第2話 ツンデレ王子と朝ごはん
「頼む…もう寝かせてくれ…愚民、貴様の執念、魔王の呪いより苛烈だ…」
8畳ダイニングキッチンの4人掛けダイニングテーブルは、企画書と赤ペン、エナジードリンクの缶で埋まっている。アルフレッド・ヴァレンシュタイン、ヴァレンシュタイン王国の第二王子は、テーブルに突っ伏して嘆いた。金髪は乱れ、豪奢な黒と金のマントは洗濯カゴに突っ込まれ、着ている服もなんだかヨレヨレに見えてきた。目は血走り、声はガラガラ。
星野麦はテーブルの向かい、ノートPCを叩きながら目をギラつかせている。
「ダメですよ、王子!あと3ページ!『ロイヤル★パレス』のシナリオ、君が直してくれたら、人物に深みが出るから!」
昨夜、アルフレッドが本物の第二王子と確信した麦は、夜通し彼にゲームの台詞と行動をチェックさせ、「本物の自分ならこう」に修正させた。
「ほら、この『愚民め、余の剣で裁く!』って、君なら『無礼者、余の威光の前に悔い改めろ!』だよね?」
「ふん…その方が余らしい。だが、この破廉恥な場面は何だ!」
アルフレッドはフラフラで企画書を叩き、顔を真っ赤にする。ゲーム内の彼がヒロインに「君の瞳は星のようだ」と囁き、手を握るシーンに激怒。
「余は貴族だ!このような破廉恥な行為、婚約者でもない女性に対して、決してせん!即刻削れ!」と叫ぶ。
麦は「え、ダメダメ!ロマンチックなシーンは削れないよ!プレイヤー、こういうの待ってるから!」とバッサリ無視。
「貴様、余の名誉を穢す気か!」アルフレッドはテーブルをバンと叩くが、麦の「王子、これでゲーム売れるんです!」に気圧され、「ゲームとやら…愚民の商売には理解できん」と呻く。
一晩中、企画書の台詞(「余はそんな軟弱な口調を使わん!」)や行動(「王子が民に気軽に手を振るだと!?」)を直させられ、朝5時まで眠れなかった。
「もう…限界だ…」彼はテーブルに突っ伏し、意識が遠のく。
麦は「よし、シナリオ完成!王子、本当に恩に着るよ~」と笑顔。
「でも、めっちゃ汗臭いですよ…シャワー貸します?」と提案。
アルフレッドは「シャワー?何だそれは」と怪訝な顔だが、「貴様の住処でこれ以上不快になるのは耐えん」と渋々了承。
麦は「じゃ、バスルーム!」と狭い浴室へ連れて行く。部屋は古いが浴室だけは簡素な造りだがリフォームしたばかりで小綺麗だ。シャンプー、トリートメント、ボディソープ、洗顔料が並ぶ。
「これはシャワー、こう捻るとお湯が出るよ。これはシャンプー、頭を洗う洗剤ね、トリートメントはシャンプーの後につけると髪がサラサラになるよ。これは顔用。こっちは体用」と一通り説明する。
(シャワー?シャンプー?トリートメント…?)アルフレッドは情報の洪水の全てを理解できなかったが、そうとは悟られないように「ふん…この小部屋で水をかぶるとは、野蛮な儀式だ」と偉そうに鼻を鳴らした。
実際、貴族の彼にとって、風呂は大理石の浴槽に薔薇の花びらが浮かぶ優雅なものであって、間違ってもこんな小さな浴室ではない。
麦が「ほら、こう!」とシャワーハンドルを捻って見せる。
「こう、か?」アルフレッドも見様見真似でハンドルを捻ると、勢いよくジャーッとお湯が噴き出し、アルフレッドの顔に直撃!
