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九 鉄造り

 翌日、したたか朝寝をしていた騒速を、起こしに来たのは小さな糸藤だった。容赦なく布団を引きはがされ、騒速は思わず苦悶の呻き声をあげた。台与と鷹彦と話し込んだ後、床に就いたのは明け方だったのだ。

 重い瞼を空けると、糸藤がまじまじと騒速の顔を見つめていた。なぜ彼が部屋にいるのか、すぐには頭が回らなかった。盛大に顔を顰める騒速の前で、糸藤は舌足らずな口調で言った。


「綺良様が、川に来るようにって」


 昨夜の蛟を思い出して、騒速は我知らず口元を引き締めた。目の前にしている間は驚きばかりが頭を占めていたが、思い出してみるとおぞましい迫力があった。

 騒速の思いをよそに、糸藤は明るく告げた。


「鉄の砂を見せてあげる」


 乱れて絡まっていた髪を、騒速は顰め面のまま手櫛で解きほぐした。綺良姫の言うことなら、何を置いても行くべきだ。目はまだ開き切らないし、体は鉛のように重かったけれど、ひとまず糸藤に頷いて見せた。


「わかった」


 身支度をして、糸藤に導かれるまま館を出た。棚田の畦道を下り、昨日蛟を見た場所よりも下流に向かった。糸藤は道をはっきりと覚えていて、足取りに迷いはない。昨日と違い、騒速を怖がる様子はなく、どこかきょとんとした顔ながらも淡々と歩いていた。


 川べりを暫く下っていくと、子どもや男たちが数名、水の流れに入って川床を浚っているほか、女たちが彼らの掬った砂をより分けているのが見えてきた。綺良は川岸にいて、黒鉄の砂の混じりけが充分に少なくなったことを確かめてから、別の作業場へ運ばせるよう指示を出していた。川には足を踏み入れないものの、皆が川床を浚う場所についても、時折教えてやっていた。


 蛟のいた場所より流れが緩やかで、川幅も広い此処には、人が石を並べて築いた簡単な堰のようなものがあった。石の丈は膝丈より低かったが、黒光りする石が並んで水の流れを遮るさまに、なぜか騒速は妙な重々しさを感じ取った。


「来たか」


 綺良が騒速と糸藤の姿を目にとめた。里の者たちは、見慣れない若者を不思議そうに見やったものの、綺良が声をかけているためか怪しむ様子はない。


「お呼びいただいたとか」


 糸藤を一瞥しながら騒速が言うと、綺良は頷いた。表情は溌溂として、昨日の切迫した姿とは別人のようだった。


「昨日は驚いただろう。せっかくだから、気分の変わるものでも見ていくといい」


 明るく言った綺良に、咄嗟に何を返すこともできなかった。彼女は騒速の返事を待つ気はなかったようで、すぐに里の者たちとの作業に戻ってしまった。騒速を追い出しもせず、あまつさえ気遣う彼女の振る舞いに心が痛い。

 黙って突っ立っているのを奇怪に思ってか、糸藤が足元にやってきて騒速を見上げた。騒速はじっと里の者たちの作業を注視した。男たちは小さな堰の川上側を何度も行き来しながら、時々川底に向かって注意深く屈みこみ、砂を取っていた。


 膝丈ほどの高さの石の列は、緩やかに川の水を堰き止めている。堰で束の間淀む水に混じった砂だけが、石の間際に留まって積もる。水はやがて小さな堰を越えていくが、溜まった砂は人の手で集められる。男たちの手元を見ていると、黒鉄は他の砂より重いようで、黄土色の砂を少しのけると下から黒い砂がのぞいた。

 興味深く様子を見ていると、上機嫌の綺良が説明した。


「以前は川に入って、どこに最も黒鉄の砂があるか、皆に教えていたのだ。蛟が来るとわかって、できなくなったが」

「そうでしたか。でも皆、手馴れているのですね」

「うん。だが本当はもっと速くできる。水に入って、砂のあるところを近くで探れればな」


 歯がゆそうに綺良は呟いた。言いながら、川から上がってきた若者の持つ浅い籠の中身に素早く目を走らせていた。


「混ざりものを取り除き、乾かした鉄の砂の光は、金屋子神の娘の目と同じだ。黒い真砂を穴師と探し、蹈鞴を設ける風の通り道を村君と探るのが長の仕事だ」


 足に何かが纏わりついて、騒速はふと目線を落とした。糸藤が彼の足を背もたれにして、働く男たちを見やっている。


「川に入っても?」

「もちろん」


 騒速は黒々とした石の並ぶ小さな堰に近寄った。流れの中に屈みこむと、確かに石の脇に砂が積もっているが、既に大半は浚われた後のようだ。試しに手を入れて砂をいくらかのけてみたけれど、同じ黄土色の砂が下にあるばかりだった。


