闇の中
「陛下…待ってください」
アーノルド殿下は椅子にすら一人では座れない状態。
俺は側に仕え、殿下のお身体を支えることしか出来ない。
「…もう休め。見ておれぬわ」
「待ってください…」
絶対権力者の言葉。それでも、殿下は止まらない。
「出向いては…ダメです。次の報せを待たねば…奴らの罠に…」ガタッ
「殿下っ!?」
立ちあがろうとして床に倒れた殿下は這いつくばりながらも陛下へと向かう。
その行動は常軌を逸しており、誰もが動けなくなる。
「すぐに…直ぐにでも…報せは…」
「…わかった。皆も良いか?」
この気迫を見せられては、誰も言葉が見つからなかった。
「殿下。失礼します」
「…すまな…い」
殿下は胸を抑え、苦しんでいる。
心臓に負担を掛けすぎたんだ。
それもこれも、バベル王国の所為……
「いえ。漸く殿下のお役に立てて、不謹慎ながらも少し嬉しいくらいです」
「ジーク…頼もしくなったな…」
その言葉には首を振って答える。
俺には家族がいたから、セフィリアがいてくれるから、アーノルド殿下が道を示してくれたから、強くなれたんだ。
頼もしくなんてない。
「それで…アーノルド。どう見る?」
待つとは言ったが、じっとはしていられない。
「ここにいる貴族達は急ぎ領地へ帰り、戦さの支度を。
辺境伯領領都を押さえた後、奴らは直轄領を目指しています。そこが王国一の穀倉地帯なので。
そこで戦えばアルバート王国軍には上り坂が待っているので十中八九こちらが負けます。更に王都に近い、アーセル平原が最良の戦地…しかし、そこへ辿り着くのは難しい…必ずや敵の罠が…時間はありませんが…慎重さを欠いてはなりません」
「で、殿下…?」
殿下の視線は天井へ。
呼びかけにも反応がない。
ただ足早に言葉を紡ぐだけ紡いだ。
「向こうは飢えた獣同然。同数では分が悪く、援軍である貴族軍の到着を待って」
「アーノルド?…お主、まさか」
殿下…?
「ジーク…セフィリアを…妹を頼む」
「殿下?」
アーノルド殿下は目を見開いたまま、動かなくなった。
「殿下ぁぁぁっ!?」
「ま、まさ、か」
「アーノルド殿下ぁぁぁ!!」
何で?どうして!?
さっきまであんなに…なんで!?
「殿下ぁぁっ!」
「ジークリンド殿!お下がりください!」
俺の手の中で眠るように、アーノルド殿下は旅立ってしまった。
殿下を抱きしめる俺から、騎士達は丁寧に殿下を引き剥がしてしまう。
「アーノルド…其方…くっ」
「陛下…」
宰相は国王を気遣うも、俺もそれどころではなかった。
暴れそうになるオーラを必死に抑え、セフィリアの姿を思い浮かべる。
ああ…落ち着いてきた。
わかっていたことだ。
抗えなかった。
間に合わなかった。
寂しい。
でも。
殿下は俺に頼んでくれた。
妹を…セフィリアを守ってくれ、と。
「皆々方。アーノルド殿下は旅立たれてしまいましたが、今は王国の危機。
殿下の意思を継ぎ、兵を集め王国の為に奮闘して欲しい」
国王は項垂れ、宰相は殿下の最後の言葉を今一度伝えた。
「は!我らオーティア男爵家家臣軍は必ずや王国の為に!では、失礼します!」
父はそういうと、去り際に俺を呼んだ。
「ジーク。お前はここにいろ。陛下を支えて欲しい」
済まないが、その約束は守れないかもしれない。
「父上。父上の行動の意図はわかります。ですが、変わらないでしょう」
「だとしても、負けるわけにはいかん」
「はい。妹と、母上たちを頼みます」
父の発言。
男爵家に仕える家臣軍など存在しない。
町を守る衛兵はいるが、それは男爵家が給金を出しているだけで、家臣ではないから。
つまり、真っ赤な嘘。
あの場の空気を変えるための。
『王国の希望であるアーノルド殿下が亡くなられ、国土は既に荒らされている』
皆がそう思っていた。
勝てない。
負ける。
