第4話 王子、居酒屋に立つ
夜、商店街は店から漏れ出る明かりと人の熱気で賑わっている。
星野麦はエコバッグを肩にかけ、スニーカーの足取り軽く歩く。
その後ろを、豪奢な黒と金のマントを翻し、金髪を街灯にきらめかせるアルフレッド・ヴァレンシュタインが堂々と歩く。
肩の金の飾り紐が揺れ、胸元の刺繍が光を反射するその姿は、まるで中世の宮廷からタイムスリップしてきた騎士。
通行人がチラチラ振り返り、子供が「ママ、あの人コスプレ!?」と指差す。麦は苦笑。王子、目立ちすぎる。ただでさえ人目を集める美形なのに、着ているものがこれでは、流石に商店街では浮きまくる。
アルフレッドはキョロキョロと周囲を見回し、興味津々だ。
「ふむ、この市場…民の活力が溢れておる。あの串肉、得も言われぬ香ばしい香りがするぞ!」
焼き鳥屋の煙に目を輝かせ、八百屋の山積み野菜には「立派だ。だがこんなに大量に仕入れて、売り切れるものなのか?」と感嘆。果てはガチャガチャの機械に「これは何の装置だ?」と両手で筐体を掴みかかり、店主が不審な目でこちらを見ていることに気づいた麦が「王子、それは ただのおもちゃだから!」と引っ張る。
―――その日、アルフレッドは留守番中、麦の2DKでこの世界の「研究」に没頭していた。民の暮らしを映す魔法の箱、つまりテレビを見て確信した。
そこに映し出される全てが、王子の元の暮らしとはまったく違う。
着ているもの、食べるもの、暮らし…そして、この世界にはヴァレンシュタイン王家が存在しないらしい。
城の場所さえ分かれば帰れると期待していたが、この世界にはヴァレンシュタイン王国が存在しない。
麦の本棚にあった世界地図は、王子の知る地形とは全く異なり、生まれ育ち、己が背負って立つことを決意した"あの王国"を見つけることすら叶わなかった。
麦の本棚を見ると『死んだと思ったら異世界だったので、のんびり生活することにした』『異世界ライフは順調です』『普通のOLが異世界転生したら悪役令嬢として貴族ライフを送ることになった件』…などなど、"異世界"というワードの背表紙が複数あった。
それらの本をパラパラとめくると、自分と同じように、違う元の世界とは全く違う世界に転移、または転生する人々の暮らしが記録されていた。
なんということだろうか…。
異世界があるなど、聞いたことすらなかった。だがしかし、自分が今おかれている境遇、そして同じような経験をした人々が何人もいるのだ。
「余は、異世界に転移…したのか…」
急に孤独な虚脱感に襲われる。これまでの人生は、王国のためにのみ、まっすぐ生きてきたのだ。それが、このような予期せぬ形で道が阻まれた。
そうだ、戻る方法が書かれているんじゃないか!?
"異世界"というワードの本を読み漁る。
アルフレッドは二つのパターンを見出した。
一つ目、元の生活がうまくいっていないケースでは、転移先での暮らしにのみフォーカスされ、そこで冒険や恋愛をし、暮らすというもの。この場合、元の世界には戻らない。
二つ目、転移した主人公が元の世界に戻るための冒険を始め、その過程で困難や試練を乗り越え、成長していく姿が描かれ、最後は元の世界に戻るもの。
…後者だ、絶対に自分は後者であるべきだ。
後者のケースを良く知るため、食い入るように本を読み漁った。
そこで分かったのは、2つ目のケースでは、転移した主人公は、何かしら異世界で"やりとげるべきこと"があり、その問題が解決したときに、元の世界に戻れる、というものだった。
余には、この世界で解決すべき問題が何かあるに違いない。
確証など何もないが、アルフレッドはそう信じた。
一体、解決すべき問題とは何なのだろうか…、疑問がちらつくが、弱気になってはいけない。
「余は…このような試練には屈しない。問題とやら、必ず解決してみせる…!」
古びた6畳の和室の中、アルフレッドは立ち上がり、そう宣言した―――。
そんなアルフレッドを連れ、麦は商店街の奥、細い路地に佇むお気に入りの居酒屋「大将の隠れ家」に辿り着く。赤提灯が揺れ、ガラス戸から漏れる笑い声が温かい。
麦はドアをガラリと開け、「大将、二人なんだけど入れる?」と元気に叫ぶ。カウンターと小さなテーブル席がいくつか置かれた、こぢんまりした店内は、常連のサラリーマンと学生で賑わっている。
