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村蜂 五郎(捕手、25歳、右投右打)

 控え選手というものは、暇なものである。約三時間ものゲームの間、ベンチを尻で温め続けるだけだ。

 一応、いつでも途中出場ができるように待機しているという建前ではあるが、そんなチャンスはそうそうやってこないだろう。特に、先発選手が有能であるなら特にその可能性は少なくなってしまう。それでも当人に意欲ややる気があれば、あるいはチームに愛着や信頼があれば懸命にゲームの行方を追って、応援の一つもしたかもしれない。

 しかしながら、村蜂という捕手には勝利への意欲もチームへの愛着もなかった。

 彼は捕手であり、六道がやってくるまでは正捕手として試合に参加していた。彼が他の選手たちと違うのは、天六コーギーズにやってきたときから、全てをあきらめていた点にある。手薄であった捕手というポジションを補強するため、チームは他チームから村蜂を獲得した。しかし村蜂がもともといたチームには、とくに何も支払われなかった。無償トレードである。それほど村蜂の評価は低かった。これは実質的な戦力外通告であり、村蜂がくさるには十分な理由であった。


(くそ、俺のせいじゃねえよ。捕逸が多いのは、ピッチャーがサインに従わねえからだ)


 当時の村蜂はそう言って道端に唾を吐き散らしたものだった。シーズンで捕逸が20を超えているような有様だったので、これが原因で放出されたと考えられたのだ。

 自分のせいでもないのにまともな球団から弱小チームへと追放され、彼はどうでもよくなっていた。引退すら視野に入っていたが、金がもらえるならしがみついておくべきか、という消極的な理由で天六コーギーズへの移籍を承諾。いざ練習に参加してみれば、もはやチーム練習などではなく、柿内兄弟の練習を他全ての選手がゴロゴロしながら鑑賞して皮肉るというものでしかなかった。


(なんだこりゃ。こんなチームが許されるのか? 草野球チームでももっとマトモにやってるだろう……だが、これでいいのなら、今の俺には好都合だな)


 そう考えて、追放されてきたくさったミカンらしく、日陰に座って昼寝してみたが、誰にも何も言われなかった。そうして村蜂のチーム内での立ち位置は決定された。

 村蜂にとってすでに大半の選手が腐り果てている天六コーギーズは居心地の良いチームだった。彼が来たときにはすでにチームは崩壊していたのだから、自分一人が頑張ることもあるまいし、その意欲もないし、寝て過ごして試合に出て、時間を過ごすのみだと思えた。

 そうしているうちに、正捕手が加齢を理由に引退。ともなって村蜂がその地位を引き継いだ。その瞬間に、天六コーギーズは完全に守備崩壊に陥った。村蜂としてみれば、捕手として向上心もなく、怠惰に日々を過ごすだけの自分がなぜ正捕手に固定されているのか疑問ですらあったが、専門性の高い捕手というポジションの選手が他にいなさすぎたのかもしれない。この予想が当たっていたとすれば、それだけの理由で村蜂は1年近く一軍で使われ続けた。

 しかし、つい四日前になって正捕手の座は突然あらわれた小柄な選手に奪われた。まるで子供が大人のふりをしてやってきたような、そんな選手であった。村蜂としては面白い話ではない。状況だけをみれば二軍落ちへの秒読みがかかったなというものだが、中学生のようなガキじみた捕手に自分のやっていたことが務まるか、という気もある。

 そんな自分の状況を今振り返ってみても、村蜂は特に何も感じなかった。尻に火がついている、といったような焦りさえもない。火がついているならそのうち燃え上って、俺はクビになるかファームに落とされるだろうが、それならそれでいい、といった気持ちですらある。野球以外には何もできないし、その野球でさえもロクな力を見せてこなかったのだ。それにふさわしい末路があるだろう。

 情熱らしいものが村蜂の中には残っていなかった。

 諦めの気持ちが常に彼を包んでいた。今目の前で行われている自分たちの試合の行方にも、それほど熱心な興味が持てない。自分が参加しているわけでもないし、何の責任もない。

 ぼんやりと村蜂が目線を送る先には、彼の地位を奪った正捕手がいる。


(六道とかいったっけ。この三日を見る限りじゃあ俺よりよくやってるんじゃないか。まあ、俺より下手な捕手なんか一軍にはいないかもしらんが)