貴族であれば、守るのは国の前に領地だ。
建前は王家に仕える存在だけど、分が悪くなれば切り替えるのが人間だ。
平和な時は良い。だが、この時代の流れを汲み取ってしまった貴族を止める術を俺は持っていないのだ。
戦争に負けても本領安堵さえ勝ち取れば良い。
彼らは既にそちらへと思考が切り替わってしまっている。
「必ず逃すと、約束する」
父は優しく俺を抱きしめる。
いつの間にかあれだけ大きかった父と変わらぬ体格になっていることを、今になって気付いた。
「男爵家は失くなってもいい。必ず生き残れ」
「はい。…出来れば、父上も」
「はは…やっぱりお前には嘘をつけないか」
今生の別となる。
その覚悟で父は…カーバインは戦地へと向かう気だ。
これも止められない。
国王と父の関係だから。
「では、私は私のやるべきことを」
「ああ。俺は俺のことを、だ」
拳を合わせ、別れの時を惜しんだ。
「報告します…」
貴族家当主達が居なくなった玉座の間。
そこに現れたのはボロボロの男だった。
今ここにいるのは俺と国王と宰相と大臣二人と国軍の幹部二人にバレドー辺境伯。
それと…全ての王族。
「…王弟殿下の治るニッシュ穀倉地帯。敵の手に渡りました……」
「相わかった。この者に褒美と休息を与えよ」
「は」
人数に数えていなかった近衛騎士が応える。
「穀倉地帯はここから早馬で二日の距離…バレドー辺境伯領までは早馬で五日。
何故こうも速いのだ?」
それは順番が逆だからだ。
攻め込まれたのが、報告のあった五日前ではなく遥か以前ということ。
「アーノルドの遺してくれた助言通り進めるとして…間に合うか?」
王の言葉には誰も答えない。
もう答えてくれるアーノルド殿下がいないから。
誰があのお方になれよう?
誰があのお方と並べられる?
答えはいない、だ。
「ジーク。其方はどう思う?」
「父上!何故、私ではなくこの様な子供に!?」
「マクレード。今は其方を構う時間が惜しい。少し黙っておれ」
黒髪の第一王子が国王へくってかかるも一蹴された。
そんな王子は俺に恨みがある風ではない。
こんな時でも頼られないことが情けない。
そう顔に書いてあった。
「アーノルド殿下は私が敬愛する数少ないお方。
出来るなら、殿下が遺してくださったお言葉に従いたいのですが……
もう手遅れかと」
情報が遅過ぎた。
いや、伝令の人は命を削ってここまで辿り着いてくれた。
それを貶したいわけじゃない。
ただ…もう少しだけでも時間にゆとりがあれば、殿下が遺してくれたことを実行に移せた可能性は高い。
そうであれば、さらに殿下もゆっくりと考えられた。
助かったかもしれなかった……
いや。やめよう。意味のない考えだ。
「王都に立て籠れば、時間は稼げるでしょう。ですが、それは援軍が来てくれる前提です。
他の隣接している国へ文を出したところで、これだけの民の数、援軍が来るまで兵糧が持ちません」
それも、バベル王国の策なのだろうな。
ここまで言えば、国王なら気付いているはず。
「王都決戦。それがアルバート王国の生き残る可能性が一番高いと、具申致します」
出陣しても、軍が疲弊するだけ。それならば、王都からの援助が見込める王都前での決戦が一番勝てる可能性が高い。
…1%が2%へ変わる程度だとしても。
「余も同じ意見だ。皆はどうだ?」
国王の言葉に、軍の幹部は頷いて返し、他の者はただ黙っていた。
「陣地の構築は明朝より。その間、休んでくれ」
その言葉に従い、全員がこの場を後にする。
俺も皆に習い、セフィリアへ声をかけてから出ようとするが、それは止められた。
「ジーク。其方は残れ」
「…は」
臣下の礼を取り、それを答えとした。
「よし。全員出たな」
部屋には王族と俺、それから近衛騎士だけが残った。
侍女さえも外された。
一体何を?
