第10話 疫病の街 1
翌日、目覚めたイザベルは熱も下がり、咳を少しするだけで、だいぶ体調は良くなっていた。それでも大事をとってもう数日寝ているようにと言って、ティアナとジークベルトとエルは街に出かけた。
大通りをまっすぐ進み、鼻を利かせるジークベルト。
「昨日よりも、淀みが濃くなっている……」
眉根を寄せて、静かに呟く。エルを抱えたティアナも全神経を集中させるが、何もわからず、肩を落とした。
「私にはわからないわ……」
つられて、エルも鼻先をくんくんと利かせるが、何も違和感を感じない。
「あっちの方だ、風上に行ってみよう……」
そう言って歩き出したジークベルトに続き、大通りから小さな脇道へ、更に迷路のような細い脇道を幾度も曲がり進み、四棟の長屋が並ぶ東の長屋街に辿り着いた。ジークベルトは迷いのない歩調で進み、まっすぐ長屋の中央にある井戸に向かい、覗きこみ、更に眉間を険しくする。
「水が悪い。これはもしかしたら……」
顎に手を当てて考え込むジークベルトを、長屋から顔を出した人々がざわざわと囁き合って見つめている。
すると、老齢の女性一人と中年の男性一人が恐る恐る近づき、ジークベルト達に声をかけた。
「あのー、もしや、魔導師様でいらっしゃいますか?」
肩より少し長い艶やかな黒髪を無造作に背中に流し、水面の様な透き通った水色の瞳、きりっとした鼻と不遜な口元のジークベルトが振り返る。その長身にまとわりつくように羽織った漆黒の長いマントと腕にジャラジャラと無数に付けた魔法石の腕環が、何よりも彼が魔導師であることを語っていた。
なぜ声をかけられたのかを計りかねて、片眉を上げるジークベルト。
「ええ、そうですが……」
ジークベルトが頷くと、男が声を上げて縋りつくように前に進み出る。恐る恐る長屋から顔をのぞかせていた人々も歓喜の声を上げる。
「おお、魔導師様……やっと来て下さったのですね! ささっ、病人はこちらです、こちらですよ」
そう言って有無を言わさず、ジークベルトの腕をつかみ引きずっていく。
確かにジークベルトは魔導師だが、ここの人々に歓待される覚えはない。なぜ、皆、ジークベルトが来たことを喜ぶのかが分からなくて、ティアナとエルは顔を見合わせる。
「お伴の方も、どうぞこちらへ」
最初に話しかけてきた老婆がティアナに声をかけ、ジークベルトと中年の男がすでに中に消えた長屋へと入っていくので、ティアナもその後に続く。
入り口から中を覗くと、部屋にはぎっしりと布団が敷き詰められ、十数人が横たわっていた。一目見て、病と分かるのはその誰もがぐったりと横たわり、ある者は咳をし、ある者は耳の下が腫れ……とにかく、ただ事ではない雰囲気が漂っていた。
部屋に足を踏み入れようとした時、老婆に腕を掴まれ引き止められる。
「そのまま近づいてはいけません。お伴の方もこれをどうぞ」
そう言って渡されたのは、小さな葉をいくつも挟んだ細長い布だった。ティアナは片眉を上げて聞く。
「これは?」
聞かれた老婆は、渡したのと同じような布を鼻と口を覆うように顔にまきつけて言った。
「タイムの葉が挟まっています。病が移らないための対策ですので」
エルは瞠目し、老婆が部屋の奥に行ったのを確認して、ティアナに囁く。
「移る病……疫病なのか……」
「詳しく聞いてみないとわからないわ。でも、その可能性が高そうね……」
「私も奥に連れて行って下さい……」
そう言ったエルにティアナは頷いて、近くに置いてあった布を掴み、エルと自分の顔にまきつけて奥に進んだ。
先に部屋に入ったジークベルトに近寄ると、ジークベルトは老齢の男性と立って話していて、病人の寝ている部屋の更に奥の部屋へと一緒に入って行ったのでそれに続く。
その部屋は病人の寝ていた部屋よりも小さく、壁に作られた棚には本や瓶、箱がたくさん置いてある。老齢の男性は、部屋の中央に座り、その向かいにジークベルト、ティアナが座る。
「それで、あなた様が、王都から派遣された魔導師様ですか?」
「いえ、俺は旅をしていて偶然通りかかっただけなんです。そうしたら、有無を言わさず引きずられてここに」
「そうでしたか……これは失礼致しました。うちの若いもんが勘違いしたのでしょう。私はこの長屋に住む医師のイヴァンと申します。旅の魔導師様、もしよろしければ、王都からの魔導師様が来られるまで、私どもにお力を貸しては頂けないでしょうか?」
そう言ってイヴァンは深く頭を下げる。白髪の短く整えられた髪は、白い清潔な布きんで包まれ、服の上からも白い衣を纏い、医者と見るからに分かる格好をしている。ジークベルトは困惑した表情で尋ねる。
「俺には貸すほどの力はないが……詳しく話して下さい。一体ここでなにが起こったのですか? あの病人たちは……?」
※ 作中に出てくる薬名は架空のもので実在しません。