六 御雷
台与は鳥船と宿禰を下がらせ、狭依にも用事を言いつけて、巫女長のもとへ遣った。いっぽう、騒速たちが去ろうとすると呼び止めた。
「鷹彦と騒速はここへ」
驚いたものの、騒速は鷹彦とともに彼女の傍に残った。他の者が去るのを慎重に見届けてから、台与はようやく口を開いた。
「騒速に訊きたいのだけど。さっき、出雲に稲妻を落とした?」
驚くばかりの騒速に、台与ははっきりとした声で続けた。
「雷のなかに其方が見えた。助けてくれたと思った」
絶句したまま、騒速は台与を見つめた。問うような目が彼を見つめていたが、騒速のほうが問いの意図を訊きたかった。自分にまじないの力はなく、雷を呼べるはずはない。
「――どういうことでしょう」
台与の声は確信に満ちていた。
「若彦を殺めたのは、矢ではなく雷よ。腰の短剣に落ちた雷光に、御雷の息子を見たわ」
まっすぐな瞳がこちらを向く中、騒速は混乱した。自分は出雲に雷撃を落としただけでなく、若彦を討ったという。何と返すべきかわからず、はあ、と曖昧な声を出した。
茫然とする騒速と、興味津々の台与を見比べながら、鷹彦が尋ねた。
「雷を操れるのか」
騒速はすぐさまかぶりを振った。聞いたこともない話だった。
「そんなはずは」
「でも、雷を落とした瞬間のことは覚えているでしょう」
台与の黒い瞳に見据えられ、騒速は思い出した。台与が射られたのと同時に、身を貫いた衝撃があった。あの時は何かわからなかったが、雷が走った衝撃だとしたら。鷹彦の目も注がれる中、騒速はなすすべもなく頷いた。
「はい」
「どういうことだ」
「台与様が矢を射られた折に、体の中で雷が閃き、電が走るような心地が致しました。何かを呼ぼうとしたわけではなく、ただそうした心地がしただけですが」
鷹彦はしげしげと騒速を眺めた。驚きのこもった目元を細め、わずかに首を傾げる。台与に向かって、ごく自然な問いを口にした。
「そのようなことが、有り得るでしょうか」
「射られた矢が跳ね返って、射た者に当たるほうが有り得ないことだわ」
実にあっさりと台与は言った。
「我ながら苦しい言い訳だけれど、雷がどうこう言わない方が良いと思ったの。そなたの名を口走ってしまったし」
若彦を殺めたのが雷で、しかも騒速の仕業となれば、彼の親類縁者の遺恨が騒速に、ひいては鷹彦に向かわないとも限らない。騒速の名を呟いてすぐに、雷で若彦が死んだと言えば、誰かが雷神の裔と落雷とを結びつけただろう。短い間に台与がそこまで考えを巡らせていたことに、騒速は驚き、恐縮した。
「ありがとうございます。怪我を負われた中で、私を庇っていただくなど」
いいえ、と台与はこともなげに言った。
「そなたの名が聞こえたのは、先ほどここにいた者だけだと思うわ。狭依がすぐに大声を上げたから、わからなかったかもしれないけれど」
いつも厳しい狭依が、偶然にも助けてくれたかもしれないわけだ。嬉しさが微かに胸に閃いた時、鷹彦に訊かれた。
「鳴神の裔が、雷を操れるという話を聞いたことは」
「ございません」
父も姉も、何も言っていなかった。ただ、台与の体が揺らいだ時、体を走った力の塊は、他のもので説明できそうにない。間違いなく電が体を駆け抜けていったのだ。
「ですがあの時体を駆けたのは、雷だとは思います」
「雷が体を貫くのは今日が初めて?」
頷こうとしてから、騒速は思い直した。いえ、と呟いてから、主を一瞥する。
「伊伎で鷹彦様とお会いした時に、一度」
そう、と呟いた台与をよそに、鷹彦は眉を顰めた。彼が訝るのも無理はなかった。
「神鳴は偶然、足元の刀子に落ちたのだと言っていなかったか」
「はい――そう思っていました。ですが考えてみればあの時も、稲妻に打たれたような心地がありました」
「雷の神の息子だもの、稲妻を呼べても不思議はないわ。でも力が暴れ出したら大変ね。助けてもらっておいて言うことではないけど」
いいえ、とかぶりを振ったのは鷹彦だった。冷静な顔には何の躊躇いもない。
「仰せの通りです」
よりによって騒速が強大な力を手にしたのだから、鷹彦が心配するのは当然だ。俊足や膂力には定評があっても、騒速にはそれを扱い切るだけの慎重さや機転がない。鳥船や鷹彦が騒速に指摘するのは、いつも危なっかしさと決まっていた。雷など手にさせても不安なだけだ。自分でも痛いほどわかっていたが、知恵を欠いていることをあらためて突き付けられたようで、内心息をついた。
騒速が落ち込んでいると思ったのか、台与が励ますように言った。
「力はないよりあった方が良いわ。操れたらなお良い」
「はい」
もっともだが、どうしたら操れるか見当もつかない。体を駆けた力を思い返しながら、出雲に落ちた雷に思いを馳せた。強大な力を持っているとわかった途端、お世辞にも賢いとは言えない自身のことが、心もとなく感じられた。
「とにかく、助けてくれてありがとう。鷹彦もいるところで伝えたかったのよ」
屈託なく言われて、騒速は肩の力が抜ける思いがした。台与の言葉は、人を導くだけでなく、励ます力も持っている。赤らめた顔を隠すように礼をした時、遠くの回廊からこちらにやってくる、年少の台与の侍女が見えた。来たのが狭依ではなかったことに、騒速はなぜだか安堵した。




