アルバート対バベル I
時は大陸暦1210年。
いつもの業務をこなしていたグスタフ・ムラジャ・バベル国王は、俄かに騒がしくなる扉の方へと視線を向ける。
ガチャ
「父上!是非、頼みたいことが!」
ノックもなく飛び込んできたのは黒髪の第三王子、フレデリック・フォン・バベルだった。
息子の急な来訪に、バベル国王はこめかみを片手で押さえながら俯く。
「フレデリック…言ったであろう?ノックをしろと…お主はいくつになったと思っておるのだ?」
「34になります!そんなことより、一大事ですぞ!」
室内へ飛び込んできた第三王子の身長は185cmもあり、世が世であれば横綱として通用しそうなほどの巨漢でもある。
歳の嫌味が通用しないこの王子は、人の話を聞かないことでも有名であった。
「…で?その一大事とは?」
いつもの発作が始まったと、バベル王は諦めて話を聞くことに。
「運命の相手を見つけましたぞ!」
「運命の…相手?」
「はい!その者を我が伴侶に、是非に!」
その言葉を聞き、バベル王は卒倒しそうになった。
倒れることを何とか我慢し、苦言を呈す為に口を開く。
「…お主。妻は何人いるのだ?」
「自分の妻の数を忘れるはずがありません!一人です!」
「結婚は?」
第三王子であるフレデリックは、三つの意味で王国では有名人である。
「五度。残念ながら四人の妻は死んでしまいました」
お前が殺したくせに…何を悲しそうな顔を……
バベル王は苦虫を噛み締めたかのような表情を見せた。
フレデリックは巨漢である。
そして性欲も身体に比例して大きかった。
フレデリックの死んだ四人の妻達の死因は過労や圧死。
それは全て夜の営みで起こってしまったことだ。
バベル王が殺したと思っていたとして、何ら不思議ではなかった。
「それで父上!?お願いです!その者を是非、我妻へ!」
「だから…何処の誰なのだ…」
バベル王は諦めている。
いや、この欠点に対して目を瞑れる程の利を、フレデリックは今日まで王国へと齎してきたのだ。
フレデリックが有名なのは、その無類の女好きとして。
そしてフレデリックの有名なところの二つ目、それは誰もが認めるその頭脳にあった。
軍務、財務、政務。
その全てにおいてフレデリックは王国へ貢献し続けている。
最後の一つは奇人。
それは本人を目撃した全員が初めに持つ印象だった。
「アルバート王国の第一王女です。彼の姫は私と同じ黒髪。そして同じく王族。
これはもう、運命と言わざるを得ません!」
「……キャサリン王女のことか?」
「そうです!そんな名でしたな!はっはっはっ」
妻に迎えたいという割には、その者の名前すら碌に覚える気もない。
確実に目的は一つしかないのだな、と王は目を瞑る。
「歳を考えろ。何歳差だ?向こうは確かまだ18やそこらだろう?自国であればどうにでも出来るが、他国の姫だ。今回は諦めなさい」
フレデリックは34歳。そして現在のキャサリン王女は花も恥じらう18歳であった。
「嫌です!何とかしてください!」
「…わかった。縁談を申し込むだけ、だぞ?」
「はい!流石父上!頼りになりますな!」
癇癪を起こすと手のつけようがなくなる。
国王はそれを恐れ、打診するだけしてみると伝え、この場を誤魔化すことに。
これが、アルバート王国の破滅の始まりだった。
「どうしてですかっ!?」
今日も今日とて、フレデリック王子は突然現れた。
「…うるさいぞ。礼節を持たんか」
いつものように執務室で仕事をしていたバベル王は、遂に来たかと王子の来訪に覚悟を決める。
「フレデリック。父上はお忙しいのだ。お前の馬鹿げた話に付き合う暇などないのだ」
「これはクリストフェル兄上。馬鹿げた話ではありませんぞ?我が国にとってとても有益な話です。
私とキャサリン王女の婚姻が成立すれば…でしたが…」
自分の言葉に自分で傷つく。
そんな器用な弟を見て、細身で茶髪の第一王子クリストフェルは顔が引き攣っていた。
「父上!何故、破談となったのですか!?」
「それは知っておろうに……キャサリン王女は別の者と婚姻を結んだのだ」
情報は共有している。
こと、フレデリック王子には包み隠すことはない。
隠せば後が怖いというところでもあるが、有事の際に迅速な対応を求めたいという理由が最大のもの。
