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四 水潟彦

 丘の斜面から水路に崩れてきた大きな岩を退けてやろうとした時、国主の館からの遣いが来た。最近は伯耆(ほうき)石見(いわみ)に赴いてやることもなくなったが、たまに都の近郊の道や水路の補修に顔を出していた。遠くへ足を運ばずとも、民が褒めそやしてくれるので不満はない。どれだけ熱心に遠征をしても、国主から全く顧みられなかった頃に比べれば、今の方が気が楽だった。


 水潟彦は、臣下の呼びかけに応えて顔を上げた。ひと抱えほどもある岩を、ようやく肩の上に持ち上げたところだった。歯を食いしばっているので声が出しにくい。黒々とした目に太い眉、屈強な体つきをして物の怪のような形相で足を踏みしめている彼は、やや恐ろしいほどに迫力があった。近くにいた子どもが、親の足に半身を隠しながらおそるおそる見物している。


「どうした」

 臣下の脇に館からの遣いが佇んで、話しかける時を待っていた。ここ数年、水潟彦の間者のように立ち回っている男だ。痩せて、振る舞いは飄々としているが、目つきは鋭い。国主の后――死んだ母ではない――と通じる彼の間をいつも繋いでいる。

「館にお戻りくださいませ」

 彼女が呼んでいるという意味だった。滅多にないことに、水潟彦は眉を顰めた。肩に食い込む岩の重さにしかめ面をしながら、丘の斜面をのぼる。遣いは足音も立てずに後をついてきた。


「何があった。智舗の者が暴れ出したか」

「いいえ」

 一歩進むたび、足は一昨日の雨でまだ柔らかい地面に沈んだ。苔で滑りそうになるのに注意を払いながら、水潟彦は慎重に、前に踏み出した足へ重心を移した。

「智舗から新たな遣いが参りました」

 水潟彦はぎらつく目だけを動かし、遣いを一瞥した。

「何と」


 智舗の遣いは、これで四人目だ。最初は、十年以上前にやってきた忍彦だった。父に懐柔された彼は、此処意恵(おえ)(はふり)の立場を与えられ、ぬくぬくと暮らしている。次は、同じく懐柔された末に、腹違いの妹を妻とした和香彦だ。数月前に、雷に打たれて亡くなった。見ていた者の話では、智舗大王かのように言葉を話す、雉がやってきていたという。不可思議な話だったし、八年も経ってから和香彦を罰しにやってきたところに、智舗の執拗さを感じずにいられなかった。


 しつこさを裏付けるように先日、三人目の使者が来た。鳥船と名乗る壮年の武人だが、今度はいっかな懐柔に応じる様子がない。智舗で既に高い位を与えられており、妻子との暮らしにも満足しているのだろう。失いたくないものがあれば、居場所を離れない方が普通だ。


 四人目の使者は、鳥船の麾下らしい。水潟彦は、肩の上の石がもともとあった場所まで辿り着くと、盛大に息を吐いた。おそらく父の八千矛彦は、今回も地位や妻を与えて出雲に居つかせようとする。そう思うと忌々しい。国造りに貢献してきた自分ではなく、突然やってきた余所者が、何の苦労もなく位を賜ることが。智舗の遣いたちが与えられる位は、水潟彦の待遇や立ち位置に比べれば見劣りはするが、破格であることは間違いなかった。それに問題は位の優劣よりも経緯だ。何もしていない者が、国主の計らいで諸々を与えられていいものであろうか。水潟彦は、黙っていても何かを与えられたのではなく、地道に民からの尊崇を集めてきたと言うのに。


 積もり積もった苛立ちを込めて、水潟彦は勢いよく地に岩を置いた。落ちる前の岩が収まっていた窪みは、人夫に掘り下げさせていたので岩は具合よく収まった。再び落ちる気配はなさそうだ。荒々しい吐息をついた彼の額から、大粒の汗が流れた。濃い眉と彫りの深い顔立ちは、険しい表情を浮かべた今、なおのこと際立っている。


「それで」

 手についた土を払いながら、水潟彦は遣いを見やった。彼は普通の男より、頭一つ――いや二つ分は背が高い。

「俺に来いと言うのはなぜだ。四人目の遣いを叩き斬っていいのか?」


 以前から彼は、智舗からの使者など斬ってしまえばいいと思っていた。唐突に、見たこともない国の主に降れと言われて、黙っているのは癪だった。だが得策ではないと止められている。智舗が攻め込んでくる理由を与えることになるし、交渉もこじらせてしまうと。しかし、出雲の臣下になっていた和香彦を誅した者に、遠慮など必要だろうか。

「相手をしてやるか」

 腰に両手を当てて、水潟彦は呟いた。出雲を統べているのは彼ではないのだが、杵築の意に沿わない輩がいるのは単純に気に食わない。


 智舗の遣いには、こちらの考えを伝えてやらねばならない。暫くぶりに国主の后にも会ってやろう。彼女としても、高齢の国主より、水潟彦の相手のほうが気乗りするに決まっている。嫡后をはじめとした后たちがここ数年相次いで亡くなったため、今では彼女が唯一の御妻だ。だから尚更国主の相手をせねばならないことが多く、さぞかし倦み疲れているだろうと思われた。

「馬を引いてこい」

 半ば横柄に言い放った彼に、間者は微動だにしないまま答えた。

「御意」




 部屋に戻った騒速は、床に座り込んだ。館の一角に閉じ込められ、奥出雲に人を差し向けることが叶わない。立てた片膝に手を置き、深く息をついた彼の肩に、雀がやって来てちょこんと止まった。騒速は自嘲気味に笑ってから、雀に顔を向けた。

 奥出雲で台与は、国主の館に入れないと言った。和香彦のもとへ行ったことを知られたため、再び入ってこられないようまじないが台与を拒んでいると。普段の台与なら大抵のまじないは跳ね除けられるが、遠く離れた出雲では力が弱るらしい。杵築では台与の力を借りずして事を進めねばならないと、川雁になった彼女から聞かされていた。


 しかし山門大王は飛んできてくれた。雀の小さな体で此処まで来るのはさぞかし骨が折れただろう。親しみを込めて小さな雀を見やると、冬でもないのに胸を膨らませていた。深緋の巫女様、と呼び掛けようとして騒速はやめた。誰が耳を欹てているかわからない。一呼吸おいてから、声を潜めて話しかけた。


「来られはしたがお話しになれないのですね?」

 短い囀りが是と答えていた。大王が傍らにいるのは心強かったが、不思議なことにも思われた。台与はあどけない少女の顔をしながら、明晰な主君でもある。吉備でも奥出雲でも、必要なことを伝えると早々に立ち去った。指示を出せない状態でやって来ることは、何だか台与のすることに思えない。

 とは言え、普通の雀が人の肩に止まりに来ることはないし、人の言葉に応えることもない。只人ならざる誰かが宿っているのは確かだ。そして、鳥飛ができるのは山門大王ただ一人である。


 壁のない回廊の向こうには、桂の木が佇む庭が見える。厚く空を覆っていた雲は薄くなり始めており、夜には晴れると思われた。周囲に誰もいないことを確かめてから、騒速は囁いた。

「夜に鳥船様とその手勢を探します。月明かりの元でなら動き回れるでしょう」

 雀は軽快に囀ったかと思うと、外へ飛んで行った。騒速は虚脱感に任せて床板に寝転がった。明るい内は動くことができない。考えだけが脳裏を巡り続けるのが憂鬱だった。


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