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枝元 輝久(投手、25歳、左投左打)

 その日の先発投手、枝元輝久は昼を過ぎてからようやく、グラウンドに現れた。大遅刻だが、悪びれる様子もなく淡々とグラブをはめて、大きなため息を隠しもしない。

 普通なら大目玉をくらうところだが、問題はなかった。他の選手も怠惰にそのあたりに寝転がったり、スマホをいじったりしており、真面目に練習をしているのはごく一部だけだったからだ。

 枝元は防御率6.02、25歳の投手だった。トレードにより、このチームにやってきたのは2年前のことだ。

 しかしチームの失点は失策や捕逸によって大きく上乗せされていて、10点以上とられることもよくある。また、毎度のようにエラーする上に暴投もあるので守備が信用できない。

 以前のチームではそんなことはなかった。チーム一丸となり、勝利へ向かって戦うことができた。枝元は鋭いカーブを武器に、チームの中軸を支えたものだ。


「よくやってくれた、枝元!」

「よくおさえた!」


 そんな声が客席から、あるいは監督からも聞こえた。共に戦う喜びがあった。

 だが今のチーム、天六コーギーズではそのようなチームワークは望めない。万年最下位の弱小チームであり、ほとんどの選手は最初から勝利をあきらめており、アウトを重ねるのは「早く試合を終わらせて帰りたいから」だった。先制点をあげられても、追加点をとられても、大して気にもしていない。中には完全に捨て鉢になっており、自身の失策記録までどうでもいいと考えているような者まである。

 このような状況では、どうにもならなかった。彼は苦労していた。勝とうと思えば思うほど、プレッシャーと戦う必要があった。

 もはやランナーを背負わずに投げられることを期待できないというところまできている。チームの勝利を目指すどころか、契約更改に向けて個人成績を維持しようといったことにさえ、意欲というものを発揮できない。

 この状況を打開しようとしたのも遠い昔の出来事であり、完全に枝元は怠惰なチームの雰囲気にのみこまれ、下をむくしかなくなっていた。


(何をやっても無駄に決まっている、チームは変わらないし、俺もこの弱小チームから抜けられやしない)


 疲弊しきった枝元に監督が近づき、声をかけた。


「来たか枝元、今日から捕手を変えるからな。あそこにいる小さいのがそうだ。挨拶しておけよ」


 そういって監督が指さした選手を見て、枝元は驚いた。あまりに小さかったからだ。他の選手の半分くらいの大きさに見える。たしかにキャッチャーミットを持っているが、まるで小柄すぎる。わずかに見える顔も童顔すぎて、中学生が迷い込んできたようだった。

 枝元はさすがに声を上げた。


「ちょっと、いきなりすぎますよ。それになんですかあいつは。ガキに俺の球が受けられるわけないでしょう!」


 腐っても枝元はプロ野球一軍の投手である。素人が彼の球を受ければ、最悪の事態もありうる。


「昨日二軍から上げた。大丈夫、いきなりでも使えると二軍監督のお墨付きだ」

「ちぇっ」


 隠そうともしないで舌打ちをしたが、監督は意にも介さずにその場を離れていく。追いかけて文句を言ったところで変更はないだろう。

 どうせあんなナリでは、捕手としては期待できないだろう。だが意外性はある。


(客寄せの話題作りってわけか。フロントがねじこんできたのかもしれねえが。だがそれに付き合わされるこっちはたまったもんじゃねえぜ!)


