第7話 魔窟(スーパー)への遠征
終電間近の高円寺。飲み屋街はまだ賑やかで、焼き鳥の匂いと人いきれが夜の空気に溶けていた。
「愚民、いい酒だったな。あの“唐揚げ”という黄金の供物……尊い……!」
「でしょ。高円寺の居酒屋、侮れないんだよ……」
二人は少し足元をふらつかせながら、肩を並べてスーパーへの道を歩く。
「……そうだ、コンビニ寄らない?」
麦がぽつりと言った。
「喉乾いたし、なんか飲むもの買おうよ」
「む。ならば、早速調達だ!ついてこい!」
「テンション高いじゃん、場所わかるの~?」
コンビニは夜でも煌々と明かりが灯っていた。蛍光灯の下に並ぶ商品たち。酔った頭に、その光景はちょっとした異世界のように映る。
冷蔵棚から水を選んだ麦が振り返ると、アルフレッドはまた別の“戦”に突入していた。
「愚民……これは……!?」
彼が指をさしていたのは、雑誌コーナーの端。節約術や作り置きおかずを特集した主婦向け雑誌だ。
《“月1万円生活”の神!無敵の節約ルーティン》
「ふむ。これは……家事指南書か? 我らが暮らしを豊かにする知恵の書のようだ」
「これよさそうだね!」
麦が手を伸ばしかけた、その隣――
「ま、待て! これは何だ、愚民!」
アルフレッドが引き抜いたのは、よりによってグラビア雑誌。ピンクの表紙がやけに蛍光灯の光を反射していた。
「なっ……なんと無防備な……っ! この女、何かの儀式の生贄か⁉」
「違う! ちがうから!そういう職業の人なの!」
「なんだと!? つまり娼婦ということか! このように人目につく場所に絵姿を並べてはならないだろう‼ 破廉恥だ」
アルフレッドは雑誌を手に持ちながらも、顔を真っ赤にして目をそらしている。今にも血管がブチ切れそうだ
「だから違うってば!!」
コンビニのバイトがちらりと視線を寄越す。麦は思わずアルフレッドの腕を引き、レジに向かう。
「……ほら、節約雑誌だけ買ってスーパー行くよ。あんた絶対、酔ってるでしょ」
「酔ってなどいない。これは正義だ」
「はいはい正義ね、わかったから。グラビアは棚に返して……!」
───
スーパーの自動ドアが、まるで異世界の門のように(アルフレッドにとって)グゴゴと音を立てて開いた。
「愚民よ。これはただの買い物ではない。我らが生存をかけた戦だ!」
「アル君テンション高すぎだって……」
あれ? 今、私“アル君”って言った?
麦は自分の口から出た言葉に一瞬目を丸くする。
“アル君”なんて、距離が近すぎる。 酒のせいか。これは完全に酒のせいだ。
だがアルフレッドは、そんなことどうでもいいのか、聞こえていなかったのか、上機嫌のままだ。
ま、いっか。アルフレッドって毎回呼ぶのも長いし。
麦は呼び方について深く考えるのをやめた。
中は深夜だというのに意外と賑わっていて、揚げ物の匂い、値引きシールを貼る店員の気配、静かに戦う客たちの視線が入り混じっていた。
「……愚民、我らが魔法書(※節約雑誌)を開く時だ」
アルフレッドが真顔で節約雑誌のレシピページを開く。
「“豆腐とちくわのふわふわ焼き”何が何やら分からないが、これを作ることにしよう」
たまたま開いたページのレシピが採用された。なかなか渋いチョイスだ。
「材料は木綿豆腐、ちくわ、卵、片栗粉……」
麦がぶつぶつ読み上げるのを大人しく聞くアルフレッド。
「ちくわは、あっちの練り物コーナー。豆腐はあっち。卵は一番奥だね」
麦が指示を出し、アルフレッドが駆けるが、実物を見たことがないので、商品は麦が選ぶ。
「愚民のくせに指揮は的確だな。認めたくないが、役には立つ」
「ありがと……って、愚民言うな!!」
「これが“49円の木綿豆腐”か……! そして“2割引のちくわ”……! 麦、この世界は豊かすぎる……!」
「うるさい、黙ってカゴに入れて」
ふたりは手際よく食材をカゴに入れていく。最終的にレジに並んだカゴの中には、節約雑誌で紹介されていた“もやしナムル”“キャベツのごまマヨ和え”“冷凍うどんで焼きうどん”等、三日分の食材まで含まれていた。
計:3679円(税込)
麦は「勝った……!」という顔をしてレシートを眺め、アルフレッドは分かっているのか不明だが、謎の勝利ポーズを取っていた。
───
買い物を終え、帰宅した麦は、冷蔵庫に手早く買ったものをしまうと、酒の勢いも手伝ってソファに倒れ込む。
「もー無理。寝るー」
「愚民とはいえ、城の主としての威厳を保て」
「ただのボロ2DKだっつってんでしょ……」
アルフレッドの皮肉めいた敬意を背に受けながら、麦は着替えもせず、そのまま眠りについた。
───
翌朝。
鼻先にふわりと漂う、ごま油と焼けたちくわの香り。目を覚ました麦の視界には、朝日を浴びる白いカーテンと、キッチンでうごめく何かの影。
寝ぼけながら体を起こすと、そこにはエプロン姿のアルフレッドが立っていた。
しかし、その姿は昨夜の王子然とした姿とは違っていた。袖をまくった腕には油の跳ね、髪にはわずかに粉がついていて、エプロンには豆腐の水が跳ねていた跡がある。火加減に苦戦したのか、コンロの周囲にも調味料の跡がくっきり。
(あの人……夜中に家事雑誌、読み込んでたんだ……)
麦の目がそっと、リビングの机の上に広げられた節約雑誌へ向く。ページの端が折られて、赤ペンでマーカーが引かれていた。
(もしかして、ずっとレシピ研究して、慣れない手つきで朝ごはん作ったのかも……)
心の中に、感謝の花がほわっと咲く。
テーブルの上には、ふわふわの豆腐とちくわの焼き物。ほかほかの炊き立てご飯、そして豆腐の味噌汁が並んでいた。特売豆腐をうまく使っている。
「おはよう、愚民。我が初めての調理、存分に味わうがよい」
「うん、ありがとう……アル君」
言いかけて、麦は一瞬手を止めた。
そのとき、アルフレッドの眉がぴくりと動く。
「……愚民。“アル君”という呼称についてだが」
やっぱりアル君呼びはまずかったか。
「我が名に“君”をつけられるなど、軽々しく呼ばれる筋合いではない。あれは酒の過ちとして、今後は控えてもらおう」
「はいはい、すみませんでした“殿下”」
麦は苦笑しながら箸を取り、ひとくち、ふわふわ焼きを口に運ぶ。
外は香ばしく、中はやさしい豆腐の食感。ああ、やっぱりうまくいかなかった部分もあるのか、少し油でべっちゃりとしている。でもそれもまた、努力の証。
――麦は、ふっと目を伏せた。
「美味しいよ、アル……殿下」
アルフレッドは何も言わず、満足そうにふんと鼻を鳴らした。
───




