大爪 高城(三塁手、30歳、右投左打)
天六コーギーズという野球チームがある。
決して強豪ではない。それどころか、12年間リーグ最下位を独占していた。毎年のようにペナント開始早々自力優勝が消滅し、その速さで賭けが行われるということまであり、しかもその賭けをしているのがチーム選手たちという救えない状態だった。
もはや名ばかりのプロ野球チームと化しており、入団を希望する選手もほとんどおらず、ホームグラウンドの整備さえもおぼつかないような有様だった。
今年も開幕早々に連戦連敗、あっという間に自力優勝が消滅するところまできていた。
例年の恒例行事であり、監督やコーチもあきらめきっている。選手たちも大半は「今年もまた最下位か」としらけ気味に自嘲し、「どうせ戦力になる選手は他のチームに行っちまうし」とグチった。
日曜日のデーゲームも落とし、チームは見事に連敗を伸ばす。もはや悔しさを感じる選手もわずかだった。
だが監督は試合後のミーティングで、珍しい一言を口にした。
「明日は休みだったが、9時から全体練習とする。二軍からあがってくる選手もいるからな。お前ら、少しはビシッとしたところを見せてみろ」
選手の何人かは、露骨に嫌な顔をした。ゲッ、と声に出したものもある。
貴重な休みが取り上げられるのでは、たまったものではない。そのような不満を見ながら、監督は黙って出て行った。
面倒だな、だがどうせ監督はこないんだろ、サボっちまえ、という小さな声があがる。
しかし完全にグラウンドにさえ来ないのは、問題になるかもしれなかった。ただでさえ素行不良を常に見られている。
「めんどくせえな」
と、先月30歳になった三塁手の大爪高城はパイプ椅子をガタつかせて背中を伸ばした。引退していてもおかしくない年齢だが、彼はまだ現役だ。だが、貴重な戦力というわけでもない。打率は1割台となって久しく、年俸も削られ続けている。
ただ彼の代わりになるほどの三塁手が見つからないので、チームに残っていられてるだけだ。
「ハッ、まあ今日は帰るとするか。せっかくの日曜なんだしよ」
そう言って帰って深酒し、次の日に起きたのは日も高くなってからだった。
布団から飛び出して、スマホの画面を見ればなんと9時半。舌打ちをして、大爪は服を着替えた。
「くそ、月曜日は寝てていいはずだろ、アラームなんて仕掛けてねえ」
だがどうせ、いくら急いでも遅刻は免れない。ゆっくり車を運転して、途中でコンビニへ寄り道してオニギリまで二つ食べて、それからようやくグラウンドに行った。
大爪の予想通り、真面目に練習している者はほとんどいなかった。見たところ、二人か三人。端の方で、打撃練習をしているようだ。
それ以外の大半は、ベンチで寝転がっているか、数少ない日陰に座ってスマホを触っている。将棋を指している者まであった。
よかった、遅刻してきたが別に大した練習でもなかったみてえだな。そんな風に大爪は安心して、自分もどこかで横になろうと場所を探す。だが、まずはあわててやってきて、喉が渇いている。
ベンチ脇に置かれていたスポーツドリンクをグッと飲み込み、ふうと息を吐き出す。
「やっぱり、こんな日に練習なんてバカのやることだぜ。へっ、がんばっちゃってぇ」
端の方で壊れかけたバッティングマシンの前でバットを振っている連中を見ながら、どこか厭世的にそんなことをつぶやく。大爪は自分がそのうち二軍に落とされるか戦力外通告を受けるであろうと思っていたが、その日までは存分にだらだらするつもりであった。まだ金なら少しある。
喉の渇きが潤されると、大爪はスマホをとりだして、歓楽街を検索した。さすがに次の日曜日の試合後は、遊びに行けるはずだったからだ。
「ふー、今から予約しとくかぁ」
気に入った女の子の情報をしっかりブックマークし、慣れた手つきでウェブ予約までしようとしている。
そこへふと、ボールが差し出されてきた。
「あの、野球しないんですか? キャッチボールしてくれませんか!」
大爪はそのボールを見て、それからそれを差し出してきた人物を見て、驚いた。異様に背丈が低かったからだ。150cmくらいか、それより少し上か。どちらにしても、(一般的な)プロ野球選手の身長ではない。それに顔もひどく幼かった。女のような童顔、そしてこの身長ではどう考えても中学生が迷い込んできたようにしか見えなかった。
「なんだこのガキは」
と思いながらも、彼がしっかりと天六コーギーズのユニフォームを着ているのを見た。
そういや、二軍から誰か上がってくるとか言ってたな。興味もなかったが、こいつなのか。と、納得する。同時に(こんなチビにさえ頼らなきゃならんとは、うちのチームはいよいよ終わってきたんだな)と笑えてしまった。
「へへへ、いいぜ。ちょっとだけな」
断ることもできた。「邪魔だ、うせろ」なんてことを言って若いやつを追っ払うなんてことは簡単だった。
だが大爪はスマホをポケットにしまって、グラブをはめた。
彼なりに、新たな一軍選手の力量を少し見てやろうという気持ちがあったのかもしれない。
もし、少しでもサボりや遅刻のことをチクチク言われるようなら、怒鳴りつけて追い返せばいいとも考えていた。
(だがそれより、チビの上に実力まで大したことがなかったら、そんときはいよいよこのチームもおかしくなっちまったってこった)
などと考えながら、ボールを片手でポンポンともてあそび、ヒョイと何の気なしにチビ選手に向かって投げる。
相手は綺麗に胸元でキャッチした。その手にはまっているのはグラブでない。キャッチャーミットだった。