国王はそれを確認すると、ゆっくりと口を開く。
「アーノルドのことは残念だった。最期まで王国と妹を案じていた。
今一度、冥福を祈ろう」
その言葉に従ったわけではないが、自然と瞼を閉じ、瞼の裏にいる殿下を想う。
「悲しみは戦後分け合おう。今は、どうするか、である」
「父上…戦うのでしょう?他に手は…あ!講和…」
講和か。
それが通用する状況ならどれだけ良かったか。
「残念ながら、向こうが出す講和の条件は決まっておる。
王族全員の首。それと貴族達の爵位降格と取り上げに領地の転換。
負けと何ら変わらない」
そうなったとしても、実際は少し変わる。
戦わなくて済むんだ。
助かる兵は多く、要らぬ戦争犯罪も減るかもしれない。
だけど、殆どの軍人は戦わずして負けて生き延びることを良しとは考えないだろう。
そういう時代だし、それだけ国を想う気持ちが強いんだ。
じゃないと、国は国としての体裁さえ繕えない。
「話し合うのは戦争についてではない。
ジークリンド。先ずは其方からだ」
「は」
一体何を?まさか結婚を前倒しにするとか?
いや、こんな時に…まさかな。
「セフィリアを連れて逃げよ」
「はい。必ずやお守りすると誓います」
「ジーク!」
これで、殿下との約束を果たせる。
「ダメよ!戦うわ!私も剣を持つ!貴方と一緒に!」
「セフィリア」
「お父様…嫌よ…逃げるなんて…」
セフィリアは強い。
故に、逃げ方を知らない。
いや、その選択肢を持たないのだ。
国王は娘の名を優しく呼んだ。
「アーノルドの最期の願いなのだ。叶えてやってほしい」
「お兄様……」
セフィリアは声を押し殺して涙を流す。
俺にはその背中を支えることしか出来ない。
兄と妹。
真逆な様で、実に良く似た兄妹だ。
「ジークリンド様。セフィリアをお願いしますね」
「ミスティア様。確と承りました」
二人とも助けたいが、本人の意思を尊重する。
そも、夫である国王が何も言わないんだ。
お互いにお互いのことをわかっているんだろう。
「ジークリンド。弟がお前に任せたのだ。そこに間違いがあってはならない。
任せたぞ」
「マクレード殿下。両王子殿下の想いを胸に、必ずや守り抜きます」
黒髪の王子は、俺のことなど端から相手にしていなかった。
嫌がらせもないし、関わりも浅い。
だけど、腹違いとはいえこの人も兄なんだ。
その想いには応えたい。
同じ兄として。
「ヴィクトリア…貴女は、私とご一緒しましょう」
「はい、お母様。ミスティア義母様もご一緒いたしませんか?」
「ええ。お願いしますわ」
三人は、アルバート王国が負けた瞬間に自害する気だ。
敗戦国の王族に待っているのは、確実な死。
災いの種を態々遺すような真似は誰もしない。
特に女性王族の扱いは酷いと聞く。
公衆の面前で醜男から廃人になるまで犯され、全裸で死ぬまで磔にされるなんてのはまだ生優しいと、歴史書にはあった。
「さようなら。セフィリア。ごめんね。お姉様と違って、意地悪な姉で」
「…いえ。理由は知っていましたから。ですが、それは……」
「誤解なのよね?知っているわ。みんなの態度がおかしかったもの。
でも、私も幼かったの。自分の過ちを認められないくらいには」
知っていたのか……
セフィリアを置いて、女性王族方は去っていった。
「父上。私めに先鋒の名誉を」
国王の前に跪き、黒髪の王子が進言した。
「くっ。父の勇姿を見ずに逝くとな?良かろう。それもアルバート王族の血よ」
「はっ!必ずや、敵の首を!」
そういうと、王子も去ってしまった。
元々広い玉座の間だけど、さっきよりも広く感じる。
少しの間、静けさに包まれる。
「ジークよ。セフィリアへは伝えたのだな?」
「…はい。優勝したら、私のものになってくれと伝えました」
もう、大会そのものがなくなってしまった。
優勝もなにもない。
「セフィリアよ。何と応えたのだ?」
「はい。貴方の側にいたい、と」
その答えを聞き、王は優しく微笑んで頷いた。
「恐らくは……余に其方達の晴れ姿を拝む機会はない。
その子供も。
しかし忘れるな?
其方達の心の中に、私達は生き続けていることを。
決して二人きりではないぞ」
「おとうさまぁぁぁっ!」
セフィリアは国王の膝に泣きつき、国王は泣きつく娘の頭を優しく撫でていた。
俺はただただ、それを見守っていた。
アーノルド様も見守ってくれているだろう。
俺もセフィリアも一人ではない。
これからも、ずっと。




