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七 風読

 台与はさらに、出雲について鷹彦に訊きたいことがあると言った。鷹彦の目線に促され、騒速は先に広間を辞した。普段なら大抵同席させてもらえるが、出雲のこととなると鷹彦は騒速を遠ざけようとする。かの国に関しては、鷹彦と言えど冷静でいられないらしい。


 ふと、鷹彦と落ち延びた風の女神の娘は、風向きや空模様を読むことができたのを思い出した。風読(かぜよみ)と呼ばれた彼女は、どのように風や空の様子を知ったのだろう。雷を操る方法など見当もつかないが、もし生きていたら、何か訊くことができただろうか。

 騒速が都へ来たのは姫の死の数年後だ。微かな噂を耳にしたことしかない。


 加えて、智舗の出身でない鷹彦は、都に縁戚がない。大王に直々に目を掛けられ、重んじられる孤高の存在だ。元来人と馴れ合わない気質も影響し、風読について知る者はもともと少ない。鳥船は歳が離れすぎていて、少し訊きにくかった。


 白雲の切れ間から、穏やかな陽光が射している。陽射しに温められた回廊を歩いていると、やってくる狭依の姿が見えた。巫女長への言伝を終えて、台与の元へ戻るのだろう。騒速は軽く会釈をして通り過ぎようとしたが、彼女の方から声が掛かった。


「もう帰られるの」


 行き違いかけた体を返して、騒速は狭依に向き直った。大柄な騒速から見ると、狭依は大層小さい。だが、整った目鼻立ちの放つ印象は、いつも鮮烈だった。(ひめ)(がみ)の裔で、只人ではないからでもあり、騒速にとって最も美しい人だからでもある。


「台与様と何を話されていたの」


 台与が内輪で言葉遣いが変わるのと同様、狭依と騒速も改まった場以外ではくだけた言葉で話す。その方が近しく感じて嬉しいが、狭依がますます厳しくなるのは時々気が滅入った。

台与がわざわざ、内密に伝えてくれたことを話すわけにいかない。騒速はあたりさわりなく答えた。


「鳥飛が解ける間際、俺の名を口走ったことに意味はないとだけ。こちらに戻ってきて、最初に目に入ったから呟いたと」


 狭依には台与が呼んだ名を聞かれているので、そう答えた。狭依が他にも何か言おうとしたので、騒速はすかさず言葉を継いだ。


「台与様は今、鷹彦様と話されている。俺への話はすぐに終わったよ」


 慇懃に伝えたものの、狭依の口元はやや不服そうだった。言い足りないことがあるらしいが、狭依から皮肉や揚げ足取りを聞くのは、正直できるだけ避けたい。どうでもいい相手ならともかく、狭依に言われると堪えるのだ。だから、狭依と話したいと思っていても、会うとたちまち気が引けてしまう。

 騒速の思いをよそに、狭依は再び口を開いた。


「そのためだけに、わざわざ貴方と鷹彦様を引き留めたの?」


 澄んだ声にはやや棘がある。騒速を信じておらず、本当のことを言わないのを咎めるふうだ。確かに台与には、騒速を呼び寄せて告げるような用事は普通ない。けれど騒速も、狭依にすべて教えてやる義理はない。


「台与様は優しい方だから」


 やや面倒と思っているのが滲んだ口調になった。言外に、狭依は台与と違って優しくないと伝えたのも察せられただろう。まずいことを言ったと思った矢先、狭依は口元を強く引き結んだ。澄ました様子は掻き消えてしまい、まるで拗ねた子どものような面持ちだ。


 騒速は急に焦りを覚えた。厳しい言葉に晒されるのは気がひけるけれど、狭依に嫌われるほうが、ずっと救いのないことだった。


「あの、狭依」


 いったい何なんだと言いたげな目に見つめられ、騒速は自分で呼んでおきながらどぎまぎした。眩い日に、彼女の目は琥珀のように透けている。ひとまず沈黙を破ってはみたものの、何を言いたかったわけでもない騒速は、咄嗟に問いを向けてみることにした。


