第28話 二人、それぞれの新しい生活
アルフレッドがいなくなってからというもの、麦は、これまで以上に仕事に打ち込んだ。
深夜までパソコンに向かうことも増えた。
食事はだんだんとおろそかになった。
コンビニ弁当を買って済ませたり、カップ麺をすすったり。
冷凍庫を開ければ、以前アルフレッドが小分けにしたおかずがまだ残っていて、それを見るたびに小さく胸が痛んだ。
彼の言いつけ通り、しっかり食べようと思ったが、一人の食事はなんだか味気なく、食べることが億劫になっていった。
夜になると、ふと部屋の静けさが耐えられなくなる。
前は「早く風呂に入れ」とか、「そんな栄養の偏った菓子ばかり食うな、米を食え」とか、口うるさい声がいつもあった。
今はただ時計の秒針が響くばかりで、その静けさがやけに寂しい。
やがて、体重は気づかぬうちに4キロも落ちていた。
鏡に映る自分を見て「痩せたな」と思うよりも先に、「アル君に怒られる」と感じてしまう。
そんな空虚な毎日を抱えながらも、ゲームは無事に完成し、発売日を迎えた。
アルフレッドのSNSで、彼の容姿がゲームに登場する攻略キャラにそっくりだと話題になり、そのおかげかゲームの売れ行きは好調だった。
麦自身も、開発チームでの貢献により、今期の評価は上々で昇給は間違いない。
仕事の手応えを感じられた。
けれど、2DKの家はひどく広く感じられ、静けさはなおさら堪えた。
離れた方がいいのかもしれない――そう思いながらも、彼と過ごした空気の残るこの部屋を手放す気にはなれなかった。
――――――
仕事帰りの夜、麦は駅前のカフェでスマホをいじりながら、待ち合わせ相手を待っていた。
やがてドアが開き、華やかなワンピース姿の花蓮が現れる。
「麦〜!」
「花蓮!」
席につくなり、花蓮は麦の顔をまじまじと見て、眉をひそめた。
「ちょっと、痩せた?しかもめっちゃ疲れてない……?」
「……うん。ちょっと、仕事が忙しくてね」
麦は苦笑でごまかす。
「……何かあったら、ちゃんと私に頼ってよ。友達なんだから」
花蓮は大きな目で覗き込みながら心配する。
優しい言葉に、じんわり胸が温かくなる。
「そうだ、麦見てよ」
花蓮がスマホを差し出す。
画面には、何度も見たあの横顔――アルフレッド。
「……っ」
心臓がぎゅっと掴まれる。
花蓮は無邪気に続ける。
「最近すっごいバズってるんだよね、この人。急に投稿が途切れちゃったらしいんだけど……。ほら、新しく出た乙女ゲーの攻略対象のキャラにそっくりだって。イラストのモデルだったのかな?」
「そのゲームね、……私、制作に関わったんだ」
「え、マジ!?すごっ!」
花蓮の目が丸くなる。
「じゃあ……もしかして、この人がモデル?」
麦は笑顔を取り繕い、首を横に振った。
「さあ?偶然似てただけじゃないかな」
「ふうん……あーあ、こんなイケメンと出会いたいなあ~。リアルに王子様って感じじゃん?」
「……そうだね」
麦は曖昧に返しながら、胸の奥で苦笑する。
(この王子様が、同じ部屋で一緒にご飯食べて、洗濯物たたんでたんだな……)
麦の心に懐かしく温かい記憶が込み上げていた。
「そういえば、あの"気になる彼"とはどうなったの?」
目をキラキラさせる花蓮とは対照的に、麦は表情を曇らせる。
「……えっとね、結局、うまくいかなかった。でも花蓮のおかげで少しは私も綺麗になれたと思うよ、本当に感謝してる」
「そっかあ残念……まったく、こんな美人を選ばないなんて、相手の男はどうかしてるよ!」
選ばれなかったというより、選ばせなかった。でも、これでよかったはずだ。
その相手の男は、花蓮のスマホにまだ表示されていて、麦は苦笑した。
「だね。でもなんか疲れちゃったから、しばらく恋はいいかな」
花蓮はストローをくるくる回しながら、ふっとため息をついた。
「まあ、恋ってさ、エネルギーいるもんね。……じゃあそのかわり、私ともっと遊んでよ」
