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五 勾玉

 最初は断られるであろうことは納得ずくだ、と鷹彦は言った。突然現れた遠国の者に、おいそれと里の内情を明かすほど、綺良は迂闊ではないだろう、と。綺良が何を隠したかは気になったものの、騒速は頷いた。暫くは深緋の巫女が言ったことを信じ、里の様子を探るしかない。


 陽が落ち、宛がわれた部屋に大人しく入ったが、騒速は眼が冴えて眠れなかった。ようやく寝付いたと思ったら、奇妙な夢を見た。


 耳が痛いほどの静寂の中、独り深い森にいた。黒鉄の里に辿り着くまでに歩いてきた木立だが、誰の姿も見当たらず、梢の鳴る音すらしない。薄曇りの空の下、風はそよとも吹かず、自分の声も聞こえなかった。


 あまりの静けさに何かがおかしいと気づいた時、木々が音のない叫びを上げ始めた。最初は遠くで一つだけ、だが徐々にすぐ近くの樹までもが、耳には聞こえない凄絶な声を響かせる。何の音もしないのに、沈黙にこもった異様な迫力に騒速は気圧され、息を詰めた。やがて声なき叫びに呼応するようにして、足元の小石や砂が震え始めた。


 一陣の風が吹いた時、一斉に木や石が沈黙を破り、音を立て始めた。梢が唸り、下草が揺れ、石の鳴る音が響く。ひどく騒々しく、同時に不穏で、背中に走る怖気が止まらない。

 夢だと気づいて何とか目を覚ましたのは、木々の叫びの向こうに荒れ狂う水の音が聞こえ始めてからだった。寝床で飛び起き、暫く弾む息を静めていたものの、再び寝付くことはできなかった。辺りはまだ夜更けで、朝までは長い間があった。


 騒速は床を離れた。部屋の外の回廊に出ると、こぎれいに手入れされた庭が月明かりに浮かび上がっている。他の棟や木の塀に囲まれた中に、ところどころ庭木が佇む簡素な庭だ。澄んだ月光が冴え冴えと照りわたり、初夏の夜の眺めが清々しかった。漆黒の空には片割れ月が浮かんでいる。


 床板に胡坐をかいて、騒速は深く長く息をついた。静まり返った夜は美しく、大勢の人の気配が夜をも覆う御笠の都では見られないものだ。今はそれがやや寂しかった。智舗と自分の間に遠い道のりが横たわっていると思い知らされる。綺良たちの反応を見て、還れる日が近くないと悟ったことも、遣る瀬無さを深めていた。


 都を発つことは自分で選んだので、智舗が恋しいという弱音ではない。会いたい人がいるのに、いつ還れるかわからないことが切なかった。会ったところで何ができるわけでもないが、最後に見たのが自分の言葉に凍り付いた顔と言うのは、どうにも耐えがたい。相手を傷つけてしまったことを、すぐにでも謝りたかった。


 ふと庭木の上で大きな影が伸び縮みして、目を瞬いた。枝の上で大きく輪郭を広げたそれは、よく見てみれば見事な木菟(ずく)だった。騒速の前で、木菟は厳かに二声鳴いた。大人しく聞き入っていると、横合いから微かな足音がした。


 綺良が回廊を歩いてやってくる。纏っているのは夜着ではなく、髪も藁で束ねたままだ。まだ眠っていないのかと驚いたが、不思議そうに尋ねてきたのは彼女の方だった。


「どうかしたか」


 騒速が部屋の外に出ているのを訝ったらしい。怪しまれるのも当然だと思いつつ、さり気なく綺良の腰帯を一瞥した。武器は佩いていなかった。


「剣を突きつけに来たのではない」


 帯剣しているか確かめられたと気づいて、綺良は呟いた。皆が寝静まっていることを気遣ってか、声は静かだった。


「――すみません」

「いい」


 微かな羽ばたきの音を立てて、木菟が夜空へ舞い上がった。滑るように飛び去る月影を、騒速は半ば羨みながら見送った。


「眠らないのか」

「妙な夢を見て、起きてしまったので」


 綺良は微かに目を見開いた。


「どんな夢だ」

「何と言うべきか――森の中で木や石が、特に木々が叫びを上げているような」


 瞠目した綺良は、暫し黙ったまま騒速を見据えていたが、やがて小さく息をついた。


「只人でない者は、あの夢が見えるのか。里には私しかいないのでわからなかった」


 綺良は黒鉄の里でただ一人の、金屋子神の末裔だ。親は既にないと言っていた。兄弟もいる様子はないから、只人でないのは確かに綺良ひとりなのだ。

 御笠の都には、日の神の裔の台与はもちろん、鷹彦に狭依、多岐都、騒速自身と、只人ならざる者が多くいる。冬至に行われる祭祀には、智舗国全土から国長たちが集まり、その中にも只人ならざる者がいた。だが考えてみれば、大抵の土地では、広い国に多くて数人、神々の裔の血を引く者がいるだけだ。