 皮肉ではなく、本気でそう思っていた。村蜂は配球もセオリー通りに行うし、投手に首を振られたら「ああ、じゃあこれを投げたいのか」と相手のやりたいようにやらせた。だが六道は状況や打者の打ち気を読んでいる気がする。言葉で説明するのは難しいし、なぜその配球なのかと理屈をつけるのはしにくいが、たしかに打たれにくく投手が投げやすいところへ導こうとしているのだ。

 たった今も、内角高めを要求している。危険な配球だが、自信をもって示してる。投手は軽く息を吐いてから投球動作に入り、ぐっとふりかぶって投げ込んだ。練習不足がたたって浮き上がった球は、上に外れた。ボール。

 自分ならあんな配球はしないだろう。そんなことをぼんやり考えながら、試合の行方を見守る。

 次の配球も高め。今度は外角。バッターは勢い余って振りぬいたが、これが球の下側を叩き、真上に吹っ飛んだ。キャッチャーフライ。六道はすぐさまマスクを外して、打球を追った。六道がマスクを外したので内野席から「キャー!」と黄色い声が上がったが、本人は気にした様子もない。冷静に一歩、二歩と後ろに下がり、頭上にミットを構える。きれいにボールがおさまり、アウト。これでスリーアウトとなり、チェンジ。

 これを見ても村蜂は「大した人気だなあ」としか思わなかったが、彼の隣に座っている代打要員の一人は舌打ちまでした。


「キャッチャーフライくらい俺でもとれるけどなあ」

「ぷっ、お前じゃポロリだろ」


 彼は守備難のために代打要員になっているのであり、他のメンツに笑われている。それは彼自身も認めているらしく「かもな」と同意している始末だった。


「おい六道、次はお前の打順だろ。早く防具とれよ」

「は、はい」


 その六道はといえば、時沢に急かされあたふたとしながらプロテクターを外しているところだった。捕手用の防具をはずしたあと、エルボーガードをつけて今度はグラウンドへ出ていく。

 その背中をみるとただの中学生にしか見えない。村蜂は戻ってきた選手たちとともに、彼の打席を見守る。

 すでに試合は6回裏。スコアは3-0と負けている。とはいえ村蜂が捕手の時には10点以上取られて負けということもザラだったのだ。それが野球らしいスコアになっていた。

 六道が急いで準備したかいもなく、相手チームは中継ぎ投手を出してきたようだ。マウンドでは投球練習が行われており、六道はネクストバッターボックスで待機する。

 投手は少し髪の伸びた細面だった。時代劇に出てくる食い詰め浪人のような、気合いの入った眼差しだ。


「おお、中継ぎは飛騨か。アンダースローだな」


 柿内錦成が腕組みをして投手を観察する。村蜂も飛騨という投手の名は知っている。数種の変化球を扱うが、特にスライダーを武器にするアンダースローのベテランピッチャーだ。


「六道はアンダースロー対策してないだろ。まあ当たっても凡打か」


 時沢がそんなことを言ったが、大爪は「まあな。六道じゃ無理だろ、俺が出るから大丈夫だ」と自分の防具を右肘に巻いている。

 この会話を聞いていた監督も、特に六道に対してサインを出しはしなかった。


「どうせアウトなんだ。ここは今後に期待して好きに打たせた方がいいだろう」


 バッターボックスに立った六道は、ミート重視のフォームで構える。3回裏の打席ではこのフォームで挑んだが、ショートゴロに倒れている。

 初球、飛騨は低めのストレート。六道は見送ってストライク。二球目は内角に入った低目のカーブ。六道は当てに行ったが、転がってファール。


「当てたじゃないか」へえ、と一塁手の上森が感心したように言った。「凡退と思ったが出塁するかもな」


 しかし三球目の飛騨の投球が、高めに抜けた。内側に鋭く曲がって、六道も咄嗟に体をひねろうとはしたが避けきれない。ヘルメットにボールが直撃し、六道はその場に倒れた。

 即座に審判が試合を中断。投手の飛騨はあわてて六道に駆け寄る。

 だが、それよりも早くダグアウトから大爪、枝元、上森らが飛び出していった。六道は咄嗟に立ち上がろうとしたようだが、相手チームの捕手に寝ているように促される。


「お?」


 事態を見ていた村蜂は、座っている自分を尻目にチームメイトたちが次々とグラウンドに出ていくのを、驚きをもって見つめていた。その行動の意味も、渦巻く感情も何一つ感じ取れない。