「知っています!何故、王子である私ではなく、何処の馬の骨とも知れぬ輩が選ばれたのか、それを知りたいのです!」
「さてな…詳しくはわからん。相手がアルディオス・ガレナ・バレドーという、我が国と領地を接する辺境伯家の跡取りということくらいしか情報がない」
断られた理由はまだあるだろう。
誰が好き好んで、15以上も歳の離れた巨漢に娘をやるものか。
ましてその相手には黒い噂が絶えないのだ。
嫁になれば死ぬまで犯され、その末路は過労死するか圧死するか。
好ましい相手がいなくとも断られて当然だと、バベル王は婚姻打診が無駄になることは予見していた。
(こうした所の機敏にだけ疎いのが、また困りものよな)
「この私を愚弄しているのですかっ!?」
「余は何もしておらん!落ち着け!」
「フレデリック!やめんかっ!?」
一頻り暴れたフレデリックは、憤怒の形相を浮かべたまま執務室を後にした。
「父上、大丈夫ですか?」
「なに…これしきのこと…」
フレデリックに弾き飛ばされた父王を支えるのはクリストフェル第一王子。
「この気性と悪癖さえなければ…」
そうだったのなら、間違いなく王太子へ指名していた。
この国に未だ王太子がいないのは全てフレデリック王子が原因。
他の兄弟を選べばそれはそれで癇癪を起こし、かと言ってフレデリック王子へ全権を託すと碌なことにはならない。
最悪は国中の女子を集めさせ、国民から反感を買ってしまい、クーデターを起こされて王家は滅んでしまうだろう。
それは想像に難くなく、二人とも同様の考えであった。
「父上。無い物ねだりです。奴は異常ですが、モノは使いよう。使えるうちに使ってしまいましょう」
「…そうだな」
通常であれば、とっくに王太子となっている筈だった第一王子クリストフェル。長男には我慢ばかりさせていることを王は申し訳なく思うのだった。
「父上!出来ましたぞ!」
今日も今日とて、呼ばれていない客が執務室の扉を開けた。
「…なんだ?」
出来た。
それはどういう意味なのか?
まさか、遂に子が出来たのか?
それはそれで恐ろしく思うバベル王。
性欲は強いが、妊娠してもしていなくても妻を殺し続けていたので、フレデリック王子には未だ子はいない。
「我が国の国土を増やす計画です!」
「なん、だと…?」
まさに寝耳に水。
想定外のトラブルを、フレデリック王子は持ち込んできた。
とて、そのトラブルは大歓迎。国王は口を開き、先を急かした。
「聞かせよ」
「はい。ですが、その前に。報酬を確約してください」
とんでもない申し出だが、これもいつものこと。
やれ国の為、王家の為だと口ばかりで、いつも自分の利を最優先にしてきたのだから。
「申せ」
内容によっては承諾しかねる。
これも省略された言葉。
いつもこちらが折れることの出来るギリギリを攻めてくるのだ。
国王が承諾しなかった…いや、断れた試しもまたなかったのだ。
「キャサリンとその夫の処遇を一任されたく」
「なんだと?…待て。手に入れる国土とは、まさか…」
バベル王の脳裏に警鐘が鳴り響いた。
「アルバート王国、辺境領を攻めます」
「馬鹿をいえっ!それが不可能なことは歴史が証明しておるわ!
手を出せば、やられるのはこちらだ。
仮に、辺境領を取れたとしても、そこは行き止まり。すぐに取り返されるであろう。
故に、却下する」
隣接するアルバート王国とは長い間争いが起こっていない。
お互いの国を行き来する為の国境が狭いせいで、大きな争いには発展しづらいという要因があるから。
そんな国へ攻め込めば、まず間違いなくやられる。
大軍が狭い国境を通る前に、アルバート王国側は国境を抜けて来た者から順次始末すればいいだけなのだから。
事実、過去には幾度も同じ失敗を繰り返していた。
「父上。勘違いされては困りますな」
「…何がだ?」
バベル王は終わった話を振り返され、辟易した表情を隠すことなく返事をした。
「取るのは辺境領ではありませんぞ?」
「だったら!何処を取るというのか!」
もうダメだ。
この息子は災いしか齎さない。
バベル王がそう考え始めた時、フレデリック王子はゆっくりと口を開いた。
「アルバート王国。王家を滅ぼし、我が国は全てを手に入れます」
「ば、馬鹿な…何を……血迷ったか…?」
遂にバベル王は立ち上がり、その青天の霹靂を受け入れられないでいた。