「風読の姫について、何か知っている?」


 狭依は軽く目を見開いた。騒速はつられて戸惑いながらも、不満げな表情が彼女の顔から掻き消えたのを見て安心する。呆気に取られて沈黙した狭依へ、さらに尋ねた。


「君なら、俺より知っているかと思って」


 当惑を浮かべながらも、狭依は急に気づかわしげな表情になった。問いの趣旨は理解しても、答えてよいのかと躊躇うふうだ。


「鷹彦様からお聞きしなくていいの?」


 もっともな問いだった。当人の鷹彦から話を聞くほうが、礼に適っている。だが、郷里だけでなく風読についても、鷹彦はつねに言及を避けていた。喪失が癒えていないのは明白だったから、不用意に彼の痛みを呼び覚ましたくなかった。


「とても訊けないんだ。意気地のないことだけど」


 意外なことに、狭依はすぐにかぶりを振った。


「貴方が訊けないなら、誰にも訊けないわ」


 言いながら狭依は、人目が気になるのか辺りに目を走らせた。すれ違いざまに尋ねるべきことではなかったと思って、騒速は申し訳なくなった。しかも狭依は、台与のもとへ戻る途中なのだ。


「ごめん、こんなところで」


 狭依は小さく首を振ると、彼女が今来た回廊の方を一瞥した。


「大丈夫。人が来ない庭があるから、そこでなら」


 限られた区画にしか出入りしない騒速と違い、狭依は館の奥の造りを熟知している。騒速は安心して頷き、歩き始めた狭依についていった。風読の姫について尋ねたのは突発的なことだが、幸運なことに狭依は何かを知っているようだ。


 狭依が案内してくれたのは、桃が満開の枝を広げている小さな庭だった。騒速は彼女と並んで、渡殿から庭へと降りる(きざはし)に腰を下ろした。木立で鳴く練習をしていた春告鳥が、二人が来るのを見てどこかへ飛び去った。


「どんなことを知りたいの?」


 話しかけられた声で、狭依の顔が間近にあることに今更気付いた。声が耳にすぐ届く近さだ。多少どぎまぎしながら、騒速は努めて平静を保った。


「級長戸辺の娘は、どのように風を読んだんだろう」


 狭依は呆気に取られて騒速をまじまじと見た。きっと、風読と鷹彦に何があったか訊かれると思ったのだろう。だが騒速が知りたいのはそういうことではない。


「もっと別のことを訊かれると思ったけれど――どうして知りたいの?」


 雷を操れるようになりたいから、とは言えない。だが今日は、嵐の到来を感じ取り、風向きを読んだ姫君について、どうしても訊きたかった。


「科戸国は、出雲が風読の力を欲しがったために滅ぼされたと聞いた。出雲がそこまでして、取り込もうとした力のことが知りたくて」


 狭依はどこか気の抜けた様子だったが、幸い言い訳を信じてくれたようだった。


「良いけれど、私の知っていることは多岐都(たぎつ)姉様からの又聞きよ。その話のつぎはぎでも良い?」


 一も二もなく頷いた。多岐都は台与の侍女をするあいだ、風読とともに伊都で過ごしていた。彼女の言うことなら確かだろう。

 狭依は記憶を手繰り寄せるように、考えこむ表情をした。


「風読は、何かやり方が決まっているわけではなかったそうよ。物心ついたころから、誰に聞くこともなく風向きがわかっている。聞き耳を立てれば、遠くの音が聞こえてくるように自然と」


 つまり、他人が真似できるようなものではないと言うことだ。落胆する騒速をよそに、狭依は続けた。


「歳とともに、遠くの風も見聞きできるようになる。幼子の頃は、今いる場所のその日の空模様しかわからないらしいの。野分の前日にしくしく泣いたりはするらしいけれど。でも、長じるとだんだん、遥か遠くの風向きまで知るようになる」


 生まれた時から、風読の力は姫に宿っていたのだ。ある日突然雷を呼んだ騒速とは、どうやらわけが違う。


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