第13話 王子、護衛する
アルフレッドが出してくれた味噌汁を飲みほすと、すっかり涙も収まり、胸の奥に押し込めていた緊張感がふわりと解けた。
しかし安心したのも束の間、言葉にならない不安がまだ心に残っていた。アルフレッドの穏やかな影と灯りに守られているのに、頭の中では元彼・健太の顔がちらつく。
「……アル君、あの……実は……」
麦は小さく息を吸い、目を伏せたまま言葉を絞り出す。声は震え、ほんの少しだけ涙が滲む。
「最近、元カレ、その元交際相手が……私にちょっと、連絡をしてきて……会社の帰り道とか、家の近くでも……見かけたり……」
「つまり、その元交際相手とやらが、麦に付きまとっているということか」
アルフレッドは眉をぴくりと動かし、言葉を遮ることなく、真剣な表情で麦を見つめる。その瞳は冷たく光り、静かな怒りが内側から湧き上がっているのがわかった。
「……えっと……別に脅されたわけじゃないし、暴力とかはないんだけど……なんだか、ずっと見られてる気がして……今日は追いかけられるし……怖くて……」
麦の声はさらに小さく、かすれたように途切れる。手はぎゅっと握りしめられ、体が少し震えている。言葉にした瞬間、溜め込んでいた不安が一気に溢れ出すようだった。
「……それで、毎日メールとかも来るの……返さないでいるのも怖くて……どうしたらいいかわからなくて……」
アルフレッドはその言葉を聞くや否や、静かに、しかし圧倒的な怒りを宿した声で告げた。
「愚民……女性を怖がらせるなど、そんな行いは紳士のすることではない! そなたを脅かすなど、絶対に許されぬ!」
麦はその声に少しだけ肩の力を抜くが、まだ不安は消えない。心の奥底で、アルフレッドに頼っても大丈夫だろうか、と自問しつつも、顔を上げると、いつも通りの冷静で傲慢な王子の姿がそこにある。
「……アル君、……私、どうしたらいいのかな……」
弱弱しい麦の声に、アルフレッドは一瞬息をのみ、瞳をさらに鋭くして麦の肩に視線を落とす。
「愚民よ……余に頼れ。女性を守るのは、紳士の役目だ」
珍しくキザな台詞も、怒りに任せて言えてしまう。
麦の震える手を見守りながらも、その手を包みこんで、温かさを伝えられたらどんなにいいかと、心の中で守護の炎を燃やしていた。
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翌朝。
「麦、準備は整ったか、愚民」
アルフレッドはいつものエプロン姿ではなく、王族然とした恰好のまま玄関に立っていた。麦は一瞬目を丸くする。いつもより目立つ格好に、周囲の視線が怖い。
「……あ、あの、……ちょっと恥ずかしいかも……」
「恥ずかしがることはない。余が守るのだ、安心せよ」
玄関のドアを開けると、外の冷たい朝の空気が流れ込む。麦はアルフレッドの後ろにぴったりと並び、通勤のため駅へ向かう。
アルフレッドは麦を守ると宣言し、毎日会社まで護衛として付き添うこととなった。
満員電車に乗り込むと、周囲の人々の波が麦に押し寄せる。すると、アルフレッドは自分の体を盾にして、麦を押しつぶされないようにしっかり守る。人の波に揉まれる中で、二人の身体が触れ合うこともあるが、アルフレッドは顔を赤くして意識をそらし、紳士としての距離感を保とうと必死だ。
(触れるな、触れるな……余は紳士である……しかし、この近さ……)
麦の方も、厚い胸板を目の前にして胸が高鳴る。普段は強気で傲慢な彼が、自分のためにここまでしてくれる――そんな現実に、自然と頬が熱くなる。
ターミナル駅に到着すると車内は混雑を増す。
麦はぎゅうぎゅう詰めの人波に押されながらも、アルフレッドの真後ろにぴったりとくっついて立っていた。
アルフレッドは自分の体を盾に、麦がつぶされないようにしっかりガードする。肩や腕が微かに触れ合うたびに、彼の心臓は早鐘のように打つ。
(ぐ……愚民よ、離れよ……いや、離すわけには……しかし……心臓が……)
赤く染まった頬を隠そうと、必死に平静を装うアルフレッド。だが、その鼓動の速さは隣に立つ男性会社員(56歳)にもわかるほどだった。
「……ん?」
男性はアルフレッドの横顔をチラリと見る。胸の辺りから聞こえる、まるで太鼓のような音――いや、心臓の音だ。
背後に小柄な女性を隠しているのを見て、軽くニヤリとする男性。満員電車でギュウギュウに押されながらも、アルフレッドの純粋な緊張感と赤面具合に、何か懐かしい甘酸っぱい気分を思い出していた。
一方、アルフレッドは胸の鼓動を必死に押し殺しながら、麦の隣で微動だにせず立っている。腕が偶然触れ合うたび、わずかに息を詰めるが、視線は前方をしっかりと守り、麦に安心感を与えようと必死で、憤怒にも間違える表情だ。
麦もまた、アルフレッドの必死な護衛ぶりに内心胸が高鳴る。普段の傲慢な王子とは違う、人間らしい一面をこんなにも近くで感じられて、かわいいと思った。
広い背中に抱き着いてしまおうか、何度も誘惑に負けそうになった。
隣の男性会社員(56歳)は、アルフレッドの赤面と微かに揺れる胸の動きに釘付けになりつつ、心の中で静かに応援する。
電車が駅に停まり、麦が降りるとき、アルフレッドは素早く彼女の後ろに回り、再び体で守る。男性会社員は、アルフレッドの必死さを見送りながら、心の中で「青春だ……」としみじみ呟いた。
会社に到着すると、アルフレッドは軽くお辞儀してから、駅の改札まで見送り、周囲を警戒しながら麦の背を見守る。
周囲の視線やアルフレッドの目立つ服装も気になるが、そんなことより、守られているという実感が胸を満たす。
帰宅時も同様だった。アルフレッドは常に麦の後方、左右に目を光らせ、怪しい人物が近づけばすぐに前に出る。
アルフレッドと一緒なら、もし健太が現れても大丈夫かもしれない、と思えた。
でもこれは、アルフレッドにとっては元の世界に戻るために解決すべき問題にすぎないのだろうか。
だから一生懸命なのかな。
そう思うと肋骨あたりがギュっと締め付けられるような痛みと、虚しさを覚えた。
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