「騒速殿は、御雷(みかずち)の神の裔だったか」

「はい。――綺良殿も、同じ夢を見たのですか」


 尋ねるように呟くと、ああ、と答えが返ってきた。


「十の歳からだ。年々酷くなる」


 綺良の顔が険しくなった。不穏な夢を長きにわたって見続けるのは心が休まらないだろう。しかし綺良はおもむろに、夢とは全く別のことを尋ねた。


「首に提げた玉は、どこで手に入れたのだ? 先ほどは聞きそびれたが」


 騒速は思わず自分の胸元を見やった。眠る時にも勾玉は肌身離さなかったので、今も首に提げている。だが、衣の下にあって見えないはずだった。


「私は石が読める。月の勾玉の正体を当てて見せただろう。強い力を持つ石なら、見えなくてもどんなものかわかる」


 騒速の疑問を察して、綺良は淡々と言った。騒速は驚きつつ、感心した。


「そうだったのですね」

「黒鉄を造るには鉄の石か、それが砕けてできた砂が要る。私は黒鉄がどこにあるか探せるし、黒鉄でなくとも石を読み分けられる。その勾玉は高志の玉とお見受けするが」


 高志は、出雲からさらに北東へ行った先にある国だ。翡翠の産地であると、騒速も聞いたことがあった。


「詳しくは知りません。智舗で、ある方から頂いたものです」


 騒速は衣の下から勾玉を取り出した。翡翠は月明りの下で、昼に見るより暗い色を帯びていた。玉を目にした途端、綺良は軽く目を瞠った。


「随分古くに磨かれた勾玉だな。優れた工が手掛けたに違いない」


 綺良の顔に、感嘆したような笑みが浮かんだ。月下で、輝く砂のような瞳がきらめいて、器量よしとは言えないはずの笑顔が妙に眩しい。


「出雲でも勾玉を造っているが、随分前から瑪瑙(めのう)が翡翠にとって代わってしまった。翡翠の勾玉は見たことが――」


 ない、と言いかけた綺良だったが、はたと言いやめて考え込むようにした。


「よく似たものを見たことがある。確か、奴奈川姫(ぬなかわひめ)様の」

「奴奈川姫?」

「大国主様の后の一人で、高志から嫁がれた方だ。熱烈に(おとな)われて后に迎えられたが、嫡后(おおきさき)様に随分嫉妬された。もう亡くなられたが、見事な翡翠の(くび)(たま)をお持ちだった。昔、杵築でお会いした時に見せて下さったのだ」


 勾玉を矯めつ眇めつしながら、綺良は続けた。


「あれより古くに磨かれた翡翠は、姫神の国に納めたものだけと仰っていた」


 姫神、と騒速はまたも繰り返して呟いた。高天原の剣から生まれた三人の女神を姫神と呼ぶ。姫神の裔の家には、今でも必ず三姉妹が生まれる。

 黙り込んでしまった騒速をよそに、綺良の声は朗らかだった。


「ああ。末裔は筑紫洲に降り立ったのだろう? 身像国だったか」

「――ええ」


 半ば茫然としながら、騒速は頷いた。勾玉を贈ってくれたのは、台与ではなかった。


「貰ったと言うのは、身像の誰かからか」


 胸を苛む激しい後悔に耐えながら、騒速は答えた。


「はい。旅の餞にと」


 姫神は、旅路の無事を守る神である。


 狭依は藤見の夜の詫びのしるしだけでなく、騒速の草枕の無事を願って、玉を渡させたのだ。よりにもよって、身像に古から受け継がれてきたであろう翡翠の勾玉を。なのに自分は、贈り主を勘違いしたまま童に短い言伝だけを託し、御笠を離れてしまった。狭依に放ってしまった冷たい言葉について、謝ることもできなかった。

 内心で呻きをあげた騒速に、綺良がさらに追い討ちをかけた。


「これほどの品を贈られると言うことは、国長か誰かが許婚なのか?」

「いいえ。国長の妹君から贈られたと、たった今気づきました。名を伏せて渡されたので」


 急に意気消沈した騒速を眺めまわしながら、綺良は訝るように尋ねた。


「知っていたら受け取りたくなかったのか?」

「いいえ。むしろ、相手がわかっていれば、伝えたかったことを言伝できた。少し前に諍いがあったことを気にして、名を伏せたのかもしれない」


 綺良は俄かに同情するような面持ちになった。言葉の断片と、騒速の顔に滲んだ悔しさから、大方の事情を察したらしい。ふと気遣わしげな表情を浮かべた。


「自分からの餞が受け取って貰えなかったらと思って、怖かったのだろうな。だが其方を見るに、名を明かすのが正しかったようだ」


 騒速は頷くことしかできなかった。狭依にとって大切な品を渡してくれたことが、何を意味するかはわかっていた――今更のことだった。きつい言い方をしてしまった後、狭依が想いを伝えてくれたのに、応えられなかった。後悔が胸の奥を締め付け、鋭い苦しさを訴える。


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