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短編

お父様!魅了が解けないお義兄様と結婚なんて無理です!

作者: 志熊みゅう
掲載日:2026/03/28

「新郎・レアンドル。あなたはここにいるアデライドを、病める時も、健やかなる時も、富める時も、貧しき時も、妻として愛し、敬い、慈しむことを誓いますか?」


「はい。」


「……誓いますか?新婦・アデライド。」


「はい。」


 国一番のチャペルは荘厳で、賓客には王族も連なる。長いトレーンが印象的なウェディングドレスはオートクチュール、左手の薬指には、ひと際大きなダイヤモンドが輝いていた。艶やかな黒髪をアップにまとめて、それをベールで覆う。――まさに人生最良の日。


 それでも、主役であるはずの私・アデライドは金色の瞳で祭壇を見据え、その表情を曇らせていた。


 誓いのキスは軽く唇と唇が合わさるだけ。すぐにその視線は逸らされた。――やはりと思ったが、この件に関しては新郎のレアンドルも被害者だ。



***

 私はメルシエ公爵家の一人娘である。しかし八歳の時に同い年の第一王子セレスタンの婚約者に選ばれたため、遠縁のレアンドルが我が家の跡取りとして引き取られた。レアンドルがメルシエ公爵家に来たのは、私が十歳の時。五歳年上のレアンドルは、茶色の髪に青い瞳で、優しそうに微笑んでくれた。レアンドルは良き義兄だった。博識で紳士的で。一人っ子で兄弟に憧れていた私はすぐに彼に懐いた。


 そんな私の人生の歯車が狂いだしたのは、貴族学園に入学した頃だった。私たちは、前代未聞の『魅了』事件に巻き込まれた。庶子として男爵家に引き取られたイザベルは学期の途中で学園に編入してきた。そして次々と高位貴族の令息に声をかけ、籠絡していった。なんと第一王子セレスタン殿下までも、彼女の毒牙にかかった。


 この異様な状況を収拾させるために、当時宰相補佐官をしていた義兄・レアンドルが教師として派遣された。しかし、いつの間にか彼も彼女を取り巻く一人になってしまった。


 最終的に、王家の影である女性諜報員が、イザベルが『魅了の瞳』を持つことを突き止めた。彼女が見つめた人物は、王子であろうが、平民だろうが、彼女に『魅了』されるのだ。


 この体質のことを彼女の父、オベール男爵は知っていた。隣国の少数民族、シャルム族に伝わる『魅了の瞳』。――彼自身もまた、かつてこの瞳に『魅了』された一人だった。


 ただイザベルの魅了は、その母の力よりはるかに強力だった。善良なオベール男爵はまさか娘が自分の力を悪用するとは思わなかった。良い縁談があればと軽い気持ちで彼女を学園に寄こしたところ、王国始まって以来の悲劇を生んだ。王の逆鱗に触れたイザベルとオベール男爵は内乱罪に問われ、公開処刑された。


 彼女が死んでも、一度『魅了』に壊された人間はなかなか元には戻らない。イザベルが一番に気に入っていたセレスタン殿下は特に深く『魅了』に侵食されていた。そして、イザベルが公開処刑された後は気が狂ったようになった。それでも、王はその回復を待った。


 半年が過ぎ、少しセレスタン殿下の容態が落ち着いていると聞いて、私は王妃様に連れられて、セレスタン殿下のお見舞いに行った。彼は憎々しげに私を睨み、近くにあった花瓶を投げてこう言った。


「このゴキブリ令嬢が!お前を愛することはない!!汚らわしい!二度と近寄るな。」


 私の黒髪をそんな風に言われたのは初めてだった。恐怖とショックで震えていると、王妃様が私を部屋から連れ出してくれた。――私はただ誠心誠意、セレスタン殿下をお支えしようと思っていた。妃教育だって頑張った。そんな私を殿下だって好ましく思っていたはずだ。


 この一件が最後の決め手になり、セレスタン殿下は正式に廃嫡になり、私との婚約も破棄された。今は空気がきれいな土地にある王家の別荘で静養されていると聞く。


 『魅了』でおかしくなったのはセレスタン殿下だけではない。この国は、実に多くの将来有望な若者を失った。騎士団長の息子はイザベルの仇を討とうと城内に押し入り、捕縛された。天才魔術師と謳われた平民の特待生は後を追って自死した。