「ぐわっ、水攻撃か!?」と後ずさり、足を滑らせて尻もちをつく。全身がビショビショだ。「愚民!なんとかしろ!」と喚く。
麦は慌ててシャワーを止め「うわ、ゴメンゴメン!…じゃあ服は脱いだら、ここに入れておいて」と洗濯カゴを指し、申し訳なさそうに笑う。
「じゃ、ごゆっくり~」と洗面所から彼女が出て行く姿を、アルフレッドは「ふん…貴様の不手際、許さんぞ」とブツブツ、金髪から水を滴らせながら睨んだ。
麦が出て行くと、アルフレッドは洗面所で恐る恐るTシャツとズボンを脱ぎ、剣を壁にガチャンと立てかける。そして浴室へ。
シャワーヘッドを手に「お湯の魔術、余が制する!」と捻るが、水圧に「うおっ、暴れ馬の如き力!」と驚くが、次第に温度が上がっていく水を触り「…凄まじい魔術だ」と感嘆した。
頭からお湯を浴び、暫くの間、お湯の温かさに浸った。
「そういえば、頭髪用の洗剤がなんとやら…?」と最初の麦の説明を思い出し、シャンプーを使ってみることにした。薄ピンクの液体がドロリ。
「毒液!?暗殺者の罠か!」と一瞬警戒する。甘い優しげなジャスミンに似た香りは、麦の髪の香りと同じものだと分かると、不安は少しなくなった。
そっと髪全体につけてみると、みるみる泡立っていく。
「うわ、なんだこれは」アルフレッドの世界のシャンプーはこんなに泡立たない。
泡が目と口に入り、「痛い!うえっ苦い!やはり毒だったか!?」と咳き込む。慌ててお湯で泡を流したが、泡で足を滑らせ、盛大に転び、痛みに呻く。
浴室から大騒ぎする声が聞こえて、心配になった麦が「王子、大丈夫!?」とドアを開けかける。
「破廉恥だ!入るな、愚民!」と絶叫し、浴室のドアを乱暴に閉める。
「わかったわかった」と麦が引き下がろうとすると、
「おい、このシャンプーやらボディソープとやら、本当に毒ではないんだな!?」と叫ぶ声が聞こえて、「毒!?そんなもの持ってるわけないよ!」と返す。あの王子、一体私をどんな悪人と思っているのか。
「私もいつも使ってるものだから!よーく洗い流してから出てくるんだよ!」と言って出て行った。
ま、大丈夫でしょ。
アルフレッドがシャワー中、麦は、彼の服を洗おうと思い、洗濯表示タグを探してみたが当然ない。洗濯機で洗って大丈夫なのか分からないが、洗濯ネットに入れて、洗濯機に放り込み、スイッチを入れた。そして家の目の前のコンビニへ急ぐ。歯ブラシと男性用のパンツをサッと買う。
部屋に帰ると、まだアルフレッドはシャワー中だ。時折ブツブツと独り言が聞こえるものの、無事なようだ。
「タオルと着替え、ここに置いておくね!」と洗面所から呼びかけた。
浴室での孤独な闘いを終えたアルフレッドは、用意されていたバスタオルで体を拭き、「平民の服は、こんなものなのか…」とブツブツ文句を言いながらグレーの上下スウェットに着替え、麦の待つダイニングへ戻った。
スウェット姿の王子は妙に現代的で、高貴な顔立ちとはミスマッチだ。
髪を乾かすため、再び洗面所に連れて行く。ドライヤーの説明をすると、「熱風の呪具、炎の魔術か?」とスイッチをガチャガチャ。
熱風で金髪がシャラシャラと輝きながらそよぐ。
「熱いぞ!」とか喚いているが、いい加減面倒になってきた麦は「頭からは距離をとって、やけどに気を付けるんだよ」と伝えて洗面所を出ていく。
なんとか乾かし、「…この試練、余は耐えたぞ」と胸を張るアルフレッド。
麦は「王子、頑張ったね」と内心拍手した。
「余の衣服はどこへ」とアルフレッド。
「今洗ってるから、しばらくそのスウェット着てて」と返すと、「この姿では外に出られん…」アルフレッドは麦のソファにドサッと座り、落ち込む。
「今日は帰り方を探すはずだったのだ…。王宮では、こんな屈辱は…」と呟くが、徹夜の疲労で目がトロン。
麦は「王子、夕方には乾きますよ。それまで家で大人しくしててください」とフォロー。
「じゃ、ちょっと休んでてください!布団、用意します!」と和室へ。
畳は色褪せ、窓際には麦の古い本棚(少女漫画から少年漫画、小説がぎっしり)。押入れから客用布団を出し、薄っぺらい枕をセット。
「はい、王子、寝てください!」と促す。
アルフレッドはヨロヨロで布団に倒れ込むが、すぐに顔をしかめる。
「何だ、この固さ!王宮の羽毛ベッドと比べ、まるで石板だ!この…畳とかいう草の匂い、牛舎のよう!」と悪態。イグサの香りが、彼には「野蛮な牧場」らしい。「文句言わないでください!うちの最高級布団(大嘘)なんですから!」麦は流石にカチンときて、そう言い放つと襖を閉めた。
自分も仮眠をとるため、麦は隣の部屋のソファに横たわる。
朝7時半、麦はキッチンで朝ごはんを用意。寝不足だが、朝食を食べねば上司佐藤とは戦えない。狭い流し台の横、錆びた換気扇がカタカタ鳴る。インスタント味噌汁、目玉焼きをちゃちゃっと作る。炊飯器がピーっと鳴り、目玉焼きのジュウという音が響く。「王子、起きてください!ご飯ですよ!」と和室に呼びかける。
