表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

1/28

第1話 ツンデレ王子、2DKに降臨

 東京、高円寺。JR中央線の高架から路地を入ったところ。築32年のくたびれたアパートの2階、2DKの角部屋が星野ほしの むぎの小さな城だ。25歳、ゲーム会社の正社員。夕暮れのフローリングに、薄オレンジの陽光がカーテンの隙間から差し込み、古家特有の薄い窓越しに電車のガタンゴトンという音が響く。


 麦は某北欧家具メーカーの新品ソファにドスンと座り、ガラステーブルに広げた書類を眺める。家賃14万円の振込用紙、乙女ゲーム『ロイヤル★パレス』の企画書、そしてスーパーの半額シール付きツナサンド。


「家賃14万…月給25万じゃ、キツいな…」

 麦は髪を指でくるくる巻き、頬を膨らませる。この2DKは、元彼・健太との同棲のために借りたばかり。8畳の薄暗いDKダイニングキッチン、6畳の洋室と和室が1つずつ。


 平成レトロなキッチンで「ここで一緒に朝ごはん作ろう、麦」と健太が笑ったあの日は、まるで恋愛ドラマのワンシーンだった。


 でも同棲直前、健太のスマホに表示された、女の名前と「今夜空いてる?♡」のメッセージを麦は偶然見てしまった。一度は見なかったことにしようかと思ったが、我慢できず、健太を問い詰めると、彼はあっさり浮気を白状した。


「お前と一緒にいても楽しくないんだよな」と捨て台詞を残して健太は去った。某北欧家具メーカーで彼が注文したソファは麦が手切れ金替わりにもらった。(惜しくなったのか、後から彼はごねたが、要求は全て突っぱねた。麦はこのソファをいたく気に入っていたのだ。)


 新品ソファをゲットしたとて、麦は一人、14万円の家賃を背負う。月給25万円では、なんとかやりくりしても、貯金はおろか、じわじわ残高が減っていくだけだ。ただでさえ引っ越しで大金を使ったのだ。半年以内にはもっと安いワンルームに引っ越さなきゃ――そんな不安が、麦の胸をモヤモヤさせる。


 麦はソファに沈み、スマホを手に取る。SNSを開くと、健太の投稿がタイムラインに流れる。中野のレトロ喫茶で撮ったプリンの写真の奥には、にっこり笑う女。


 麦は唇を噛み、「…やっぱり3次元なんてクソだ」と呟く。


 アプリを閉じ、会社貸与のノートPCを開く。『ロイヤル★パレス』は、異世界の王子たちと恋する乙女ゲーム。麦のチームは現在企画書を作成中。麦は第二王子アルフレッドルートのシナリオ原案を担当している。だがアルフレッドの台詞は、上司の佐藤(多分鬼が人間に化けている)に「星野、これじゃキャラが薄い!誰もこんな奴好きになれないだろ!」と突き返された。


「アルフレッド…ちょっと高慢でプライドが高くて、でも優しい心が隠れてる王子…」

 麦はPCに映るアルフレッドのイラストを見つめる。金髪碧眼、黒と金のマント、腰に剣のイケメン。


 ゲームは、麦にとって夢の結晶だ。いつか自分が作ったゲームで、誰かの心を笑顔にしたい――その想いが、麦をゲーム会社に導いた。


 でも、現実は厳しい。企画書の赤ペンだらけのコメント、鬼上司佐藤の「次で結果出さないと、厳しいぞ」の声が、頭の中でリピートする。


 麦は立ち上がり、キッチンへ。狭い流し台の横、換気扇は錆びてカタカタ音を立てる。冷蔵庫には卵2個、飲みかけのカルピス、賞味期限ギリギリのハム。「晩ご飯、ツナサンドだけでいいか…」と諦め、ツナサンドをレンジで軽く温める。


 水でも飲むか、と戸棚からグラスを取り出す。健太が「オシャレ」と買ったマグカップが目に入る。全くもって麦の趣味ではない。

「これ、メルカリで売れないかな…」と呟きつつ、ツナサンドと水道水の入ったグラスをリビングに持ち帰る。家賃の振込用紙をチラ見し、「この2DKで、幸せになるはずだったのに…」と思うと、胸がちょっと重くなる。


