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四 黒鉄

「月読の里の者が、如何なる用で参った――智舗の名を騙ってまで。出雲に滅ぼされた報いをしに来たか」


 綺良は鷹彦の出自に気づいていた。なのに智舗の遣いと名乗られ、不信を抱いたのだろう。なぜ勾玉の正体に気づいたかは謎だが。村君は、否定も制止もしないが、綺良がなぜ鷹彦の来し方を見抜いたか承知しているのだろうか。彼は、信頼をもって見守っているようだった。

 鷹彦が静かに答えた。


「如何にも私は科戸の生まれで、月読の末裔だ。十八の歳に郷里を追われ、筑紫洲に落ち延びた。以来智舗に仕え、智舗の大王の命で此処に参った。科戸の報いをするために来たのではない」


 綺良は暫し考え込んだが、やがて騒速を一瞥してから頷いた。目線が衣の下に提げた翡翠を走った気がしたが、確かめる前に綺良は鷹彦の方を向いた。


「――先を」

「智舗は百余国と手を組み、筑紫洲で国を拡げてきた。此度、智舗は秋津洲へ同盟を拡げようとしている。その相手が出雲国だ」


 鳥船が国主を訪ねたことを聞いているからか、綺良に驚いた様子はない。


「出雲へは二度、遣いを差し向けた。一人目の使者は三年戻らず、二人目は八年経っても戻らなかった。杵築の様子を探ったところ、使者が出雲国主に仕えていたことと同時に、物が棲みついているとわかった」


 鷹彦が物と口にした時に、綺良の唇の端が微かに歪んだ。


「智舗の大王によれば、物は杵築だけでなく、出雲の水の源にも根を下ろしている」


 今まで黙っていた村君が口を開いた。


「水の源とは、この里のことか」

「如何にも」


 鷹彦の返事の後、長いしじまが降りた。広間の脇の廊下の向こうに、薄青い夕闇に包まれた庭が見える。庭木に止まった烏のさえずりが、妙にうるさく響いた。綺良と村君は暫く沈黙を守っていたが、やがてごく静かに村君が尋ねた。


「この山から湧く簸河は、奥出雲から北の入海へ注ぐ。出雲国の水源であることは確かだが、物が棲んでいたとしてどうするつもりだ」

「物を退けるのに手を貸そう。その代わり、杵築から物を退け、出雲が智舗に降る時には力を借りたい」


 淡々と告げた鷹彦に向かって、綺良は呆れた顔をした。


「唐突な口約束に里の命運を委ねるほど愚かではない。今日来た者に、物を退けるとか、出雲を降らせると言われてもな。杵築はおろか、里のことも知らないだろうに」

「もっともな話だ。だから水の物について尋ねようと、里長のもとへ参じた」


 理屈はわかったが納得していない顔で、綺良は鷹彦を見据えた。年寄りがまたも口を開いた。


「今日現れた其方らに、綺良姫が縋るはずはないのはわかるだろう。里に望みがあったとて、里の者が自ら叶えればよい」

「無理のないことだ。だが水の物の怪を野放しにすれば、いずれ出雲だけでなく大八洲が呑みこまれる。そうなる前に手を打ちたい」


 淡々と告げた鷹彦の傍らで、騒速はふと目線を落として考え込んだ。村君の言い回しが気になった。智舗が叶えるには及ばないが、望みは何らかあるということに聞こえる。

 黒鉄の里が望むこととは、何だろう。里に貧窮した様子はなく、至極安穏としている。よそ者がやってきたことへの微かな緊張を除いては。考えて彼は、ふと綺良の佩いている剣に目を止めた。


 彼女が慣れない剣を使おうとしているのは、里に普通でない何かが起こっているからではないか。里を脅かすのは誰だろう――水の物の怪だろうか。それなら、水に入ることに綺良が何らかの禁忌がある様子だったのも合点がいく。