 義兄・レアンドルも初めの頃は辛そうにしていた。彼は当時の婚約者であった侯爵令嬢とも婚約破棄した。だが義兄は有能な人だ。事件の後も仕事は今まで通りこなしていると聞く。けれど婚約破棄の後、新たな縁談が組まれることはなかった。


 困ったのは我が父・メルシエ公爵だった。義兄は縁談を断るし、私の良い嫁ぎ先も国内に残っていなかった。ある日、父が意を決したように告げた。


「お前も今年で二十五だ、アデライド。――世間でいうところの行き遅れだ。」


「そうですね。お父様、貴族令嬢としての役割が果たせず、申し訳ありません。もし私がメルシエ家のご迷惑になっているというなら、進んで神の道に入ります。」


「かわいい一人娘が迷惑なんてことがあるか!それにお前はデルフィーヌの忘れ形見だ。早まるな。私に考えがある。」


 デルフィーヌとは私の母だ。もともと身体が強くなかった母は、私を産んでから伏せがちになった。そして私が十二歳の時にとうとう流行病で亡くなった。そういえばあの時、忙しい父に代わって、レアンドルが兄として私に寄り添ってくれた。


 父の提案は、まさかのその義兄・レアンドルを私の婿にとることだった。確かに私の嫁入り先を探すのは難しいが、婿を取るならと、私も考えたことがあった。我が家は国内有数の名家。婿入り希望の貴族の次男坊、三男坊からすればかなり優良物件だ。


 しかし父のレアンドルへの期待は大きい。我が領のこと、政略のこと、跡継ぎとして十分すぎるほどの教育を施した。レアンドル本人も王宮に文官として勤めながら、コネクション作りに励んでいる。この人物を今さら手放すのは、当家としては惜しすぎるというのも分かる。それに兄妹と言っても、義兄は養子。血のつながりは薄い。一度、義兄を元の家に戻せば、婿にとるのも書類上問題はない。


「お父様、しかし!」


 レアンドルは他の令息と違って、『魅了』の影響は薄いとは言え、あの事件以降、婚約者を置いていない。恋人がいるなんて話も聞いていない。あれからもう十年近く経つというのに。


「レアンドルは『魅了』の影響でお前と子を成すことができないかもしれない。それは十二分に分かっている。」


「……ならどうして?」


「我が家の跡取りは、お前と血縁関係があればいい。お前から生まれてくる子であれば、どんな子でもいいんだ。――言いたいことは分かるね?アデライド、私のかわいい娘。」


「……はい。」


 父にとっても苦渋の提案だったのだろう。こんなに辛そうに私に何かを告げる父を今まで見たことがない。ただ愛する娘を守るため、この公爵家を守るため、そうするしかなかったのだ。


 でも私はどこかでレアンドルがこの話を拒否すると思っていた。しかし彼は思いのほかすんなりと受け入れた。レアンドルは賢い人だ。彼自身もこれが潮時だと思ったのかもしれない。



***

 空虚な式を終え、気まずい初夜を迎えた。"夫"はこの寝室にやってくるのだろうか。私はわずかな可能性にかけて、ネグリジェに身を包み、ベッドに腰をかけ、彼の訪れを待った。


「アデライド……、少し話をしてもいいでしょうか。」


 レアンドルだ。ネグリジェ姿の私に驚いたのか、ドアの前から動かない。


「お話とは……。」


「――君と私は十五年間、兄妹として育てられ、生きてきました。」


「はい。」


「ですから、君といきなり夫婦という関係になるのは……難しいと思います。」


「何をおっしゃりたいのですか?」


「つまり、その……しばらくは今まで通り、寝室を別にしようと思うのですが、どう思いますか?」


 ああ、やっぱり。想定の範囲内だ。でもセレスタン殿下の時のように激しく罵られるよりはマシだと思った。


「そうですか。分かりました。侍女たちには私から伝えておきます。」


「ありがとう、アデライド。」


 レアンドルは私に近づくこともなく、部屋を後にした。父と母は政略結婚でも互いを愛し合った夫婦だった。だから私もそんな結婚生活を夢見ていた。気持ちが無くても、互いの歩み寄りでどうにかできないものかと思ったが、レアンドルとは難しいようだ。彼に託したほんの少しの期待も無残に崩れ去った。私はベッドの中で泣いた。