 ソファに座り、ツナサンドをかじるが、味はなんだかぼんやり。


「はぁ、節約のためにスーパーの半額狙いすぎかな…」と呟き、クッションに顔を埋める。

 リビングの壁には、健太と選んだシンプルな木枠の時計。チクタクと秒針が動く音が、静かな部屋に響く。「あの時計、なんかムカつくな…」と悪態をつくが、時計に罪はない。



 シャワーを浴び、夜8時、麦は企画書を直し始める。アルフレッドの台詞を書き換え、「『愚民め、余の前に跪け!』…うーん、高慢すぎ?でも、アルフレッドらしいよね」と呟く。イヤホンで適当にヒットソング100プレイリストを流し、切ない失恋を歌う女性シンガーの曲に合わせ「どいつもこいつも恋愛のことばっかり…」とキーボードに八つ当たりするかのように打鍵する。


「アルフレッドの声、低めで威厳あるけど、優しい瞬間がチラッと…」と想像しながら、台詞を推敲。窓の外では雨が降り始め、遠くで雷鳴がゴロゴロ。


 9時半、雨が強まり、雷がバリッと近くで鳴る。「やば、洗濯物!」麦は慌ててベランダへ。物干し竿には、バスマットがびしょ濡れ。

「あーあ…」と嘆き、洗濯物を抱えて部屋に戻ろうとした瞬間――ゴロゴロ、バリッ! 雷が落ち、ベランダが眩い白光に包まれる。


「な、なに!?」麦は目を覆い、バスマットを握りしめる。光が収まると、煙が立ち込め、ベランダのバジルのプランターが倒れている。その中央に立つのは、金髪碧眼の美青年。黒と金のマントが雨に濡れ、腰の剣の鞘がカチャリと鳴る。豪奢なブーツ、鋭い碧眼――まるで『ロイヤル★パレス』の第二王子アルフレッド・ヴァレンシュタインその人だ。


「何が起こった!?」彼は動揺した声をあげた。濡れたマントを翻して、ベランダから部屋を覗く。「ここは…王宮の使用人部屋か?なぜ余はこんなところに?貴様、何者だ!」アルフレッドの声は低く、威厳に満ち、ゲームのキャラらしい芝居っ気が漂う。でも、雨に濡れた金髪が額に張り付き、妙に人間らしい。


「え、え、誰!?コスプレ!?いや、泥棒!?」麦はパニックでバスマットを振り回し、プランターの土が床に散らかる。アルフレッドは眉を上げ、「泥棒だと?無礼な!余はヴァレンシュタイン王国の第二王子、アルフレッド・ヴァレンシュタインだ!」と胸を張る。


「第二王子…アルフレッド!?私が書いたキャラ!?なんでここに!?」


 麦は目を丸くし、バスマットが手から抜け、ベチャリとベランダに落ちた。


 アルフレッドは質問には答えず、麦に向かって「貴様は誰だ。名乗れ」と命令する。

「麦…星野、麦です…」

「ムギ…変わった名前だな。ひとまず、中に入るぞ」

 そう言い放つと、麦の許可など不要と判断し、アルフレッドはブーツのまま窓から部屋に入ろうとする。

「ちょちょちょ待って、靴脱いで…もらえますか?」と懇願。部屋を汚されるのは勘弁だ。怪訝な顔をしながらも、流石にこれ以上雨にさらされていたくなかったのだろう、アルフレッドはブーツを窮屈そうに脱ぎ、部屋の中に入った。


 びしょ濡れのアルフレッドにタオルを渡した。頭部以外はマントに隠れていたおかげでさほど濡れてはいなかった。濡れたマントを受け取り、洗濯機に放りこむ。心臓がバクバクしている。部屋に戻ると、アルフレッドは勝手にソファにどっかりと座り込んで、バサバサと髪を拭いていた。


 「あなた、本当にアルフレッド…さん、ですか!?どうやってここに来たんですか!?」と声を荒げる。


 アルフレッドは「ふん、愚民の疑問に答える必要はない」と鼻を鳴らすが、麦の真剣な目に気圧され、「…恐らく、魔術の事故だ。目の前に白い光の環が現れ、気づいたら余は此の地にいたのだ。」と説明する。