 目にしたものをさらに思い返すうち、ふとある考えが浮かんだ。山に住んでいた騒速は、木々を伐りすぎることの意味を承知していた。木が少なくなれば地盤が弱くなる。あれほどの広さにわたって木を伐れば、里の山肌が崩れてもおかしくない。水が土の中に溜まらなくなり、水害も起こりやすくなる。

彼は思い切って口を開いた。


「黒鉄づくりのために、やむなく水の物をのさばらせているのですか」


 唐突に静けさを破った騒速に、皆が一斉に目を向けた。鷹彦もまた、何事かと言いたげな風情を微かに漂わせる。思わず口を噤みそうになったが、気持ちを落ち着かせて続けた。


「黒鉄のため、あまりに多くの木が伐られたようです。このままでは雨で山が崩れて、大水が起こるかもしれない。水の物の怪も力を増すでしょう」


 日は徐々に沈み、広間は薄い青に染まり始めている。薄闇に沈んだ綺良の厳しい面持ちは、騒速の言う意味を理解していることが明らかだった。


「其方が何を知っている」


 詰め寄るような語調の綺良に、騒速は努めて冷静に答えた。


「私はかつて金打(かなうち)を教わりました。鉄を打つのに大量の薪炭が要ることも、木のない山が荒れることも知っています。貴方たちがそれを知らないはずはないのに、なぜ危険を冒して黒鉄を造るのです」


 綺良は暫し押し黙っていたが、やがて言った。


「我らの里のことは、我らが決める」

「無論」


 ふたたび口を開いた鷹彦は、眉を顰めた綺良に向かって続けた。


「里にとって何が最善なのか、選ぶのは貴方がただ」


 月のように白い主の顔も、薄青い闇の色に染まりつつあった。背後に遠慮がちな軽い足音がして、おそらくは先ほどの童が灯を戸口近くに置いて行った。俄かに鷹彦の顔が橙色の火明かりに照らし出され、長い睫毛の影が滑らかな頬の上に落ちた。静謐さを秘めた瞳は、揺らぐことなく綺良を見据えている。


「最良の道が何か、考えるまでもなく明らかのはず。水の物を退け、黒鉄造りと治水の折り合いをつけるべきだ」


 挑発と言っても過言ではなかったが、綺良が怒る様子はなかった。千々の星を黒い珠に押し込めたような双眸は、恬淡と鷹彦を見つめ返している。面持ちは、華奢な体に負う荷の重さを映し出すようにやや昏い。火影から投げかけられる明かりが、黒目の中に複雑に輝いていた。


「その通りだな。考えるまでもない」


 綺良は深く息をついた。


「我らはこの山で、黒鉄をよすがに暮らし、自らを守ってきた。これからもそうする」


 微かな違和感を禁じえなかった。綺良の言い方は妙に意固地で、頑なだ。里の者に対する鷹揚さや、突然やってきた遣いにも淡々と応じる度量からは、どこか相いれないほど。水の物についても、黒鉄造りについても、ひたすら言及を避けている。


 自らを危険に晒してまで、黒鉄を造るのは誰に求められてのことか。里長が逆らえない相手と言えば真っ先に、杵築にいる出雲国主が浮かぶ。鉄を求める誰かは、里の中ではなく外にいるのではないか。

一方、鷹彦の話では、伽羅国の石から造る黒鉄の方が、此処で砂から造られるよりずっと多いはずだった。杵築が鉄を大量に欲しがっているとしても、奥出雲の山を犠牲にしてまですることだろうか。


 思案する騒速の前で、綺良は立ち上がった。


「智舗の者にどうこう言われる筋合いはない。奥出雲に関わることは諦めて、杵築の仲間の元へ向かうことだ」


 村君が無言のうちに頷いた。鷹彦が静かに尋ねた。


「諦めがつかない場合は」


 綺良はため息をついた。またも騒速の胸元を一瞥すると言った。


「諦めがつくまで、留まることだけは許す。月読の勾玉と、高志(こし)の玉に免じてな」



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