アルフレッドはマントを翻して入店し、店中の視線を一気に集める。
大将、恰幅のいい中年男がエプロンを拭きながらカウンターから顔を出す。
「お、麦ちゃん、今日は派手な彼氏連れてきたな!」
「ち、違うって! 彼氏じゃないよ!」 麦は顔を赤らめ、慌てて手を振る。
この店主、まるでデリカシーが無いのだが、作る飯は美味い。しかも財布に優しい。
店奥の小さなテーブル席を案内される。
アルフレッドは怪訝そうに眉を上げ、「彼氏とは何だ? 民の爵位か?」と尋ねる。
麦は「いーのいーの、なんでもないから忘れちゃって!」とカウンターの端にアルフレッドを座らせる。
「まずはこれ!」 麦はメニューも見ず、店員に「レモン濃いめのサワー、二人分!」と注文。
アルフレッドは「サワー? 薬の一種か?」と首を傾げるが、麦が
「違うよ、お酒!口に合うか分かんないけど、ま、とりあえずね」と笑う。
本来、とりあえずで頼むのはビールだろうが、麦はまだあの苦みを旨味として捉えられるほど大人の舌を持っていなかった。
グラスが届き、麦がグラスを胸の高さまで持ち上げ、王子の顔を覗き込む。
王子は酒場で民がお互いの飲み物の入れ物をぶつけあう姿を思い浮かべ、この世界でも民の乾杯は同じなのか、と思いながらも、麦と同じようにグラスを持ち上げた。
「「乾杯!」」
グラス同士がぶつかりあう音と一緒に、二人の笑顔がぶつかった。
シュワシュワと泡立つレモンサワーをアルフレッドが慎重に口に運ぶ。
(うわ、なんだこの味は)
初めての味に内心驚きながらも、ゴキュゴキュ美味しそうに麦が同じものを飲む姿を見て、こういう味のものなのだと思うと、意外といけた。
一気に飲み干す王子に、麦は「王子、ペース速いって!」と笑いながら自分もグイッと飲む。
「お通し、はいよ!」 大将が塩だれキャベツをドンと置く。続けて、麦が注文した長芋の溜まり漬け、キュウリ一本漬け、もつ煮込み、ポテトフライ、焼き鳥が次々に運ばれる。
焼き鳥の湯気が立ち上り、もつ煮込みの濃厚な香りが漂う。
アルフレッドは箸を手に「この細棒は何だ?」と困惑し、麦が「こうやって持つんだよ」と手を取って教える。
ナイフとフォークもらえばよかったかな~、でも日本の生活に慣れてもらういい機会かな、と楽観的に思う麦。
常連客が「若いカップル、楽しそうだな!」と冷やかす中、アルフレッドは焼き鳥を一口かじり、「この肉、香ばしさとあふれだす肉汁…! 」と感嘆。
覚えたての箸使いでキュウリの漬物をパリッと齧り、「この歯応え、相当新鮮に違いない。先ほど見た、野菜売りのところで仕入れているのだろうか」などと大真面目に言う姿に、麦はニマニマ。
王子、楽しそう。連れてきてよかったな。
この店には、元彼の健太と何度か来たことがある。あの頃も楽しかったけど、今のアルフレッドとの時間が楽しくて胸がくすぐったくなる。
大将がカウンター越しにニヤニヤしながら、
「麦ちゃん、今日は特別だな!」
と唐揚げの皿をサービスで置く。
「ほら、二人で仲良く食えよ!」
麦は「大将、ほんとやめてって!でもありがとう!」
麦は顔が真っ赤になるのがわかり、恥ずかしかった。なんだか体も熱くなってきて袖を捲った。
王子は貴族然とした態度で大将に礼をしていて、麦が真っ赤になっていることをまるで気づいてもいないようだった。
サワーも3杯目に突入し、ほろ酔いの麦はふと真剣な顔になる。アルフレッドの碧い瞳をまっすぐ見つめ、ポツリと尋ねる。「ねえ、王子…本当に、どうやってこの世界に来たのかわからないの?」
アルフレッドは焼き鳥の串を置き、マントの裾を整える。
「分からない。…余もその答えを求めている。ここに来る直前、王国の魔術実験室にいたのだが…」 彼は長いまつ毛に囲まれた瞳を伏せ、
「…気づけば愚民の住処にいた。」と絞り出した。
「なんで魔術実験室にいたの?覚えてる?」
「それは…兄上、クロード第一王子の母君に呼び出されたのだ。行ってみると、そこには魔術師が居て、余がこれまでに見たことがない魔術を見せる、と言ったのだ。断る間も無く、余の目の前に光の環を召喚し、それを見た次の瞬間には、…もうこの世界にいたのだ」
麦は血の気が引いた。
嫌って程、身に覚えのある話だった。
これ、クロード王子ルートのシナリオだ―――。