 ――そして『プランB』に移ることを決意した。


 朝になり部屋に専属侍女のクラリスがやってきた。彼女は全てを悟ったように私に言った。


「……駄目だったんですね。お嬢様、目が腫れていますよ。」


「仕方ないわ。魅了の後遺症がなければ、レアンドル義兄様だって、とっくに結婚していたでしょう。全て分かっていたことよ。」


「そうですね。それでお嬢様、本当にあれをやるんですか?」


 クラリスが訝しむように言った。


「仕方ないわ。お父様もできればうちの血統を残したいとお考えだし。仕方ないわ。それでクラリス、頼んでおいたものは用意できた?」


「ええ。お嬢様、こちらです。」


 私が彼女に頼んでいたもの。それは愛人候補のリストだ。跡取りの父親になるのだ。父の言葉通り、誰でもいいなんて訳がない。健康で優秀、でもそれなりに遊び人で、一夜のお相手に執着しない方。


「ラ・トゥール伯爵、デルピエール侯爵、アンドレ子爵……ね。確かに、社交界きっての貴公子たちだわ。」


「私のおすすめはアンドレ子爵ですかね。博愛主義者で一人の女性に執着しない、それでいて妻との関係性も良好。彼の手腕で長らく赤字だった領の財政も立て直しています。そして、この容姿!女性なら一度は憧れる、ザ・王子様です。」


 クラリスが彼の絵姿を指さす。長い金髪を後ろで結い、青い瞳は曇りのない空のよう。優しくこちらに微笑みかけている。


 ――王子様か。ふと窓ガラスに映った私の姿が目に入る。ストレートロングの黒髪、金色の瞳。家族や使用人の皆は褒めてくれるけど、かつて本物の王子様にゴキブリと罵られたトラウマがフラッシュバックする。


「クラリス。どうしたら、その王子様がゴキブリ令嬢に振り向いてくれると思う?一夜で子を成すとも限らないし。複数回の逢瀬が必要なのよ。」


 クラリスはすぐに自分がとんでもない失言したことに気づいたようで、目を見開いて、震えている。私だからいいものの、何かあるとすぐに顔に出るのは彼女の良くないところだ。


「すみません!お嬢様!今のは完全な失言でした。」


「別にいいの。嫌味じゃないわ。でも本当に愛人の作り方が分からないの。そもそも年増で醜い私を好いてくれる殿方なんているのかしら。」


「いくらなんでもお嬢様は自分を卑下しすぎです!あれはセレスタン王子が病んでいただけです。お嬢様のお姿は一度見たら、どんな殿方でも心を奪われるほど、お美しいです。」


「お世辞はいいわ、クラリス。結婚の申し出が一通も来なかった時点で、ちゃんと分かっているから。」


「で、ですが。」


 私はふーっと溜息をつく。


「そ、そうだ!アンドレ子爵は仮面舞踏会によく顔を出すと伺いました。お嬢様も仮面舞踏会に出席なさったら、どうでしょう?せっかくの美しいお顔を仮面で隠すのはもったいないですが、お互い顔を見ずに、相手と関係を持つことができますよ。」


「仮面舞踏会か……。」


 このリストにある殿方に出会えなくても、会場で出会う人々の身分は保証されている。容姿に自信が持てない自分が愛人を探すには最適の場だと思った。


「分かったわ、クラリス。私、仮面舞踏会に出るわ。」


「お嬢様、このクラリスにお任せください。早速選りすぐりの会の招待状を集めますね。」


***

 初夜の後も、レアンドルとの関係性は変わらずだ。今まで通り"兄"として私に接してくれるが、この人は"夫"ではない。しかしレアンドルを責めるのは酷だ。彼はこの家のために、十分尽力してくれている。私は『プランB』を淡々と進めていた。手元に集まった仮面舞踏会の招待状を眺める。


