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五 天命

 熊襲へ行くなと厳命された鷹彦を通さないよう、都の衛士たちは達を受けていた。それなのに鷹彦が門を抜け、出立したことを台与はひどく悲しんだ。だが、まさか八女宿禰が鷹彦を通すよう衛士に命じたとは思いもよらないだろう。しかも、当の鷹彦が手助けを頼んできたなどとは。


 鷹彦が熊襲へ行くことは、無論好都合だった。軍場で絶命してくれれば、手を汚さずして目障りな相手を排除できる。台与の心を動かすことのできる鷹彦を、宿禰は前々から排したくてたまらなかった。だから二つ返事で了承したけれど、よりにもよって自分に頼んできた理由は気になった。


「私に借りを作っていいのか? 高くつくぞ」

 尋ねると、月読の息子は安らかな笑みを浮かべた。彼が夜中に訪ねてきた、宿禰の住まいでのことだった。

「私は熊襲へ行きたい。其方は私に死んでほしい。互いに利があるので、貸し借りにはあたらない」


 舐めた奴だと思って、宿禰は腹立ち紛れに鼻を鳴らした。衛士に手を回すのはそれなりに手間が掛かる。見返りがあるとは言え、当然と思われるのは腹が立った。

「だが其方は生きて帰るつもりなのだろう。でなければ発とうとするまい」

 鷹彦は淡々とかぶりを振った。

「私は死ぬだろう。深緋の巫女が、あれほど止めるからには」


 まさに宿禰も同じことを考えていた。だからこそ脱出に手を貸すのだった。

「自ら命を手放すとは、愚かなことだ」

 心の底から言った。彼が言ったくらいでは、鷹彦の考えは決して変わらないのを知っていたから。揺らぐ火明かりのもとで、月読の息子は自嘲気味に笑った。

「級長戸辺の娘を慕い、喪って、折り合いのつかぬ思いを抱えた。せめて熊襲の渠師者に挑むことは遂げたい」

「あの猛り狂った男に挑めば折り合いがつくのか?」


 呆れると、鷹彦はすぐにいや、と答えた。

「わからない」

 宿禰には到底理解のできない話だった。

「勝手にするがよい。だが、生きて帰ってきたらただではおかぬぞ。俺を顎で使った贖いをさせてやる」

 鷹彦に気分を害した様子はなく、ただ微笑を浮かべただけだった。熊襲の渠師者に挑んだうえで黄泉に行けることが、ようやく彼に安らぎを与えたようだった。考えてみれば鷹彦は、長く別れていた風読に再び会うことができるのだ。だったら止めてやる必要もないと宿禰は思った。


 誰より台与に近づいた彼にとって、脅威は月読の息子だけだ。

 そう気付いたのは、吉備に発つ前の夜のことだ。宿禰は台与の最も若い侍女を手懐けていた。彼女から、台与が藤見に忍び込んだと知らされ、本人に訊いたところあっさりと認めた。鷹彦が来ていたら話したかったからだと。自らの情動の源が何なのか、台与は気付いていなかったし、想いが激しく育つこともないのはわかっていた。だが宿禰は早々に手を打った。


「杵築の大社(おおやしろ)を手掛けた其方なら、月読の宮もつつがなく築けるだろう」

 こちらを振り返った台与に対し、八女宿禰は頷いてみせた。

「必ずや」

 宿禰は出雲国の望み通り、天下造らしし国主を祀る社を造らせた。日の神の支配に不安を募らせ、あるいは反感を抱くであろう民草を宥めるには、約束どおり社を築くのが良い。だから望み通りの宮を設えさせた。天を突くような柱の上に鎮座する社を。長い(きざはし)が地上から社まで続くのを眺めた時、確かに自分は高天原へ近づいたと感じた。天から四方(よも)の国々を見下ろすことのできる身分に。


 八女宿禰は、親に似ていないとよく言われる。それもそのはずで、彼の父は母の夫ではない。以前智舗を治めていた日向大王の弟こそが、宿禰の父だ。死んだ母と彼だけが知ることで、誰にも明かすつもりはない。だが、大王の縁戚に相応しい身分を掴み取ろうと、ずっと前から決めていた。そして、着々と思惑通りに足場を固めてきたのだ。


 重臣として盤石の地位を築いた今は、月読の息子の功績を人々の記憶から消し去りたかった。他の誰かの功績と一体にし、あるいは別の誰かと名をすり替えるか何かして。しかし月読や御雷の者を見ていると、謀略だけより武術も使えた方が良いと思わされる。彼自身は今から武芸に励むつもりもなければ、その必要もなかったが。


 宿禰は立ち上がって台与の傍らへと歩み寄った。彼を見上げる台与の顔は、艶やかな肌が眩しく、黒々とした瞳は愛らしかった。宿禰は大王の眼前に跪いた。躊躇いなく、白く滑らかな頬に手を添えた。


 葦原中つ国において、台与と宿禰だけが知っていることがある。台与は恋心を持たないが、快さに体が酔うことを拒みはしない。藤見の頃から宿禰が誰より深緋の巫女と近しいのは、彼がその快さを教えたからに他ならなかった。

 恋心を持たない台与は、体を委ねても心は奪われない。只人であってもそうだが、台与は尚更そうだった。しかし、体と心が結びつかない分、体の愉悦を心と離れたところで、無邪気に求めることがあった。そして宿禰はいつも悦びの与え手であった。


 台与が瞼を閉じるより先に、宿禰は彼女の柔らかな唇を自身の口唇で塞いだ。彼にとってもまた、若き大王の身を委ねられることは、快楽こそあれ、一つも障りになることはなかった。


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