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第22話 王子、弟子入りする

アルフレッドにとある地方の観光PRの依頼が来たあの日以来、二人の生活はなんとなく甘ったるい空気を引きずっていた。温泉宿での夜、布団を慌てて引きはがしたり、庭での散歩で距離を詰めすぎて真っ赤になったり…。お互い、あの夜のことは明確に言葉にしなかったけれど、気まずさと同時に妙な親密さが残っていた。


そんなある日、麦が「今日、夕飯どうする?」と問いかけたのが、事件の発端だった。


「何か食べたいものはあるか?」

「うーん、正直なんでもいいなあ……。あ、オムライスはどう?」

「オムライスか……卵が残り少ないのだが、ちょうどよい」

アルフレッドが真剣な顔でスマホのメモ帳を開き、きっぱりと告げる。

「KOスーパーで本日夕刻より“卵一パック98円”の戦いが始まるらしい。余はこれを見逃すわけにはいかぬ」


「……戦いって何?」

「おぬし、知らぬのか?一国の存亡をも左右しかねぬ、民の熾烈なる争奪戦だと聞く!」


大げさに言うアルフレッドに、麦は思わず吹き出した。

「いや、ただのタイムセールだから。お客さんがダッシュして卵カゴに突っ込むやつね」

「卑怯な奇襲も辞さぬ戦場……まるで古戦場ではないか」

「全然違うよ!」


結局、アルフレッドが「必ずや卵をゲットしてみせる」と、二人はスーパーへと繰り出した。


夕刻。

スーパーの鮮魚コーナーを通り抜けたその先、卵売り場の前には、すでにずらりと数十人の女性たちがカゴを構えている。

物価高の今、卵1パック98円は破格だ。

彼女たちの瞳は歴戦の戦士のような静かで鋭い光を宿していた。


麦は彼女たちの背中を見て「うわ…」と小さく声を漏らす。

「たしか限定50個だったよね。買えるかなあ……?」

「ふっ。余を誰と心得る?王宮仕込みの剣技と洞察力で必ずや卵を確保してみせる」

「剣技いらない!危ないから!」


ざわざわと群衆がざわめき始めた。店員がカートで卵を運び入れてくる。

「ただいまより卵のタイムセール、一家族様一点限りでーす!」

その瞬間、空気が張り詰めた。主婦たちの目がぎらりと光る。


「来るぞ……」

アルフレッドは構えをとり、麦もごくりと唾を飲み込む。


開戦。

主婦Aが突撃。素早い。

主婦Bはカートを盾にしながら横から割り込む。

アルフレッドは一瞬で間合いを測り、華麗にすり抜けた。

「ぬぅっ……!」と唸りながら腕を伸ばし、卵に手をかける。


が、そこに立ちはだかったのは、筋金入りのベテラン主婦の山本幸恵(52)。

節約・倹約が趣味の彼女は、今日も家族に栄養満点の食事を最安値で届けるために戦場に赴いていた。

この地域のスーパー界隈では、値引きハンターとして顔を知られている存在だ。

強引さと無遠慮ながらもしなやかさを兼ね備え、そして圧倒的なスピード感で値引き品をゲットするのが彼女の特技だ。


「お兄ちゃん、悪いね!」

ガシッと彼女のカゴがアルフレッドの進路を遮る。

「おおっ……!?」

まるで剣戟のような激突。

そのすきに、彼女はスイスイと卵の棚に近づいていく。


「なにこれ、こんな激しいの……!?」

人の波にブロックされ、まったく卵に近寄れない麦。

「そんなところで遊んでないで、援護せぬか!」

「遊んでるわけじゃないって、もう無理だよ~」

早々に戦意喪失した麦は、少し離れて卵の争奪戦を眺めることにした


幸恵によるブロックで進路を遮られ、アルフレッドはそのまま卵にたどり着けないまま、女性たちを押すわけにもいかず、立ち往生。

「あ~……」という残念がる声が周囲から聞こえ、「はい、卵のタイムセール、しゅ~~~りょ~~~!」と店員の声が響き渡ると、先ほどまでの殺気が瞬時に消え、皆ノロノロと散らばって行った。