「お嬢様、そちらの会はバルゲリー伯爵が主催で若い方が多めですね。初めて参加されるには適しているかと。」


「良さそうね。初戦はこちらにします。」


 さすがの私も、父と同じ年代の好色爺に囲まれたくはない。参加者の人数も程よいと思った。


「そういえば、舞踏会用のドレスはそろそろかしら?」


「ええ、今日の午後には仕立て屋が来ます。」


「ありがとう。クラリス。」


 午後は仮面舞踏会用に仕立てた黒いドレスを試着する。普段着ているものと趣向が違うが、これはクラリスの発案だ。


「名付けて『人肌恋しい未亡人作戦』です!仮面の上からモーニングベールをかければ、お嬢様の金色の瞳に気づかれないのではないかと思いました。」


 ドレスは未亡人らしく、首元が詰まっている。私の金色の瞳は『メルシエ家の秘宝』と呼ばれる当家固有のものでよく目立つ。仮面舞踏会用の仮面は、瞳の色まで隠せない。モーニングベールはよく考えたなと思った。


「未亡人の愁いを帯びて、ほっとけない雰囲気が漂っています。胸元のレースもセクシーです。これなら、男性に話しかけるのが苦手なお嬢様でも、向こうから声をかけてもらえるはずです。」


「クラリス、そんなにうまくいくとは思えないんだけど。」


 私の不安は見事的中した。いくつかの仮面舞踏会に出席し、その中で愛人候補たちも見かけたが、彼ら周りには常に人だかりがあって、近づくことすらままならない。さらに真っ黒なドレスは暗い会場に溶け込み、あまりに目立たない。


「今日の会は、愛人候補は来ていないか。」


 この日、私は誰からも声をかけられず、会場の隅に佇んでいた。私は王子の元婚約者だ。普通のパーティーでも、少し浮いている。だから壁の花だって慣れている。でも自分が無価値だと言われている気がして辛かった。


 意気消沈して屋敷に戻ると、こっそり出てきたクラリスが出迎えてくれた。


「で、どうでした?」


「どうもこうも収穫なしよ。」


「そうですか……。『人肌恋しい未亡人作戦』うまくいかないですかぁ。」


「そうね。なかなか難しいわね。」


「作戦変更です!ドレスの色を変えましょう。瞳の色も仮面に少し細工をすれば違う色に見えるはずです。今度は夫とうまくいっていない『人肌恋しいお飾り妻作戦』で行きます。」


「クラリス、それ本当にうまくいくの?」


「お任せください!!」


 クラリスは威勢だけはよい。私は泥船に乗ったと思ってあまり期待しないことにした。


 どうやらクラリスの言う『人肌恋しいお飾り妻作戦』は夫に放置された妻のイメージらしい。作戦も何も今の私そのものじゃないかと思ったけれど、あえて突っ込まないことにした。落ち着いたバーガンディーのドレスに、彼女が細工した仮面をつける。


「目のところに青い色ガラスを入れているので、お嬢様の瞳が緑色に見えるはずです。会場は暗いので、色ガラスが入っていることに気づく人は、まずいないんじゃないでしょうか。」


 確かに、未亡人作戦よりは上手くいきそうである。今度こそはと思った。


「では、お嬢様!行ってらっしゃいませ。」


「クラリス、声が大きいわよ。あまり大っぴらにはできないんだから。」


「ごめんなさい。でも楽しんできてくださいね。」


「ええ、頑張るわ。」


 今夜の会場は元々王家の別邸だった由緒正しい建物だ。武功をあげた先代のラ・トゥール伯爵に下賜されたと聞いている。そう、今宵の仮面舞踏会の主催者は、愛人候補のラ・トゥール伯爵だ。


「やっぱりこういう会でもホストはお暇じゃないわよね。」


 会場に着いて、すぐにラ・トゥール伯爵を見つけた。派手な銀髪だからよく目立つ。様子を伺うが、いつも誰かと話していてせわしない。ターゲットを変えようと、会場を見渡すと、既に人の輪がところどころにできており、後からその輪に入っていくのも難しく思えた。