 乱闘か? こういうときは何もしなくてもいいから出て行って、騒動に紛れておかなくてはならない。そうでなくては、いくら怠惰なチームといえども、わずかなつながりも持てなくなってしまう。


「待て村蜂、行くな」


 コーチから声がかかった。振り返ってみれば、ヘッドコーチが冷徹な目をしてこちらを見ている。


「六道は交代だ。お前しか捕手はいない。万一、お前が退場になったら終わりだからな。ここは座っていろ」


 言われて、村蜂は素直にベンチに腰掛けた。

 そうか、俺が出場か。ぼんやりとそんなことを考えて、尻についていた火の存在を思い出した。

 六道は頭部死球を喰らった。交代は確実だろう。搬送もされる。

 となればマスクをかぶるのは村蜂しかいない。日曜日のデーゲームまでは、村蜂がマスクをかぶるのは日常であり、普通のことだった。心配も何もない、ただあの日に戻るだけだ。

 だがこの三日、チームは六道という捕手を得てまともな野球を取り戻した。村蜂がマスクをかぶり、投手が打たれ内野が失策し、10点差で敗れることが日常だったのは遠い昔の過去のことになってしまっている。

 村蜂とは違って、チームメイトたち、特に大爪や時沢は勝とうとしている。そのための努力もしている。そいつらが果たして、村蜂がマスクをかぶって球を受けることをどうとらえるだろうか。腐ったミカンである彼を、どう扱うだろうか。

 さすがの村蜂と言えども、背筋に悪寒が走るのをこらえれなかった。「監督の評価もすでに最悪だろうから、チームメイトの評価などどうでもいい、向こうも俺に期待などしてないだろう」と考えようとしても、「いや、落差というものがある。六道のときはできていたことが俺にはできないとなれば、俺の価値などないということにもなる」と、自分自身が否定してしまう。


(いや、所詮俺はこの程度の男。努力もせずにきたツケを払うときがきただけだ)


 覚悟を決めようとして、村蜂はせめて落ち着こうとしたが、無理だった。

 間違いなく、六道と自分は比較されるだろう。内野席は六道を目当てにきた客で埋まり、ライトスタンドまではみ出している。この人数を相手に、生き恥を晒さなければならない。

 なぜか唇の先が震えだしたので、村蜂は唾をぐっと飲んでこらえようとする。この様子に気づいたヘッドコーチは、深く息を吐いた。


「六道の容態が心配なのはわかるが、落ち着け。大丈夫だ、立ち上がろうとしていたから意識はある。病院もすぐ近くだ」


 しかし村蜂は六道の心配などしていなかった。彼が心配しているのは、長年のツケを支払わされることへの不安だけだった。

 彼が怯えている間に、天六コーギーズの選手たちはダグアウトに戻ってきた。先ほどまで六道の打席を見てアレコレと分析・評価していたどこか和やかな雰囲気は消え去り、重苦しさがたちこめている。


「おい、村蜂。お前、一塁ランナーだぜ。六道と交代してるんだろ」


 明らかに苛立っている感じの大爪にそう言われて、村蜂は慌ててダグアウトをでて一塁へ走った。

 だがグラウンドに出ても、何も聞こえなかった。静まり返ったスタンド、客席。ファンが応援しようと駆け付けたアイドル選手が怪我をして搬送されたのだから、無理もなかった。

 彼らのうち誰一人として、村蜂の出場を期待していなかった。

 だが村蜂は出なければならなかった。逃げられなかった。恥をかかねばならなかった。


「アウト!」


 六道が死球だったので、村蜂は一塁に送られたのだが、彼が一塁にいた時間はたったの十五秒ほどだった。あまりの静けさに耐えられずに、半ば放心状態。投手飛騨はこれを見逃さず、牽制であっけなくアウトになった。

 のろのろとダグアウトに引き上げる村蜂を、ネクストバッターボックスにいた大爪がちらりと見て「ちっ」と舌打ちを一つ。チームキャプテンの柿内は引き上げてくる彼を全く期待していない目でちらりと見て、何も言わなかった。時沢、上森に至っては視線をやることさえなかった。