 枝元は愚痴をこぼしたかったが、今のうちにあの捕手の力量は確かめておかなくてはならない。せめて、本気のストレートは無理でもある程度の球を受けられなければ試合自体が成り立たない。子守りもできないのか、などと試合後に怒られたくはなかった。

 大きなため息を吐いて、枝元はボールを手に小さな捕手のところへ歩いて近づく。彼はSSサイズらしい、それでもブカブカのユニフォームでミットの調整をしているらしかった。

 近づいてきた枝元の気配に気づいて、彼がこちらを見上げる。童顔で、美形だった。あどけない、というよりももっと言えば、子供っぽい。ほんとに大丈夫なのかよ、と枝元は思うが監督命令では仕方なかった。


「よお、俺は今夜の先発ピッチャーなんだが、お前がキャッチャーやってくれるんだって?」

「はい、そういわれました! 枝元さんですよね、会えてうれしいです!」


 自分でもかなり横柄な声が出たと思ったが、帰ってきたのは子供のように元気な声だった。嫌味のない笑みも添えられている。

 昨日から一軍に上げていただいた六道ろくどうです、と自己紹介も追い打ちでつけられた。


(こんなやつが、二軍にいたのか。実力で上がってきたのではないにせよ、どんだけやれてたのか見てやるとするか)


「よし、お前ちょっと俺の球を受けて見ろ、逸らすなよ」

「はい、大丈夫です」

「サインはわかるか、俺の球種も知ってるだろうな?」


 六道は頷いて、ホームベースへと歩いて行った。捕手の定位置にガッチリ座り、マスクとミットだけで構える。やはりかなり小さく見える。これまで枝元の球を受けていた捕手は体格のいいほうだったから、余計だ。

 だが大きさに惑わされずにしっかりと確認してみれば、別の感想が出てくる。ガキだと侮っていたが、さすがに二軍でやっていただけはあった。構える姿は貫禄がある。


「どうぞ、どこに投げても大丈夫ですよ!」

「ああまあ、じゃあ軽くな」


 枝元は言葉通り、軽くど真ん中にストレートを放り込んだ。六割程度の力だが、これでもシロウトなら手が痛くなるだろう。

 しかし、六道のミットはほとんど動かずに綺麗にボールを止めた。山なりの返球も、スムーズだ。


「むう」


 意外とやるな、と枝元は認識を改めた。


「よし、知ってるならサインも出してくれ」


 要求してみると、六道はすぐに慣れた様子でサインを出し、ミットを動かした。低めのカーブ要求。

 これは枝元が何度も窮地で選択してきた決め球だった。

 なるほど、俺のことを少しは知ってるんだな。と枝元は感心しながら軽く放り込んだ。これも六道は綺麗にキャッチし、返球してくる。

 これはもう少し力を入れてもいいかもしれない。あの幼さからは信じられないが、考えてみれば二軍で立派にやっていたということは、プロの球を受けられるということだ。

 枝元は帽子をかぶりなおして、六道のサインを見る。今度は高めのストレート。右打者ならインハイ。放り込んだが、ややストライクからは外れた。


「よお、やってるな」


 と、声がかかった。ネクストバッターボックスのあたりに、誰かがいる。見てみれば、三塁手の大爪がバットを肩にかけてノシノシと歩いてきていた。


「ちょいと立たせてくれや。その方がいいだろ? 俺もたまにはな」


 そういうなり、大爪がバッターボックスに立って、バットを構える。ヘルメットまでかぶっている。

 どういう風の吹きまわしなのか、枝元にはわからなかった。彼の認識では、大爪はやる気のない選手であった。それも自分よりも輪をかけて。このような投球練習に付き合うような性格では絶対になかったはずだ。


「大爪さん! ありがとうございます」


 六道がにっこり笑って礼を言い、大爪はそれに「へっ」と軽い笑いで答えている。

 枝元はあっけにとられていた。

 だが、模擬的とはいえバッターが打席にいることで枝元に緊張感が増す。大爪は味方選手だが、似つかわしくもない真面目くさった顔でこちらを見ているからだ。

 甘い球を投げれば、バットを振るつもりだろう。試合前の練習だから、別に打たれてもなんら影響はない。ないが、新人の前でいきなり練習サボリ組の味方に打たれました、では威厳も何もなかった。