「はぁ~、この作戦も失敗じゃないかしら。」


 溜息をついていると、男性に声をかけられた。色ガラス越しでも分かる、美しい金髪と青い瞳の紳士だ。


「これはこれは。溜息は運が逃げますぞ、美しい夜の蝶。お初にお目にかかります。私のことはどうか、ジルとお呼びください。」


 この金髪、見覚えがある。顔の上半分が仮面で隠れていても、アンドレ子爵と分かった。クラリスに見せられた絵姿そのままだ。私は少し食い気味に答えた。


「私のことはどうか"デルフィ"とお呼びください。」


 デルフィは母の愛称だが、母の名は私のミドルネームでもある。ちょうどいい偽名だ。アンドレ子爵はとても気さくで話しやすかった。ついつい、自分のことも話し過ぎてしまった。


「あの魅了事件で婚約破棄とは大変でしたね。」


「今は吹っ切れましたわ。」


「それにしても、その殿方も惜しいことをした。こんな美しく聡明な姫君を手放すなんて。」


「初めて言われましたわ!今の夫とは政略結婚ですが、美しいとも、愛しているとも言ってくださらないの。」


「なんと!つくづく男運がない。もし私があなたの婚約者や夫なら、毎日愛をささやき、決して手放さないというのに。」


 なにが手放さないだ。来るもの拒まず、去るものを追わず、彼の社交界での通り名が『金髪の博愛主義者』であることは既に耳に入っている。話半分に聞いていると、彼が腰に手を回して、私を抱き寄せた。


「デルフィ、あなたともっと深くお話をしたい。休憩室に行きませんか?」


 よし!来た!待ちに待った夜のお誘いだ。遂に作戦成功。心の中でガッツポーズをする。


「ええ。エスコートしてくださる?」


 彼に身を寄せようとした時だった。思いっきり手を引かれ、引きはがされた。そして、背後でドスの効いた低い声が響いた。


「――アンドレ子爵、私の女に手を出さないでもらえるか。」


 仮面にはめられた色ガラスのせいで色味がよく分からないが、暗い髪色の男性が仁王立ちしている。アンドレ子爵はびっくりした様子で、人混みに消えていった。


「どなたです?どうして私の邪魔をされるの!?」


 文句を言うと、彼にさっと抱きかかえられた。そのまま部屋の外に連れ出された。


「下ろしてください!離してください!」


 男は前を向いていて、仮面の下の顔をうまく覗き込むことができない。


「暴れるなんて、はしたないです。それに仮面舞踏会での偽名に、よりによって母の名前を使うとは。天国のデルフィーヌ様も怒ってらっしゃいますよ。」


「……え?」


 その時、私の仮面がずり落ちた。仮面を外して見上げると、男は見覚えのある髪色をしていた。


「レアンドル義兄様?!」


「ああ、そうです。君の夫のレアンドルです。君は大きな思い違いをしています。だから私たちはきちんと話し合わないといけない。」


「勘違い?とにかく下ろしてください!レアンドル義兄様!」


 訴えもむなしく、私はそのまま会場外のガゼボまで運ばれた。私をベンチに下ろすと、レアンドルも、仮面を外した。


「ここなら、誰も来ないでしょう。まずあの男、アンドレ子爵は詐欺師です。ああやって、夜会で貴婦人をたらし込んで、多額の融資をさせるんです。捜査も進んでいるので、あと少しで逮捕されるでしょう。――君は跡取りの父親に犯罪者をお望みなんですか?」


「えぇ、そんな……。アンドレ子爵が詐欺師だなんて!」


「あと愛人候補でしたっけ?あのリストにあった貴族たちは、叩けば埃が出る怪しい人物ばかりです。とにかく、金輪際こんな危ない真似やめてください。」


「どうして、そのリストのことをレアンドル義兄様が知っているのです!?」


「養子や入り婿という弱い立場にあっても、十五年もいれば協力してくれる使用人もいるということです。そう、君にとってのクラリスのように。」


 クラリスはいい子だが少し軽率だ。きっと誰かにこの作戦のことを相談したのだろう。


「でも、これはあなたのせいでもあるんです、レアンドル義兄様。我がメルシエ公爵家には跡取りが必要なのです。あなたにその気がないなら、外に愛人を設けるのもやむなしと、お父様も認めてくださっています。」


 レアンドルが大きな溜息をついた。ほら事実だろう。初夜を放棄して、何か反論はあるのか?