「たった一分集中することもできねえとはな」


 ハッ、と乾いた笑いが聞こえた。柿内伴宣の声だった。村蜂は下を向いたまま、ベンチに腰かけた。彼がうつむいている間に、大爪がツーベースヒットを放った。だが、村蜂は顔を上げることができなかった。

 二番打者の上森がなんとか粘ろうとするも、ライトフライに倒れ、スリーアウトチェンジ。チャンスは生かせず。結局、この日の野球らしい野球はここまでしか持続しなかった。

 上森が悔しさのあまりにうめき声さえ上げたが、天六コーギーズの反撃の目は消え、村蜂はマスクをかぶって座ることを余儀なくされる。

 7回表、ミットを構えた村蜂は投手の目を見て、すべてを察した。彼はもはや、何一つ期待をしていなかった。サインを出せば頷いてはくれるが、それはもはや「それ以外のところに投げれば捕逸の危険があるから、仕方なくそこに投げるんだぞ」というものでしかない。「ああ、俺は終わったんだ」と思い知らされる。

 露骨に、投手に勝ち気がなくなっていた。相手チームはそんな投手のボールを次々とヒットにし、打点を稼ぎまくった。7回から9回にかけての攻撃で、まさかの12失点を記録。完全に守備が崩壊している。

 監督はもはや何も言わず、黙って試合展開を見守り、柿内も感情を一切見せないまま淡々と試合を進めることに徹した。

 結局スコアは15-1という大敗。7回まで六道がマスクをかぶっていたとは思えない、惨憺たるスコアである。

 9回裏の一点は、柿内錦成の渾身の一発だったが、それだけではどうにもならない。だがキャプテンとしての意地は見せた。引き換え、村蜂はといえばたった3イニングの出場で捕逸2を記録。もちろんノーヒット。投手の防御率にも影響を与えた。

 試合終了後のミーティングでは、監督は六道の容態を説明した。


「病院から連絡があってな、軽い脳震盪だそうだ。骨にも異常はないし一週間ほどで復帰できるはずだが、明日からの三連戦と、その次の三連戦は彼抜きでやり切らなきゃならん。苦しいだろうが、なんとか耐えてくれ」

「ちっ、やっぱそうか」


 大爪は露骨に残念そうな顔で舌打ちをする。彼はこの間まで打率一割台だったとは思えないほど、直近の試合では当てている。だが、いくら打っても守備が崩壊していてはどうしようもない。捕逸などは論外である。

 村蜂としては、もともと難しい位置にボールが飛んでくれば、どうしても取れないということが多かった。プロの速球はリリースから着弾まで半秒もないのだ。少しでも気を抜いていれば、頭が反応する前にボールが体にぶち当たる。だが、三塁手の大爪は勢いよく飛んでくる打球を相手に短い距離で反応しなくてはならないので、捕手の村蜂が言い訳をするには分が悪かった。

 捕手というポジションにいるだけの置物。まさに、それが今の村蜂の扱いであった。

 実際には村蜂だけではなく、練習にも参加せず意欲も見せないような選手はそういう扱われ方をしているのだが、今の村蜂にはそれに気づけるような余裕がなかった。

 明日はビジターとしての試合が待っている。昼のうちに移動して、夜にゲームがあるので、体力的にキツい日だ。新幹線の貸し切り車両でチームメンバーと一緒に移動するが、今からこの空気に耐えられるのかと不安で仕方なかった。

 夜遅くに家に戻ると、村蜂は玄関先で崩れ落ち、身動きしたくなくなる。だがそれでもなんとかベッドまで動いて、そこに倒れこんだ。ポケットからスマホを取り出して充電だけでもと思ったが、通知を開こうとしてタップを失敗、ニュースサイトを開いてしまう。

 目に飛び込んできたのは、六道が頭部死球を受けたこと。それがSNSでトレンドに入っている。もちろん、その後の試合の崩壊ぶりも話題にされていた。充電もしないままスマホを思わずほうりなげ、村蜂はタオルケットをかぶって目を強く閉じた。

 だが彼の現実逃避もむなしく、ビジターゲームは予定通り行われた。

 監督はどうにか野球らしい試合をしようと指示を出し、選手たちを鼓舞する。だが、投手は毎回のように打たれランナーを背負った。村蜂は焦りからミスを増やし、捕逸もし、打席ではただの置物となり、味方の邪魔をし続けた。