 ここは打ち取ってやろう。こっちは何かと責任の重い投手だぞ、いつも足を引っ張るやつらに実力の違いをみせてやる。


「おい新人! ちょっと本気出してやるから気合い入れて受けろよ」

「はい、大丈夫です!」


 六道は枝元の注意にも元気に応じ、外角低めのストレートを要求してくる。

 ぐっと頷いて、振りかぶって投げた。難しいところだが、ストライクだろう。

 スパン! と綺麗な音で確実に六道のミットに収まった。大爪はバットを出さなかったが、一つ追い込んだ。


「よし、受けられるな?」

「問題ないですよ!」


 返球を受け、六道が捕手として最低限の仕事ができることも確認できた。

 だがもう少し投げたいし、大爪はまだこちらをじっと見ている。

 六道はさらに外側にはずしたボール球を要求してくる。まあよかろう、と枝元は頷いた。だが振りかぶって足を踏み出した一瞬、右手の指がズルリと滑った。グリップがきかない。


「うっ」


 手足のタイミングが合わない、完全な抜け球。スピードも威力も全くない球が飛んだ。

 これを大爪は思い切り振りぬき、バットの芯でとらえる。しびれるような快音。

 打ち上げられた白球は伸びあがり、呆然と振り返る枝元のはるか後方フェンス直撃。近くで昼寝をしていた選手が、突然飛んできた打球に驚いている。


「へっ、俺もまだやれるじゃねえか」


 大爪がヘルメットを脱いで、立ち去ろうとしている。うぐぅ、と枝元は歯噛みをした。

 今の失投は完全に高めに浮いていた。くそ、ちくしょう。


「おい、待て。もう少し立ってくれていいだろ」


 思わず、そんな声をかけていた。立ち止まった大爪は振り返ってニヤッと笑う。


「なんだよ、こんな時間から熱心にやるこたぁねえだろ。今日も先発なんだろ」

「だからこそだろ。第一、たまたま当たったからってそれで終わりは完全に勝ち逃げじゃないか」

「勝ち逃げだぁ? 練習に勝ちもクソもあっかよ」


 やれやれといった調子で、大爪はメットをかぶりなおし、打席に戻った。


「柵越えを打たれねえとわかんねえのかね」

「そう何度も打たれるか! おい新人、俺が納得するまで投げるから覚悟しとけ!」


 突然呼ばれた六道は、しかし落ち着いて「大丈夫です」と繰り返している。

 枝元はロジンをつけなおし、肩を回しながらボールを受け取った。

 俺だってエースなんだぞ、という気合が戻った。


「ひゅう、こりゃあいい練習になりそうだぜ、左(投手)のな」


 大爪の軽口を聞き流して、枝元はじっと六道のサインを待った。今度はカーブ要求。しかし決め球はとっておきたい。首を振った。

 低めのストレート。これもダメ。思い切ってインハイ。迷ったが頷く。


「よし」


 放ったストレートはギリギリのストライク。入ったはずだ。六道も綺麗にキャッチ。安定感がある。


「今の外れただろ!」

「いや、入った」


 大爪の負け惜しみを一言で黙らせる。枝元は確信をもって次のサインを待った。

 六道のサインはど真ん中。普通なら首を振るところ。だがこの新人、迷いがない。テンポよく、はっきりとしたリードをみせる。

 任せていい、という気がした。ならば全力で応えるのみ。枝元は振りかぶって投げた。


「むっ」


 完全など真ん中ストレート! 大爪は鋭くスイングするものの、芯をとらえられない。ピッチャーゴロとなって枝元の足元へ転がっていく。

 これを拾い上げて、枝元はニヤリとした。先ほど大爪がしたより、ずっと意地の悪い笑い方だった。


「おい、柵越えを見せてくれるんじゃなかったのか?」

「はぁ? なんだぁ、まだ二打席一安打。五割打たれてえらそうにしてんじゃねえぞ!」

「まあまあ」


 六道が立ち上がって制しようとしたが、「すっこんでろ」とばかりに無視される。二人はそのまま言い争いに突入した。


「あのヒットはノーカウントだ、グリップが滑っただけだ」

「試合でそれが通じるわけねえだろ」

「これは練習だからいいんだ」

「なら次に打たれたら負けを認めるんだな?」

「打てるもんならな」

「おお、打ってやるよ、見てろ!」


 大爪は一度ダグアウトに引っ込み、バットにスプレーを噴き、エルボーガードをつけて戻ってきた。


「絶対打ってやる、ほえ面かくなよ!」


 これを見て一瞬枝元はあっけにとられる。だがすぐに顔をしかめ、舌打ちを一つした。


(ちぇっ、あの野郎意地になりやがって。俺の球で黙らせてやる)


