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変なことが起きている

もう治りました

作者: 70369工房
掲載日:2026/01/31

私は風呂が大好きだ。

ゆったりと湯船につかり、一日の出来事を振り返る。

それだけで、その日あった嫌なことを忘れられるからだ。


その日も、早くから温泉施設に出かけ、ひとりでお湯を楽しんでいた。

濁り湯もあったが、その日は少し茶褐色の、透明度の高いお湯だ。

後から何人か入ってきたが、不慣れなのか、戸惑い気味に入ってくる人もいたようだった。

私も最初はそうだったな、と思いながら水面に目を落とす。

すると、湯船の中にはだれもいないはずなのに、その水面が、ちら、と揺れた。

なんだろう、と見つめていると、黒い髪の毛が浮かび、徐々に顔らしきものが浮かび上がってきた。


動くこともできず、その顔を見つめる。

にやけた笑いが張り付いた、男の顔だった。


心臓は早鐘を打ち、頭の中に警鐘が鳴り響く。

ありったけの力を振り絞り、勢いよく立ち上がった。

周りの人は驚いたような顔でこちらを見ていた。


もう二度と、あの温泉施設にはいかない。


幽霊でも出る温泉施設なのかと、ネットを検索してみたりもしたが、そんな噂はついぞ聞かなかった。


風呂好きではあるが、仕事がある日は大抵シャワーで済ませている。

湯船を洗うのも大変だし、その分早く寝たいと思っているからだ。


休みの前の日、湯船のお湯をためる。

お気に入りの入浴剤を入れ、キャンドルなんかを点けてゆっくり入ることもある。

その日も濁り湯の入浴剤を入れ、ゆっくりと湯船に体を沈めた。


しばらくお湯を楽しんでいると、ゆらり、と水面が揺れた。

あれ、動いたっけ?

嫌な予感を抑えつつ、水面を見つめる。


黒い髪の毛。


――あの温泉施設から、ついて来てしまったのか。


心臓は早鐘を打つが、おかしなあきらめの感覚も混ざっている。


顔全体が濁ったお湯に揺らいでいる。


ゆっくりと体を持ち上げ、そのまま湯船の外に足をつく。

ずっと見ていたはずなのに、その時にはもう顔は見えなくなっていた。


霊に取りつかれてしまったのかもしれない。


そう思った私は、次の日にお祓いに行くことにした。

幸い、近所にある大きめの神社でお祓いを受けることができた。

霊能者のほうがいいのかもしれないが、あいにく知り合いにはおらず、伝手もなかった。


しばらくは湯船につかる気にもならず、シャワーで過ごしていたが、

やはり風呂に入りたい気持ちは抑えられなかった。

それでも一人でつかるのは怖いので、前の温泉施設とは別のスーパー銭湯に出かけることにした。


銭湯自慢の、茶色い濁り湯に恐る恐る足を入れる。

体を沈めると、ふう、とため息を一つついた。


――ゆら。


とたんに胸が重くなる。


ああ…またかよ。


にやにやと揺らめくだけの顔。


よく考えれば、こいつはにやついてゆらゆらしているだけで、何もしてこないよな?

でも、こんな風ににらめっこするのは……


目をそらそうとするが、目をそらすことができない。

こいつが現れているときは、目が釘付けになってしまうらしい。

さっきとは違うため息をついて、早々に施設を後にした。


その後も自宅の風呂や、温泉施設でやつを見る羽目になった。

目を逸らせないが、何もしてこないのでどうということはない。


――ただ、にやついていた顔がだんだん真顔になってきている


不安を覚えてきたころ、出張先の有名な温泉施設に入ることにした。

いつも県内の温泉施設だ。

あんな顔のために、この機会を逃すわけにはいかない。


無色透明の、少ししっとりとしたお湯だ。

有名温泉だけあって、すでに先客は何人もいる。

手すりにつかまりつつ、ゆっくりとお湯にはいる。

体を沈め、お湯を堪能する……あの顔の出現を覚悟して。


しばらく浸かっていたが、あの顔が出てくる様子がない。


なんでだ――


バシャッ!


向かいの男性が勢いよく立ち上がると


ああ、あの人に移ったんだ――


そのままの勢いで湯船から上がる。


気の毒に――


出ていく背中を見送る。


だけど――私は――もう治りました。

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