「――その気がないなんて、いつ私が言いました?」


「だって初夜に、寝室を別々にしようとおっしゃったじゃないですか?」


「それを勘違いだと言っているのです。あれは、君の感情を慮って言ったんです。長く兄としてみていた男性を夫として受け入れるまで、時間がかかると思って。ほら、君は今だって私を"義兄様"と呼んでいる。」


 はっとした。私は結婚してからも彼を"レアンドル義兄様"と呼んでいた。


「では、レアンドル様。誓いのキスが軽く触れるだけだったのも、私を慮ってのことですか?」


「そうです。あと"様"もいらないです。」


「レ、レアンドル。」


 いきなり呼び名を変えるのは少し抵抗がある。どもってしまった。


「――『魅了』の後遺症はもう大丈夫なのですか?」


 とにもかくにも一番気になることを聞いてみることにした。


「『魅了』ってイザベル嬢のですか?私は軽症だったので、とっくに抜けています。」


「えっ?では、どうして今までご結婚なさらなかったのですか?そうしたら、義妹と結婚なんて話にならなかったのに。」


 レアンドルはうつむいた。彼を覗き込むと、頬が真っ赤に染まっていた。


「……全部お話しますが、私はもう君の夫です。逃げ出そうなんて思わないでくださいね。」


 一体、何を話すつもりなの?!私はごくりと唾を飲み込んだ。


「私の生家は貧乏子爵家で、私は末っ子でした。必要なものは全てお古、何か目立つことをするたびに、兄たちに生意気だといじめられました。そんな私を見出してくれたのが、メルシエ公爵と故・デルフィーヌ夫人です。」


 ん?身の上話が始まった?とりあえず話の腰を折るのも申し訳ないので、相槌を打つ。


「忘れもしない。君と初めて出会ったのは、私が十五の時、メルシエ公爵家に引き取られてきた日でした。私はこの世にこんな美しいものがあるのかと感動したんです。でも同時に絶望した。当時まだ十歳だった君を好きになってしまったこと、そして第一王子の婚約者であり義妹である君とは永遠に結ばれないことを。」


「レアンドルが私に一目惚れをした?!」


「私の気持ちはそんなちんけな言葉で済ませられるものじゃないです!君の存在、その全てが私を魅了してやまないのです。」


「そ、そうでしたのね。」


 ずっと義兄だと思っていた人に、そんな感情を向けられていたとは。内心とても驚いた。でも妻として彼の話を聞かないといけないと思った。


「当時はだいぶ自分を責めました。頭がおかしくなったんじゃないか、自分は病気なんじゃないかとも思いました。だけど、胸の内に秘めておく分には、誰にも迷惑をかけない。だから君に対して良き兄として振る舞い、メルシエ公爵に言われた通り、侯爵家の令嬢と婚約しました。」


「……全然気づきませんでした。確かに『魅了』されたレアンドルは少し冷たかったような。」


「イザベル嬢の『魅了』事件は、君が王子との関係で疲弊していると聞いて、力になりたくて自ら学園行きを志願したんです。なのにミイラ取りがミイラになるなんて……面目ないです。」


「そうだったんですね。」


「あの時は私も君以外の女性を愛することができたんだと知って、少しほっとしたんですが、『魅了』が解けた途端、今まで以上に君のことで頭がいっぱいになりました。君が他の誰かの物になるなんて絶対に許せない。――そして、もし私も君も縁談がうまくいかなければ、最終的にメルシエ公爵は家のために、私たちを結婚させると思いました。」


 見慣れた義兄の優しそうな笑みはそこにはなかった。少し寒気がしてきた。


「まずは君の婚約が、第一王子の奇行によって破棄されました。だから、私も当時の婚約者に別れを告げました。魅了の後遺症が抜けないから、君を愛することができない、と。でも彼女は薄々気づいていたようです。別れ際に、あなたの熱い眼差しは常に義妹さんに向けられていた、魅了は言い訳でしょうと言われました。」


「レアンドルが私に熱い眼差し……?」


 それって、他人にも分かるくらいってこと?もしかして私は少し鈍感なのだろうか?