「あの環が消えてしまい、戻り方は…検討がつかない」と付け加え、下を向く。


「え!?戻れないってこと!?」麦は目を剥く。「ちょっと、ちょっと、確認させて!ほんとにアルフレッドなんですか?ヴァレンシュタイン王国の第二王子で、兄貴は超優秀だけどそれを隠してる黒髪イケメンの第一王子クロードで、めっちゃ厳格な父王がいて、王宮は白亜の大理石で…」


「貴様、なぜそこまで知っている!?」アルフレッドは驚き、剣の柄に手をやる。

「クロード兄上が第一王子、父王は確かに厳格、白亜の王宮も正しい。…貴様、魔術師か!?」


 「違います!私が『ロイヤル★パレス』のシナリオ書いてるんだから!あなた、私が作ったキャラなの!」

 麦はPCを指差し、アルフレッドのイラストを見せる。画面の金髪王子と目の前の男が瓜二つ。アルフレッドは目を細め、

「この絵…確かに余…?」と困惑。


「じゃあ、試しますよ!ゲームのアルフレッドなら、好きな食べ物はローストビーフ、嫌いなのは生魚、趣味は剣術と馬術、女性関係には超厳格で…」

 麦はまくし立てる。

 アルフレッドは、

「ローストビーフは至高、生魚は野蛮、剣と馬は余の魂だ。そして、女性関係…ふ、愚民、なぜそんなことを!」と顔を赤らめ、麦を睨みつける。


「愚民って言われちゃったよ…ほんとにアルフレッドだ…」

 麦はソファにへたり込み、頭を抱える。


「ゲームのキャラが、この現代の日本に…そして私の部屋に…でも、戻れないなら、どうするの?この部屋、ただでさえ家賃14万で貯金減ってるのに、居候させないといけない展開じゃん…」と呟くが、ふと顔を上げる。


「待てよ…これ、チャンスかも!」


「チャンス?愚民、何を企む?」

 アルフレッドは怪訝な顔で振込用紙を手に取る。失礼にも愚民呼びが定着しかけているがそんなことは些末なことだ。


「この『家賃14万』とは何だ?契約の書か?」


「そう、住むのにお金かかるの!私、生活ギリギリなの!」麦は興奮気味に叫ぶ。


「でも、あなたが本物のアルフレッドなら、ゲームのシナリオをめっちゃ良くできる!あなたの行動、性格、全部観察したい。戻り方がわかるまで、この部屋に住まわせてあげてもいいよ!」


「余を観察だと!?気持ち悪い!愚民!余は王子だぞ!」アルフレッドは目を剥くが、麦の覚悟が決まった目にたじろぐ。


「だってあなた、帰り方が分からないんでしょ?嫌ならここから出て行ってもらっても構わないけど、もう夜だし外は寒いよ。うちなら布団くらい貸してあげられるよ」


 今は春だが外気は13度。夜は冷える。


「…ふん、気持ちの悪い企みではあるが、余に危害を加える気はなさそうだ。貴様の申し出、今晩は受けてやろう。日が昇るまでの間だ」と傲岸不遜にふんぞり返った。


「やった!契約成立!」麦はガッツポーズ。

 日が昇っても、帰り方がわからなければしばらくはこの家に居つくだろう。仮に一夜限りだとしても、彼がいる間、徹底的に行動や言葉を観察して、キャラ設定を完璧に仕上げるぞ、と決意した。


 アルフレッドは企画書を手に取り、「この字、汚いぞ。愚民が書いたのか?余なら100倍見事な書類を作る!」とディスってくる。麦の手書きではなく、鬼上司佐藤の手書きの赤ペンだ。麦は「ほんとゲーム通り」と思うが、アルフレッドの声は、低めで威厳あるけど、想像していたような優しい瞬間は無い。思わず笑ってしまった


 不信そうにこちらを見据えるアルフレッドの美しい碧眼と視線がバチリ合うと、落ち着かなくなる。この古い2DKには不釣り合いな程に、美形王子そのものだった。


 でも悪いけど、今夜は寝かさないよ。麦はギラリと目を光らせた。 



外では雨が続き、雷鳴が遠ざかる。2DKに、奇妙な同居生活の幕が開く――。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