上目遣いのキュルキュルとした瞳でいたずらっぽく笑う花蓮に、麦は思わず笑顔になる。
「もちろん!ほんとにたくさん誘っちゃうからね」
彼がいなくなってからずっと薄暗い日々だった。
けれど花蓮と話していると、不思議と心の曇りが晴れていく気がした。
――また笑える日々を、少しずつ取り戻せる気がした。
――――――
アルフレッドが居なくなって半年。
心の痛みも薄れ、すっかり日常を取り戻していた。
今になってみると、嘘みたいな日々だったと思う。
ゲームの王子が現れて、同居していたなんて。
疲れすぎて幻を見ていたのでは、とさえ疑ってしまう。
天気の悪い休日。窓の外では雨が打ちつけ、風がカーテンを揺らす。
こんな日は外に出る気にもなれない。
ふと思いたった麦はソファに座り、ゲーム機を握る。
シナリオライターとしてではなく、ただのユーザーとして、ゲームを初めてプレイしてみることにした。
仕事としては、ずっと向き合ってきた作品だが、リリースしてからはなんとなく直視することを避けていた。
プレイヤーの名前を「麦」に設定。
迷いなくアルフレッドルートに進む選択肢を選ぶ。
(私、ちょっと気持ち悪いことしてるかな……ま、ゲームだし、いいよね?)
画面の中のアルフレッドは、ヒロインであるプレイヤーに向かって
『麦、ずっと一緒にいよう』
『どうしてそんなに可愛いんだ、麦、君を守らずにはいられない』
と、キザなセリフと共に、ヒロインの頬に触れるスチルが表示される。
自分で書いたセリフではあるが、麦は苦笑する。
(現実のアル君はこんなじゃなかったな。もっと不器用で、でも温かくて……)
思い出すのは、横柄に悪態をつく姿。
なんにでも破廉恥だと言って怒って回る姿。
健太と対峙したときに麦を守る姿。
手を繋いだときの真っ赤な顔。
ほんの一瞬だきしめられたこと。
そしてそれを忘れろと怒る顔。
それなのにいつも麦を心配してもはや過保護な姿。
心の奥に閉じ込めていたはずの、彼との思い出が色をもって蘇る。
ゲームに登場する彼は紛れもなくアルフレッドなのに、違う。
「こんなの……私の知ってるアル君じゃないなぁ……」
胸がきゅうっと痛む。
思わず涙がこぼれた。
(……やっぱり、プレイするんじゃなかった)
ティッシュを探して立ち上がろうとしたそのとき――
ひときわ眩い光と雷鳴が走った。
「……っ!」
近くで雷が落ちたのかと、カーテンを開けて外を見た。
すると窓の外に人影が見える。
(不審者!?)
と思ったのは一瞬。
「どうしてこうも毎度天気が悪いんだ!」
その男は、空に向かって悪態をついていた。
――そこには、出会ったあの日と同じ姿のアルフレッドがいた。
「えええええ!?……アル君!?」
見間違いかと思って目をこする。
だが間違いない、本当にそこにいる。
麦は慌ててカラカラと窓を開ける。
アルフレッドは濡れたマントをたなびかせ、目を細めて麦を見つめた。
「久しぶりだな。麦」
偉そうな姿は健在で、以前にも増して堂々としている。
着ている服は、前に現れた時よりも豪華さがパワーアップしているように見える。
少し髪も伸びたようだ。
「ええええ、なんで、なんでここにいるの!?」
「……まずは喜んで迎えられると思ったんだがな」
少し不満げな顔のアルフレッド。
彫刻のように美しい顔は相変わらず。
アルフレッドは、麦の唖然とした顔をじっと見つめ、ふっと口角を上げた。
「外で突っ立っていては風邪をひく。……部屋に入れてはくれぬのか?」
「え、あ、そ、そうだよね!」
慌てて麦はドタバタと窓を大きく開け、アルフレッドを中に招き入れる。
彼は靴を脱ぎ、マントから滴る雨粒が落ちぬよう、くるりとまとめて抱えて部屋に入る。
床を汚さないようにする生活感あふれる姿に、本当にアルフレッドがこの部屋に帰ってきたのだと実感した。
「……で、なんで急に戻ってきたの?」