 六道を見れば、まだマスクを上げたままだった。大爪に何やら話しかけてさえいるようだった。お前はどっちの味方なんだ、という声がのどまで出かかったが、なんとかこらえる。


「大爪さんの防具かっこいいですね!」


 などという無邪気な声が聞こえてきた。


「ああ、まあな……。六道、お前も防具つけたほうがいいんじゃねえか? あいつ、結構暴投するからな」


 失礼極まりない大爪の返答まで耳に届く。枝元は苛立ってグローブを鳴らした。


「おい六道、はやくサインを出せ!」

「はい!すみません」


 ちっとも悪いと思っていなさそうな笑顔で六道は頭を下げ、守備位置に戻る。しかし大爪はますます、こちらをバカにしているような悪い笑い方をした。

 何がそんなに面白いんだ、と枝元は苛立ちをおさえつつサインを待つ。

 次の配球は再び外角低め。何も考えず、枝元は六道を信じて投げ込んだ。だが、わずかに外れてボール。これは大爪も振らない。


「だが狙いは悪くなかった」

「なんだぁ、こんどは敬遠かよ」

「うるせえ、黙ってろ!」


 思いがけず枝元の口も悪くなる。大爪は30歳のベテランだが、練習もせずにサボっている選手の筆頭格だ。そんなやつになんども打たれてたまるものか。ましてや、ワンボールくらいで敬遠などといわれては。

 次のサインは外角高め。首は振らず、やはりそのまま信じて投げ込む。大爪のスイングはまさかの空振り。

 さらにその次は内角低め、枝元の制球は安定し、きわどいところに決まる。ワンボールツーストライク、見事に追い込んでいる。

 勝負となるところへ、低めのカーブ要求。うむ、と枝元は笑って頷いた。

 そうだ。俺の投げたい球だ。

 枝元は満足して、振りかぶって思い切り投げる。球は彼を裏切らなかった。鋭く回転した球は振りぬかれた大爪のバットをすりぬけ、六道のミットに吸い込まれた。


「くそお!」


 大爪はバットを放り投げ、悔しがった。が、それも一瞬だった。


「しかしまあ、三割打ててるなら問題ねえか」

「おい、ノーカウントの話だっただろ!」

「知らねえよ。そんなら試合で見せてみてくれよ、今夜先発なんだろ」

「なら、お前も今夜、三割打つんだな?」


 大爪は笑って答えた。


「俺はそうするつもりだぜ、お前は違うんかい」

「くっ……」


 枝元は答えに詰まった。プロ野球選手として、少しでもいい成績を目指すのは当たり前だったし、その先にチームの勝利という共通の目標がある。

 だが、最近はどうだ。腐り果てて、守備陣のエラーに悩み、すべてを投げ出した。

 こんな当たり前のことさえ放棄していたのだ。

 いまさら何の気の迷いかも知らないが、大爪というサボリ選手より下に見られるのは納得がいかない。

 もちろん、「お前ら内野がしっかりしてれば」とか「すでに自力優勝も消滅してる」とか言いたいことはあったが、それを言い訳にできる話でもない。

 はっきりと枝元は答えた。


「お前が三割なら、俺はHQSだ。見てろ」

「へえ、そりゃ大きく出たな」


 大爪の薄笑いを鼻息でかわし、それから六道のところへ歩いて、その肩をつかんだ。


「おい六道、俺のとっておきの球を教えてやる。もう少し受けろ!」

「はい、大丈夫です!」


 小さな捕手は、にっこり笑った。

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