「……あと実は、君への縁談はあるにはあったのですが、全て未然に潰させて頂きました。」


 少し言いづらそうにレアンドルが言う。もう何かを隠すつもりはないのだろう。


「ちょっと!それで、私がどれだけ悩んだと思ったんですか!」 


「しかし、支援金目当ての縁談や、老齢貴族の後妻、他国王族の第三妃など、アデライドが嫁いでから苦労しそうな縁談ばかりだったのも、また事実です。ただそのことで、君が自信を失ってしまったことは誤算でした。本当に申し訳なく思っています。君は誰よりも気高く美しいというのに。」


 レアンドルは申し訳なさそうにそう告げると、恍惚とした眼差しで私を見つめた。先程の言葉に嘘偽りがないことはよく分かった。


「私にはこうするしかなかったんです。――でもやっと君を手に入れたのに、私の配慮が君をおかしな方向に暴走させるとは……。もっと君に愛を伝えていくべきだったんですね。」


 言い終わらないうちに、レアンドルは私を自分の膝の上に乗せ、私の黒髪をなでた。


「ええっ!レアンドル?あなたの気持ちは分かったけれど、私の気持ちはまだ整理できていないです。」


「本当にきれいな髪、美しい瞳。アデライド、あなたのことが大好きです。初めて会った時からずっと。君のそのちょっと不器用ですぐ暴走するところも全部愛しています。でも、君を待つとろくなことにならないと今回学びました。これから誓いのキスをやり直します。そうだ、初夜もやり直しましょう。毎日、愛をささやきます。」


 レアンドルの膝の上で、抱き寄せられて、そのまま彼と深い口づけを交わした。結婚式の時の軽く触れあうキスではなくて、大人の甘い甘いキスだった。


「――ごめん、嫌だった?だけどね、私は十五年待った。もう無理だ。抑えられない。」


 切なげにレアンドルが確認する。愛を乞う男は、妻である私をすがるように見つめた。


「ううん、嫌じゃないわ。突然だから戸惑っていますけど。」


 ためらいはあったけど、私だけを映すレアンドルの青い瞳に胸が高鳴る。こんな風に誰かに求められることを、心のどこかでずっと夢見ていたのかもしれない。この世に私をこんなにも愛してくれる人がいたことを素直にうれしく思った。


「両親のような愛のある夫婦関係にずっと憧れておりました。――レアンドル、あなたを好きになってもいいですか?」


「もちろんです、アデライド。」


 そのままレアンドルに優しく抱きかかえられて、自邸に帰った。私たちはその晩、遂に本当の夫婦になった。



***

 この日以降、レアンドルは屋敷内で私を見かける度に、抱きしめて愛の言葉をささやくようになった。だけど、たまに私が間違って「義兄様」と呼ぶと、罰だと言ってキスさせられるのには参った。


 私たちの変化に使用人たちも驚きを隠せないようで、クラリスに「お嬢様、まさか魅了を発現したんですか?」とまで言われた。でもレアンドルの愛情表現は、かつて"ゴキブリ"と言われて大きく傷つけられた私の自尊心を少しずつ埋めてくれた。


 そして今日は、レアンドルに大事な報告がある。まだかまだかと彼の帰りを待っていた。


「レアンドル、お帰りなさい。」


「アデライド、ただいま。遅くなってすまない。決算の時期は忙しくてね。」


 ただいまの口づけを済ませると、私はおもむろにお腹をさすった。


「愛しているよ、アデライド。今日は一段と笑顔が輝いているね。何かいいことがあったのかい?」


「ふふふ。あなたは何でもお見通しなのね。――実は私、赤ちゃんができたの!もちろん、あなたの子よ。」


「……!本当に?夢みたいだ。こんなに私は幸せでいいのかな?子爵家の末弟だったのに、公爵様に見出してもらって、大好きな君と結婚して、子宝にも恵まれるなんて。」


「あら、あなた泣いているんですか?」


「本当に愛してる、一生大事にする。アデライド。」


 ずっと近くにいてくれたのに、ずっと気づかなくて、でもこんなに大事にしてくれて。彼との日々が永遠に続けばいいと思った。

最後まで読んで頂きありがとうございます。

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嘘告されたので、理想の恋人を演じてみました 魔眼持ちの侯爵令嬢、騎士科の彼に告白され、本物の恋を知る


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― 新着の感想 ―
すれ違いからのハッピーエンドは大好物です( *´艸) アデライドの妊娠おめでとうございます! 面白い作品をありがとうございました!!
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