麦が問いかけると、アルフレッドは少し誇らしげに胸を張った。
「余をこの世界に送り込んだ魔術師がいたであろう。――あやつを散々しばきまわし、異世界転移の技術を吐かせた」
「えっ、しばき……!?」
「軽くしばいただけだ」
「軽く!?」
「不完全な技術であったが、余は政務の合間を縫って、その技術を完成させ、転移装置を作り上げたのだ」
アルフレッドは胸を張り、懐から一冊の分厚い本を取り出す。
表紙には金色の文字が刻まれ、不思議な輝きを放っていた。
「この本に転移の呪文を書き連ね、手をかざすことで詠唱と同じ効果を得られる。……それを用いて、王宮の余の部屋と、この家をつなぐことに成功したのだ」
なんだかよく分からないが、そういえばアルフレッドが剣と魔法の国の住人だったことを思い出す。
この世界では魔法は使えないらしく、実際に魔法を使っているところは見たことがないが、ゲームの設定では、魔法の腕も超一級のキャラクターである。
「政務をこなしつつ、この装置の開発するのは骨が折れた。上手くいかず、何度もくじけそうになった。だが、やらずにはいられなかった」
彼の熱のこもった視線が真っ直ぐに麦に注がれる。
「……会えぬ間も、ずっと麦のことを想っていた」
麦の頬が一瞬で熱くなる。
「な、なにそれ……急にズルい……」
耳まで真っ赤になり、視線をそらす。
自分から言ったものの、彼もなんだか恥ずかしくなり、麦から目をそらした。
その時――テレビの画面にアルフレッドの目がとまった。
そこには、ヒロインに甘い言葉を囁き、頬に触れるゲームのアルフレッドのスチルが表示されている。
「…………」
アルフレッドの眉がピクリと動く。
「な、なななな、違うの!これは、その……仕事の一環で!」
慌てて麦がコントローラーを隠そうとするが、アルフレッドは素早く掴み取った。
奪った表紙にボタンを押してしまったのだろう。
画面にセリフが表示され、キャラの音声が流れる。
『麦、君の笑顔は世界で一番美しい』
「なっ……な、な……!!!」
アルフレッドの耳まで真っ赤になり、声が裏返る。
「な、何を考えているんだこの男は!!!」
「ちょっと!アルフレッド様にそんな言い方しないでよ!」
「こんな軟派な奴を"アルフレッド"と呼ぶな……っ、こんな……っ!」
アルフレッドは真っ赤になって吠える。
さらに彼の視線がプレイヤー名に留まった。
――そこには「麦」と表示されている。
「……おい」
低い声に、麦の背筋が凍る。
「な、なに……?」
「……ヒロインの名が……麦、だと?」
「ひいっ……!」
麦の顔が青ざめ、次の瞬間には耳まで真っ赤になった。
「ち、ちがっ……これは、えっと、間違えて入力しちゃって!」
「間違えて!? 自分の名をわざわざ……!」
アルフレッドの顔も麦と同じくらい赤くなり、二人は互いに言葉を詰まらせる。
「~~っ、もうやだぁ……!!!久しぶりに会えたのに、なんでこんななのぉ!?」
「む、麦のせいだろう!こんな……こんな不埒な遊びを!!」
部屋には雷鳴よりも騒がしい、二人の動揺した声が響き渡った。
だが急に、アルフレッドはまじまじと麦の顔をのぞき込む。
「え?なに急にそんなに見ないでよ……!」
麦は恥ずかしくなり、両手で顔を隠す。
見られ慣れているはずだが、完全にすっぴんの姿を美形からジロジロ見られると恥ずかしい。
アルフレッドは眉間に皺を寄せる。
「……やはり痩せたな」
「えっ……!?」
「ほれ、頬もこけておるし。目の下には隈。しかも髪はぼさぼさ……」
「ちょっと! 久々の再会なのに乙女にそんなこと言う!?」
「何が乙女だ! 余のいない間、ちゃんと食っておらなんだろう!」
「食べてたよ! 忙しいときにもコンビニのおにぎりとか食べてたもん!」
「……それを“食べた”と呼ぶな! 栄養が偏っているではないか!」
「もー!なんだっていいでしょ、この小姑!」