アルフレッドは「う…愚民、余の寝室に入るとは不埒な…」と布団から這い出し、ヨロヨロしながらダイニングのテーブルへ。スウェット姿で髪はボサボサ、余程眠いのか目は半開き。
テーブルには、白米の茶碗、味噌汁の椀、目玉焼きが載った小皿。麦はナイフ・フォークを渡す。「王子、箸は使えないよね?これで!」
アルフレッドは「ふむ、王宮の食器に近い」と満足げだが、味噌汁を見て眉を寄せる。「この茶色のスープはなんだ?…スープ用スプーンはないか?」
麦は「ないよ!これ、れんげで飲んでください!」とプラスチックのれんげを渡す。
「れんげ?奇妙な形だ」と言いながらも、興味深げにしげしげと眺める。
「どうぞ、召し上がれ」と麦。
「うむ、いただこう」貴族然とナイフ・フォークで目玉焼きを切る。
姿勢はシャン、切り方は優雅だが、日本の定番朝食とのミスマッチが滑稽だ。
「この…白い粒の山は何だ?新種の穀物か?」と怪訝にフォークで白米をつつく。
「王宮ではパンのみぞ」と呟き、それでも器用にフォークで米をすくい、一口食べると、モグモグと咀嚼、ほのかな甘みに眉がピクッ。
「ふん…食えなくはない」と誤魔化すが、頬が微かに緩む。
次に醤油のかかった目玉焼きをナイフで切り、慎重に一口。
「これは、珍しいソースだな。初めて食べた」
味噌汁をれんげで掬い、ワカメの匂いを嗅いで「海の草か?庶民はこんなものまで食べるのか。お前も苦労しているんだな」と憐れんだ目で見てくるので、麦は少し腹が立ったが、態度には出さず「…海の草は、よく噛んで食べてね」と言った。
味噌汁を口に含むと、インスタントの塩気が口にあったのか、眉がさらに上がる。「ふん…悪くない、以上だ」とそっぽを向くが、椀を空にする速さは隠せない。
麦は「日本の朝ごはん、口にあったかな?」とニコニコ。
アルフレッドは「食える、以上だ」と頑なだが、白米をフォークでガツガツ食べ、目玉焼きを平らげ、味噌汁を飲み干したのだ。
「美味しい」「ありがとう」「ごちそうさま」は皆無だが、口に合わなかったのなら、こんな勢いで食べることはないだろう。
麦は(ゲームの王子そのまんま!)と内心クスクス。
(眉がピクッてするのは、美味しいと思ったときなのかな)と新たな発見をして微笑む。
アルフレッドは「愚民、何をニヤつく?」と怪訝な顔をした。
朝8時、麦はお昼ご飯を用意。キッチンに戻り、炊飯器の残りのご飯でおにぎりを作る。冷蔵庫からツナ缶とマヨネーズ、戸棚からカツオの削り節1パック、醤油、海苔を取り出す。小さなボウルでツナとマヨネーズを混ぜ、ツナマヨが完成。小皿でカツオの削り節と醤油を軽く混ぜ合わせた。
「王子、お昼におにぎり作っておくね!4つ作るから、お腹が空いたら食べてね!」と呼びかける。洗面所で歯磨き中のアルフレッドは「おにぎり?なんだそれは」と聞きたかったが、口が開けなかったので「うむ」とだけ返事をした。
朝食は貧相ではあったが、中々美味しかったので、きっとおにぎりとやらも、不味くはないのだろう。
麦はご飯を6等分し、ツナマヨとおかかを半々で。王子用にツナマヨ2つ、おかか2つ、自分用に各1つ。ご飯を握り、海苔を巻く手際は慣れたもの。
「これがおにぎりだよ」と教える。
先ほど食べた、ほんのり甘みのある白米とやらを固めたものが、おにぎりなのか。
アルフレッドは目を細め、ツナマヨのボウルを指差し、「その白い膏、食べ物なのか?」と警戒。
麦は「これはツナマヨ。魚とマヨネーズで美味しいよ。おかかは魚の削り節!」と説明。アルフレッドは「魚だと!?生ではないな?」と念押しし、海苔を「この黒い紙、食えるのか?」と疑った。
麦は「食べれるよ!ほら、できた!」と王子用のおにぎり4つをお皿に並べ、ふんわりラップをかける。自分用2つはバッグに。
「王子、昼にこれ食べて、感想メモして教えてください!シナリオの参考にします!」とニコニコしながら、未使用のノートとボールペンを渡す。
アルフレッドは「余に宿題だと?ふん…まあ、試してみる」とぶっきらぼうに受け取った。
朝8時半、麦は出勤準備。白シャツにグレーのスカート、髪をポニーテールにまとめる。ノートPCとおにぎりをバッグに詰め、振込用紙をチラ見。「家賃14万…王子のシナリオでゲーム売れたら、ボーナス出て楽になるかな」と呟く。
アルフレッドは和室に戻り、「愚民、余はもう寝るぞ」と布団に潜る。
麦は「じゃ、服が乾くまで家でゆっくりしてください。シナリオ、めっちゃ良くなったんで、絶対いいゲームにしますよ!」と呼びかける。
和室から「ふん、行け」と眠そうな声。
麦は玄関でパンプスを履き、「行ってきます!王子、変なことしないでくださいね!」と笑う。和室から「貴様こそ、愚民の仕事でしくじるな」と嫌味な声が聞こえる
麦は「ゲーム通りすぎる…仕事のため、頑張ろ」と自分を励まし、ドアを開ける。
昨晩の雷雨が嘘のように外は晴れ、高円寺の朝の喧騒が響く。
麦は「王子、最高のキャラにしてやる!」と拳を握り、駅へ向かう。
2DKの和室では、まだアルフレッドが畳の固さにホニャホニャと悪態をつきながら、微かな寝息を立てていた――。