 だがそれにもかかわらず、何も言われなかった。「まあそうだろうな」というような態度で流され、怒鳴られることも指導されることもなかった。

 その日の8回表、やはり見逃し三振を喫してダグアウトに戻ってきた村蜂に対して、伴宣が呟くように言った。


「図々しいな。義務も果たさねえで、プロのプライドだけは守っちゃってよ。見苦しい」


 だが、何も言い返せなかった。全く反論の余地もなかった。

 どうせ無理なのだ。練習もしていない捕手が、毎日のように科学的トレーニングを重ねるプロの一軍チーム相手にどうにかなるとでも思っているのか。それならそれで今までのように腐っていろ、というのが柿内伴宣の言いたいことだろう。下手にプライドなどをもって「ああ俺はかわいそうだ」というような感情を持つことさえ、図々しいといっているのだ。

 これに対して、悔しいと思うことさえ許されない。

 村蜂は、自分のタオルで汗を拭くふりをして、目をこすった。どうすりゃいいんだ、と思った。しかしどうすりゃいいも何もなかった。義務を果たすべきなのだ。プロ野球選手として食っているからには、義務を果たして当然なのだ。

 泣きだしたくなった。ただ練習を重ねて向上心を持ち、意欲を見せろとだけ言われている。それさえも、村蜂にはできない。腐ってしまった自分の身の置きどころもないまま、やがて捨てられるのを待つだけの身だったのに、いきなり晒上げにされて、悔しがったり、泣くことさえも罪深いと責めたてられている。この期に及んでも自分がかわいそうだと心のどこかで考えているやつが、どのツラを下げて練習に参加しようというのか。

 それに、村蜂は自分がどうしたいのかさえも、わかっていなかった。実力をあげて、この危機を乗り切りたいのか。とにかく六道がくるまで崩壊したチームで数日前と同じように大敗を続けてでもしのぎたいのか。自分を変えて、六道と正捕手の座を争いたいのか。何もわからない。

 ベンチの端で再び下を向いて、次の守備に向けて防具をつけ始める。誰も手伝ってはくれない。

 そう思っていたが、ふと手が差し出された。見上げてみれば、柿内錦成キャプテンが近くに立って、レガースを持っていた。準備を手伝ってくれようとしている。

 彼は腰をかがめて村蜂の防具を取り付けながら、他の選手に聞こえないような小さな声で、話しかけてきた。


「村蜂、俺たちは何とかして勝ちたいと思っている。だが、お前は別にそれに付き合うこともない」

「へ、へ。キャプテン、それはどういうことなのか、わかりませんが」


 涙声をどうにか隠そうとしながら、村蜂はいつも通りの口調で応えようとした。錦成はそれに取り合わず、さらに続ける。


「別に勝たなくていいんだ。次があるからな。捕手らしく、敵をよく観察していてくれ。そして、それを六道が復帰した後、伝える。捕手の目線でそれができるのは、お前だけ。今のお前ができる最低限度の仕事だ」

「おぐっ」


 わけのわからない声で、村蜂は頷いた。

 今の自分にも、できることがある。それは上手なプレーをすることではない。ただ見るだけでもいい。

 見るだけなら俺にだってできる! 捕手なんだ、俺は!

 村蜂はプロ一軍の捕手としてかなり見劣りがするほうだと自分でも思っているが、それでもシロウトではない。

 8回裏、彼はマスクをつけて定位置に座って、投手と目を合わせた。あいかわらず投手は村蜂を信用していない。リードをしても、仕方なさそうに頷くだけだった。

 だが、村蜂はそれ以外の仕事を任されている。


(見る、見るんだ。打者も、向こうのやり方も)


 村蜂は自分のリードや投球に対して、打者がどのように反応をするのかを、マスクの後ろからじっと見つめる。露骨なクセなどはないが、固有のルーティンらしきことは見えてくる。メモをとりたいが、ゲーム中にそのようなことはできない。だから、じっとその打者の顔や体つきを見て、流れをつかもうとする。

 バッターは何をしたいのか。どの球種を狙っているのか。

 それを知ろうとする。せめて自分の義務を果たすために。

 その様子を、三塁にいる大爪はよく見ていた。彼の仕事の仕方が変わったことに気付く。


「へえ」


 そんな風に、大爪は小さく笑った。

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