アルフレッドはといえば、ややくたびれてシュンとした顔で、麦の元に帰還する。


「……負けてしまった」

「ま、仕方ないよ。定価で買えばいいって」

早々に戦力外になった麦は、アルフレッドを元気づけようと肩をポンと叩く。


隣を通りがかった幸恵がちらりとアルフレッドのカゴに何も入っていないのを見ると、「あら、お兄ちゃん。さっきは押しちゃってごめんなさいね」と声をかけてきた。

「いえ、戦場に遠慮は無用。余の力不足が露呈しただけにすぎない」

「ははは! ま、スーパーは戦場みたいなもんよね!」

アルフレッドの妙な言葉遣いも(変な日本語を勉強しちゃった外国人かしら)と気にせず、幸恵は豪快に笑い飛ばす。

そんな彼女を見て、アルフレッドは一瞬考えこむような表情をして、神妙に切り出す。


「……ご婦人、貴女は多くの戦いを潜り抜けてきた方とお見受けする」

「まーね! かれこれ30年以上は主婦やってるからね!」

「30年……ベテランではないか。……無礼を承知だが、ぜひ一度、ここでの戦い方を指南いただけないだろうか」

隣で聞いていた麦は(指南!?)とギョっとしたのが顔に出る。


幸恵は目を丸くした。

「指南? あんた、なに言ってんの」

「タイムセールを制する者は、食卓を制する。余は今日それを痛感した。……ご婦人、どうか余に『タイムセール攻略の極意』を授けていただきたい」


両手を胸に当て、真剣なまなざしを向けるアルフレッド。

その姿はどう見ても「国の未来を背負う王子が、師を求めている」図だったが、ここはただのスーパーの乳製品売り場。隣の麦は恥ずかしくてたまらなかった。


「ちょ、ちょっとアル君。なんてこと頼んでるの! 迷惑かもしれないでしょ!?」

「麦、黙っていろ!これは余の誇りにかけた戦いなのだ」

「だから誇りのかけどころおかしいって!」


だが幸恵は、なぜか腕を組んで「ふーむ」と考え込んだ。

「……ま、いいか。若いのにやる気あるじゃない。うちの息子より根性ありそうね」

「おおっ……!」

「よし! あたしが直々に教えてやるわ。値引きの真髄を!」

「かたじけない……!」


こうしてアルフレッドは、地域最強の節約戦士・幸恵に“師事”することとなった。



――――――



三日後、幸恵とKOスーパーで待ち合わせる。

「アルさん、いい? タイムセールってのはただ走ればいいんじゃないのよ。情報戦が大事!」

幸恵はカゴを片手にスーパーの入口で講義を始めた。

「まず、どの棚に何時に値引きシールが貼られるか把握する。肉はこの時間、魚はこっちの店。で、パンは……」

「なるほど……!つまり兵站と地形把握に通ずるのだな!」

「へいたん……? ま、そんな感じ!」


麦は隣でぽかんと見ていた。

「アル君、本気で弟子入りしてるんだ……」

「当然だ! 麦よ、余はもう失敗せぬ。値引き品を守り抜くと誓ったのだから!」

「守り抜くって、なんか国を背負ってるみたいに言うなあ……」


「実戦は次の日曜だから、それまでに勉強してシミュレーションしておくんだよ!」

「承知した!」

幸恵の力強い声かけに、アルフレッドは目に炎を燃やした。



――――――



日曜、KOスーパーの夕刻。

店内は妙な緊張感に包まれていた。

「タイムセール、ただいまより開始しまーす! 本日のお肉半額でーす!」

マイク放送が響くと同時に、店内の空気が一変する。


「アルさん、今よ!」

幸恵の声は低く鋭かった。まるで戦場に響く号令のようだ。


「心得た!」

アルフレッドは姿勢を正し、獲物を狙う鷹のように視線を走らせる。

その一瞬の眼光に、麦は「これ、ただのスーパーのタイムセールなんだよね……」と内心ツッコミを入れずにはいられなかった。


人波が一気に肉コーナーへ押し寄せる。

カゴ同士がぶつかり合い、あちこちで「すみません!」という声が飛ぶ。

そんな中、アルフレッドは迷わなかった。


すっと身体を傾け、カートを盾に突っ込んでくるおばちゃんをかわし、滑らかな動きで脇をすり抜ける。

「……あっ!」と誰かが驚く間に、アルフレッドの手はラスト一パックに伸びた。


指先がトレーに触れた瞬間、別の手も伸びてきた。

「お兄ちゃん、譲りなさいよ!」

「ぬぅっ!? 負けてたまるか……!」


一瞬の攻防。だがアルフレッドは力でねじ伏せるのではなく、手首の角度を巧みに変えて、相手の手を自然にすり抜ける。

そのまま、すぽん、と鶏肉のパックを持ち上げた。


「やった……! 余が掴んだ!!」


カゴに収めた瞬間、周囲から小さなどよめきが起こった。

「……すごい動きだったね、あのお兄ちゃん」

「え、まって顔がカッコよすぎない?」


麦は唖然としたまま拍手をしてしまった。

「アル! やったじゃん! ほんとに取れた!」

「当然だ。余は身体面でもこれまで訓練を怠ってこなかった……だが、これは余独りの力ではない」

アルフレッドはくるりと振り返り、当然のように半額の肉パックをカゴに入れて余裕顔の幸恵に深々と頭を下げる。

「師匠よ! 御教示のおかげに他ならぬ!」

「声が大きいよ~……」麦は顔を覆う。


幸恵はというと、にかっと笑って親指を立てた。

「よし! 弟子合格!」

「ありがたき幸せ!」

二人は爽やかに、熱い師弟の会話を繰り広げ、麦は隣で「なんでこの二人、謎に波長あってるんだ……」と呟いたが、その声は誰にも届かなかった。



――――――



スーパーを出て、夕暮れの空の下を歩く三人。

アルフレッドはビニール袋を片手に、いつも以上に誇らしげだった。


「見よ麦、この鶏肉! 余が勝ち取った戦利品だ!」

「うん、半額肉だね!」

「ただの半額肉ではない! 汗と知恵と勇気で掴み取った、唯一無二の品だ!」

「そうだね、頑張ってゲットしてくれてありがとね!」


そう言いながら麦はくすりと笑った。

なんだかんだ言って、アルフレッドが本気で楽しんでいるのを見ると、つい嬉しくなる。

(……この人、ほんとにこの世界の日常を楽しんでるんだな)

その様子が、少し誇らしく、そして少し切なくもあった。



――――――



数日後の夕方。

KOスーパーのレジ付近で、幸恵が知り合いの奥さんに話していた。


「最近ね、弟子ができちゃって」

「え、弟子?」

「そうそう。ちょっと変わった外国人の子なんだけどさ、やけに真面目でねぇ」

「へぇ~、幸恵さんとうとう師匠になったのかぁ」

「ま、悪くない気分よ!」


レジで会計中にそんな会話が聞こえ、麦は赤面し、アルフレッドが袋を受け取りながら真剣に通る声で幸恵に話しかける。


「師よ! 余は次なる決戦に備え、鍛錬している。必ずや卵を勝ち取ってみせる!」

「うんうん、期待してるわよ!」




……高円寺のスーパー界隈では今、「幸恵さんに弟子ができた」という噂がじわじわ広がっているのだった。


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