「湿気が増してくるから、もうすぐ蹈鞴は焚けなくなる。再び焚く秋までに砂を集めてためておくのだ」


 騒速は晴れない気持ちで、堰を形作る石の上に手を置いた。しかし、石から不穏な気配を感じてすぐに手を離した。石は深い黒色をしており、川底に散らばる灰色の小石とは色が違う。ただの黒色ではなく、微細にきらめく粒が混じっている。


雲母(きらら)の石を切り出して作ったのだ。騒速殿は、あまり好きではないだろうけれど」


 横合いから綺良が言った。石に触れた時の感触を見抜いたかのような言い方に、騒速は首を傾げた。


「好きではないとは?」

「雲母は雷を通さない。御雷の息子には気に召さないだろう」


 はあ、と騒速は感嘆して言った。綺良が石を読む力は、黒鉄や翡翠や、あらゆる石に及ぶのだ。つくづく不思議だと思っていると、綺良が不意に問いかけた。


「雷の神の末裔には、出雲国が――黒鉄の里がどのように見える」

「どういうことでしょう」


 騒速はゆっくりと問い返した。


「綺良殿なら、苦もなくご覧になれるのではないのですか。石を読み、風の通り道を探れるのですから」


 偽らざる考えだったが、綺良は困ったような笑みを浮かべていた。そういうことが聞きたいのではないと言いたげだった。


「見ただろう。蛟がやってきて、しかも大きくなりつつある。智舗の者には、それがどう映る。これからどうなると思う」


 今や眠気の覚めた頭で、台与の言葉を思い返した。綺良も台与と同じ考えを抱いていることが直感的にわかった。里が真に対峙すべきは、水の物であって杵築ではない。

 昨夜は許婚のことがあって取り乱したものの、やはり里の状況について話したかったのかもしれない。杵築に身内を奪われることを恐れる里の者たちは、国主に逆らうことを望まない。しかし綺良は、水の脅威について誰より切羽詰まった実感を持っている。

 川の中に膝をついたまま、騒速は綺良を見上げた。


「筑紫洲では、蛟を見たことはありませんでした。人が地を治め、物が鎮められているからでしょう。蛟が大きくなるのであれば、水の物の力は強くなっている。いつか里が呑み込まれることもありうる」


綺良は暫く難しい顔をして黙っていたものの、再び口を開いた。


「水と山を治めるには、森を深く保つしかない。代々の国主も、言代彦様も、そうおっしゃっている。素戔嗚様が出雲に降り立たれた時以来、荒ぶる水や山を抑えるために」

「今の国主は思いを異にするのですか」

「黒鉄ばかり得ようとすれば、森が荒れることはご存じのはずだ。でも長らく、この里に見合わぬ量の鉄を求められている」


 無邪気に話しながら砂を選別する少女たちを、綺良は複雑な表情で眺めていた。矛盾を知りながら黒鉄づくりを命じる胸中は、苦しいに違いない。


「取り立てが厳しくなったのは十年ほど前からだ。でも言代彦様は――海も山も知る次の国主なら、我らを守ってくれると思った。だから遣いを出し続けているのだが」

「お会いできないのですね」


 綺良は糸藤の父が昨日三穂埼から帰ってきたと言った。だが、言代彦と何を話したとは言わなかった。理由はわからないが、会えなかったのだろう。

 黙したままの綺良に、騒速は言葉を選びながら言った。


「中つ国に人が暮らすには、物を治めることが必要だと、智舗の大王はご承知です。水と山を、森で治めるという綺良殿の考えにも頷かれるはずだ」


 綺良は暫し俯いて何も言わなかったが、おもむろに顔を上げると、静かだがはっきりとした声で言った。


「綺良でいい。どうせ同じ歳だ」


 驚く騒速の前で、綺良は傍にいた少年を振り返って告げた。


「今日採れる分は採り尽くしてしまったな。今あるものを選り分けたら終わりにしていい」


 はい、と答えた少年に、後は任せた、と声をかける。再び騒速の方を向いた。

「着いてきてくれ。見せたいものがある」

 歩き出した綺良を騒速は立ち上がって追った。

「館に戻って、馬を用意させよう」


真昼に向けて強くなる陽光が、綺良の眼の中で踊っていた。


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