「へえ、そのナリで捕手なのかよ。大丈夫なのか?」
またしても驚かされながら、大爪はグラブを構えた。するとそこに綺麗に収まるような、スマートな返球が投げ込まれた。
「よく言われますけど、大丈夫です。野球が好きなんです!」
さわやかに笑って、チビの捕手がミットを構えた。
大爪は唸った。野球が好きならこんな腐ったチームに来ることはなかったんじゃねえか? という思いが湧き上がったからだ。
(ちょっと見回すだけで、グラウンドで寝てるヤツ、遊んでいるヤツ、将棋……しかも金を賭けてやってるヤツまでいるんだぞ。こんなところで野球なんてできるわけねえだろうが)
「そうかよ。ならせいぜいがんばってくれや。名前はなんていうんだ?」
「はい! ぼく、六道っていいます!」
軽く返球をしながら会話を続ける。小さな捕手の名は六道。
変な名前だな、と思いながらも大爪は彼の球を受けた。小さな体から投げられているとは思えないほど、ピタリと大爪の胸におさまる正確な球だった。
「むっ」
なかなかいい球投げやがるな、と思う。チビのくせしやがって、と大爪の腐りかけたプライドも傷がついた。
「そらっ」
大爪は少し後ろに下がって距離を開け、クイックモーションで投げた。しかも、相手が受けにくい腹のあたりへ飛ばす。
だというのに、六道は落ち着いて少し腰を落として綺麗にミットで止めた。さらに大爪よりも素早く、コンパクトなモーションで投げ返してきたではないか。
タジタジとなったのは大爪の方だった。それでもさすがに三塁手、グラブを開いて受け止めたのはいいが、中学生みたいなガキに負けては、いくら戦力外通告寸前といえど、プロ野球選手としての沽券にかかわる。
(このガキ、もしかして俺より上手いのか? クソが、そんなことはねえはずだ)
つまらないプライドに火が付いた。大爪は「別にどうでもいい」といって、グラブを放り出すこともできたはずだったが退けなかった。
あらんかぎりの技術を使って、目の前の、小さな捕手を唸らせてやろうとした。すごい、と言わせてやるぞと思った。
それでも六道は平気な顔をして、重いキャッチャーミットを自在に動かしては器用にボールを受けてしまう。小さな体を大きく使った、見ていて気持ちがよくなるような、元気あふれるプレイだった。
なにより、六道はずっと笑っていた。楽しそうにキャッチボールをし続けている。
大爪は必死にペースをあげて、六道を困らせてやろうとしているが、全く通じていなかった。
(バカな、プロ生活10年近い俺がこんなガキに)
負けを認めたくなくて素早く投げ返そうとしたところ、手元がくるって狙いが外れた。六道から少し離れた位置にボールが飛んでいく。暴投と判定されるところだが、六道は何も問題なかったようにヒョヒョイと走ってパシンと綺麗な音をたてる。ボールはミットにおさまり、しかもかなり素早い返球が飛んできている。
(クソが! こうなったら見てろよ、お前より上手いってところを絶対、見せてやる)
もはやこうなってはキャッチボールなど、ハードな練習のための準備運動でもなんでもなかった。ひたすら楽しそうにボールを受け、返球する六道に対して大爪が必死に投げ込むという状況に変わっている。
(どうだ、今のはお前より上手く返しただろ!)
(見たか、これがプロの守備範囲だ、ガキの遊びじゃねえんだよ!)
大爪は必死に自分の力量をアピールした。六道の返球をわざと受けにくい体勢でとったり、試合でもしないほど丁寧に投げ込んだりと技巧をこらした。
しかし練習をさぼりがちでろくな運動もしない大爪は肩で息をするような状態になっており、大汗をかいて頬からしずくが落ちるような状態だった。それでもなんとかボールを六道に投げ込むが、フラフラになってその場に座り込んでしまった。
「ありがとうございました!」
と六道の声らしきものが聞こえるが、それもどこか遠くの出来事のように思える。
(負けた。あんなガキに……)
しばらく息を整えていると、誰かの足音が近づいてきた。どうやらコーチか誰かだった。
「大爪、遅刻してきた割には、しっかり練習してるみたいじゃないか。さっそく六道の相手をしてくれてたのか」
「え、ええまあ」
汗を拭きながら、顔を上げるとヘッドコーチがなにやら機嫌よさそうに立っていた。
「あいつ、二軍監督がずっと一軍で使えとプッシュしてたんだが。元気でいいじゃないか。明日から正捕手だな」
「な、正捕手!?」
なんだそりゃ、一軍にやってきてすぐさま先発入りだと?
大爪は自分が二軍でどれほどの間くすぶっていたか、一軍に入ってからも先発入りまでどれだけ時間がかかったか、思い返してもこれほどの早さでは絶対になかった。
たしかに、大したやつかもしれない。だが、あんなチビに負けたとあっては、大爪は納得できなかった。
(クソが、クソが! 負けてられねえぞ。あと少しの間だとしても、負けたままでいられるかよ)
ぐぬぬ、と歯を食いしばり、周囲を見回した。そこには、怠惰に寝転がったり、スマホをいじったりするような選手しかいない。これではだめだ。あんなことをしていては、どうにもならない。
そこでさらに遠くを見やると、バッティングマシンの前に集まる何人かが見えた。調子の悪い、壊れかけたマシンを直そうと四苦八苦しているようだ。
(ちくしょう、ちくしょう……。あいつらのほうに行くしかねえか。黙っててもうまくならねんだから仕方ねえな、クソ!)
大爪はなんとか息を整えると立ち上がり、バッティングマシンに向かって歩き出した。
正確には、それを直して練習しようとしている二人のところへ。