬草探しにだけ集中しろ。フロッケで街と森の往復に半日かかるとして……薬草探しのタイムリミットは明日の正午までだ、いいな?」
ジークベルトの背中にしがみついて話を聞いていたティアナは、こくりと頷く。
「わかったわ」
「いいか? 薬草探しに夢中になりすぎて、迷子になったり、時間を忘れるなよ」
そう言ってジークベルトがお得意のにやり顔で笑う。
「迷子にならない自信はあるわ」
ティアナも負けずに、自信満々の声で答える。
「薬草も、だいたい見つけられると思う。ただ……」
「ただ、なんだ?」
「雪のかけらという薬草が季節外れで見つからないかもしれないわ……」
ティアナは静かな声で言いよどむ。すると、地を這うようなフロッケの声が風の音と共に響いた。
『雪のかけらとは、冬に咲く小さな白い花のことか』
「ええ、フロッケ。正式な名前は雪実。雪のかけら――雪の結晶に似ているからそう呼んでるの。でも珍しい草で、しかも冬にしか咲かない花だから……」
ティアナはジークベルトの肩越しに顔を覗き込むと、振り向いたフロッケと視線が合った。
『それならば、どこかに咲いているだろう。魔森は季節の狂った場所がある。そこを探せば見つかるはずだ』
「ありがとう!」
予想外の情報を得て、ティアナは満面の笑みで頷く。ジークベルトもつられて頷き。
「雪のかけら……そういえばフロッケ、お前の名前の意味もそんなような、ふわふわだったか……」
『ジーク……正確には“ひらひらと舞う雪の結晶”という意味だ』
「ねえジーク、使役魔の名前の意味って、契約者以外に教えてはいけない決まりじゃなかったかしら? っていうか、その契約者のジークが覚えていないっていうのも問題だと思うけれど……」
「あ――?」
ジークベルトのとぼけた声に重なって、フロッケが言った。
『そうゆう決まりだ、が……“ティアナ”、あなたには教えてもいいかという気になっただけだ』
そう言ってふっと意味深に笑ったフロッケは、羽ばたかせていた羽をぴんっと広げて急降下し始めた。
『北の魔森はすぐそこだ』




