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五 狭依

「――そうでしたか」


 やっとのことで言って、狭依から目を逸らした。呆れたように見つめられるのは、大層辛い。狭依の言葉は納得がいったので、なおさらそうだった。


 使者は二人とも台与の縁者だ。二人が裏切って出雲に居着いたとなれば、それを認めたがらず反発するだろう。そして、縁が近いのだから見逃してほしいと陳情してくることも有り得る。


 一方、二人が出雲に殺められたり捕らえられたり、不運な境遇にあっていれば、台与が彼らを庇ったと、二人と縁の薄い者から勘繰られることも有り得なくはない。どんな結果を伝えても誰かしら、真実でないと疑ったり、別の結果を主張したりするだろう。


 皆が一堂に会した場で、ごまかしのきかない方法で、起こったことを明らかにすべきだ。誰もが信じる台与のまじないが様子を伝えたなら、それに基づいて方策を考えることができる。


「そういうことだ」


 狭依を援護するように鷹彦が言った。


「はい――失礼をいたしました」


 謝ると、鳥船が優しげに苦笑した。精悍な顔立ちは、目尻の笑い皺が現れると厳しさを失う。

鷹彦が再び台与に向かって口を開いた。


「魂を宿らせた鳥を、誰かが殺めようとすることも有り得ますが」

「その時は、鳥の体を抜け出してくればいいだけのことよ。姿を見ただけでは、人が宿った鳥とはわからないし」


 さらに何か言おうとした鷹彦に、台与は続けて言った。


「誰かを一緒に連れていく方法はないわ。致し方ないことよ」


 台与が凛と言い切るからには、決意は固かった。


 実際、使者の消息を確かめるすべは限られている。送った使者を三度失うのは避けたい。台与の即位後、徐々に安定してきた智舗を支える臣下は減らしたくない。一方で、差し向けるのは、信頼のおける者である必要がある。


 もし使者が出雲に取り入っているのなら、二の舞を防ぐために位の高い者にするべきだ。失うものが大きければ、相手に取り入ることもないだろう。重臣を送るのはほとんど決まっていた。だからなおのこと、先に向かった使者がどうしているかを確かめたかった。


「何かあった時のために、そなたたちが傍に控えていればいい」


 こともなげに言った台与の顔に、不安は見当たらなかった。その場にいた誰もが、台与の自信にやや感化されていた。


 しかし、台与のけがを目にして、鷹彦は今や誰より険しい顔をしていた。薬師に促された彼女が、狭依に付き添われながら歩いていくのを、厳しい面持ちで見守っていた。




 台与の傷口は数日で塞がるだろうとのことだった。騒速は内心で胸を撫でおろした。薬師はさらに、台与が臣下たちを呼んでいると告げたので、鳥船と鷹彦と宿禰とともに、大王の居所へ向かった。


 台与の居所の奥には御簾が設えられ、その向こうには鏡と榊の奉じられる御座がある。騒速らが着いた時には、常に上げられている御簾の下で、台与と狭依が話し込んでいた。


 皆が御座の前に腰を下ろすと、台与は一同を見渡した。


「若彦は、生きて出雲国主の館にいた。あれを質していたら、傍にやって来た何かに言われるまま、私に矢を射掛けた」


 全員が険しい面持ちで黙り込んだ。予期していたとは言え、受け入れがたかった。若彦は智舗を裏切り、出雲の者として暮らしていた。大任を負った使者のすることと思えない。騒速からすれば、恵まれた生まれの若彦が、大王に恩を仇で返しただけに見えた。


 沈黙を破ったのは鳥船だった。


「若彦殿を唆したのは」

「わからないけれど、智舗のものはすべて捨てただろうと、あれの耳元に囁いていた。若彦は否まなかった」


 台与がやや沈んだ声で目を伏せた。落ち込みを滅多に見せない彼女には、稀なことだった。


「人の姿を借りているけれど、人ではない。あんな物が杵築に入り込んでいたなんて」


 広間に面した庭から、春告鳥(うぐいす)の危なっかしい鳴き声が響いた。言葉の意味を取りかね、騒速は思わず眉を顰めて尋ねた。


「どういうことでしょう」


 人以外の物事を、なべて物と呼ぶ。とくに得体の知れないものを、(もの)()と呼んだりした。出雲の都である杵築に、物が入り込んでいるとは唐突な話だ。


「正体は知れない。でも強大な禍つ物だわ。何か人に仇なそうとして杵築にいる。しかも、杵築だけでことを終えるつもりはないはず」


 理解の及ばない話に臣下が言葉を失う中、台与は小さく息をついた。


「あれは出雲の手に負えないから、いずれ私たちが相手をする。でも詳しいことはわからないの――まずは人同士のことから考えなければ」


 鷹彦が口を開いた。


「若彦殿は、智舗の大王が現れたことを誰かに告げるでしょうか」

「いいえ」


 いやにはっきりと台与が言ったので、鷹彦は首を傾げた。


「若彦は死んだ。私が跳ね返した矢が当たった。大ごとになるかもしれない」


 淡々と言った台与に、騒速は目を瞠った。皆が息を呑んだ中で、のどかな春告鳥の声だけが、妙に場違いだった。鳥船が再び沈黙を破った。


「その後は、何かご覧になったのですか」

「傍らにいたのと別の誰かが、若彦に駆け寄ってひどく悲しんでいた。あれの妻だと思う。只人ではなかった」


 鳥船は、神妙な面持ちをした。出雲の者で、只人でないとなれば、おのずと国主の血縁――素戔嗚の末裔に限られた。若彦は、主命に背いたばかりか、出雲国主の血縁を妻に迎えたわけだ。

 台与は静かに続けた。


「国主の縁者となっていた若彦が、智舗の手で死んだ」


 鳥飛の結末の重大さに、台与自身も驚いていた。先見の力があると言えど、すべてを見通せるわけではないことは、騒速もこの数年の間に知っている。

 騒速は半ば慌てながらも、宥めるように言った。


「先に射掛けたのは向こうです」


 台与はやや顰めていた顔を不意に穏やかにして、いつも通りの気丈な笑みを浮かべた。深緋の巫女は恋心も虚栄心も持たない。だから動揺も迷いもなく、国を治められるのだと聞かされていた。それにしても、十七の少女がこれほど落ち着いているのには、尊敬を禁じえなかったが。


 考え込んでいた鳥船が、おもむろに言った。


企救(きく)に遣いを出して、警固(けご)を固めさせましょう」


 企救は、秋津洲と筑紫洲を隔てる海峡、穴戸関に面した水門(みなと)である。出雲のある秋津洲と、智舗のある筑紫洲が最も近接する場所だ。関は狭く、二つの陸地は互いに目と鼻の先だった。


 ええ、と台与が頷いた。


「すぐに兵が渡ってくるとは思わない。けれど、使者を送った時とは事情が違う」


 秋津洲側で関に接する穴門国(あなとのくに)は、和香彦が遣わされた頃は独立を保っていた。だが、智舗が内乱に明け暮れているあいだに、出雲との関係を深めていた。


「仰せのままに」


 鳥船が短く答えた。彼の横で、八女宿禰は切れ長の目を訝しそうに顰めている。


 宿禰(すくね)は得体の知れない男だった。生白い肌の印象も手伝って、いつも蛇のような妖しさを漂わせている。長く大王に仕える一族出身だそうだが、これほど貪欲に台与に擦り寄ったのは、彼が初めてだった。


 台与はその宿禰と鳥船とを一瞥した。


「近々、次の遣いを出雲に出す。やり方は、夷守と宿禰と相談して決める」


 各々が神妙な顔で頷いた。


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