「いいわけあるか!」
麦はぐぬぬと悔しげにうなる。
「……やはり、余がそばで見ていなくては」
アルフレッドはふと真顔に戻ると、懐から先ほど見せてくれた本、異世界との転移装置を二冊取り出した。
「……これは二冊ある。一冊を、そなたに渡す」
おずおずと受け取ると、ズシリとした重みがある。
「魔力がなくとも使えるように作ってある。……麦、そなたも余の元へいつでも来られるのだ」
「えっ……ほんとに?」
麦の声が震える。
「好きな時に来ると良い。余は仕事が終わったら、毎日ここに来るつもりだ」
「毎日!? そんなに来て大丈夫!?」
「忘れているようだが、余は優秀だ。きっちり政務は終わらせてから来る」
堂々と胸を張るアルフレッドに、麦は思わず吹き出す。
「会いたくなれば、いつでも会える。麦が寂しいときも、疲れたときも、腹が減った時も……余はいつでも歓迎する」
その声音は、甘く、優しく、まるで誓いのようだった。
麦は唇を噛んで、そっと目を伏せる。
「……一人でも大丈夫って言ったのに」
「……余は、一人では大丈夫ではなかった」
熱っぽい真剣な声。
「……だから、これから毎日麦に会いに来るつもりだ」
どうしようもなく嬉しい。
でもどう答えていいかわからず黙っていると、彼は不安げな顔で訊ねる。
「迷惑ではないか?」
「うーん、毎日は流石に多すぎるかも?」
「そうか……」
「うそうそ、嬉しいよ! 毎日きて!」
「信じてよいのか……? まったく、本当のところ、余のことをどう思っているのか分からん」
(ああ、やっぱりこの人だ。私の知ってるアル君だ)
軽口を叩き、実感する。
「本当のところ、か。……あのね」
ふうっと息を吸い、深呼吸。
(やっと言える……)
「アル君……大好きだよ!」
ずっと言えなくて後悔していた言葉だった。
麦に微笑みかけられ、アルフレッドは嬉しさのあまり硬直。
まるで脳が沸騰しているかのようだった。
(あ、かわいい)
耳も首も真っ赤な彼を愛おしく感じて、思わず抱きしめた。
暖かく柔らかい感触に、彼は何も考えられなくなり、抱きしめ返そうとするが、すんでのところで理性が戻り、腕が空中を泳ぐ。
「は、ははは離れろ! 婚約もしていないのに、破廉恥だ!」
できるだけ麦に触れないよう、彼がじたばたした拍子に、ゲームのコントローラが床に落ちた。
ボタンが押され、ゲーム内の音声が流れる。
『愛してる、麦』
「お前は黙ってろ‼」
激甘のセリフを吐く、ゲームの中のアルフレッドに向かって彼は叫ぶ。
それが面白くて、麦は笑い出し、つられてアルフレッドも笑い出した。
二人の笑い声が、久しぶりに部屋に響く。
そして――二人の新しい生活がまた始まるのだと、互いに確信していた。
―――――――
二人は夕飯を済ませ、麦は風呂へ。
アルフレッドは一人、キッチンのイスに座って、難しい顔をしていた。
(しまったな……)
アルフレッドは懐から小箱を取り出した。
(……本当は、今日これを渡すつもりであったが……)
ぱかりと小箱を開けると、中には大きな石が付いたとびきり美しい指輪が入っていた。
それは、彼が初めて女性に贈る指輪だった。
だが、再開できた喜びに舞い上がり――完全にタイミングを逃してしまったのである。
(……だが、今はまだいい)
こうして麦と一緒に、また笑っていられるなら。
それが何よりの答えなのだから。
「……次に来た時でいいか」
そう呟き、幸せそうな笑みを浮かべた。
これにて完結です!
初めての執筆で、試行錯誤しながらでしたが、なんとかゴールできて、ほっとしています…!
これから二人は幸せラブラブに暮らしていくんだろうな~。
無事婚約したら、アルフレッドはイチャイチャすることに抵抗なくなってベタベタの甘々になるのかな…?
二人の今後は作者にも分かりませんが、ここまで見てくださって、本当にありがとうございました!




