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三 綺良

 (いと)(ふじ)という名の男の子は、泣き疲れたのと、安心したのとで眠くなったらしい。しきりに目をこすり始めたかと思うと、見かねて抱き上げた綺良の腕の中で安らかな寝息を立て始めた。綺良は歩きながら、彼を探しに来た顛末を語った。


穴師(あなし)と呼ばれる者たちは、川で黒鉄の砂を探す。この子も親と一緒に川に来ていたのだが、途中で姿が見えなくなった」


 見たところ何の変哲もない川だが、此処から黒鉄の砂が採れるのだろうか。不思議に思っていると、綺良が横合いから補足した。


「此処ではなく、別の川筋だがな。黒鉄の岩が砕けて砂になると、川下まで流れてきて積もる。集めた砂を蹈鞴(たたら)で焚いて黒鉄を作る」


 鷹彦の言った通り、彼らは砂から黒鉄を造っていたらしい。伽羅国の石ではなく。


「今日は新しい場所に砂を探しに行ったら、手間取っているうちに糸藤がはぐれてしまった。この子の母と探していたのだが、その母は身重なのだ。途中で具合が悪くなってしまったので、長の館で待つように言い、私一人で川上を探していた」

「驚かせてしまい、申し訳なかった」


 鷹彦が言うと、綺良姫はかぶりを振った。


「こちらこそ、物々しいなりと振る舞いですまない」


 物々しいなりについては気になるところだった。砂を探しに行くという、彼らにとっては日常の場面でも、とても武人に見えない綺良が剣を帯びるものだろうか。見慣れない余所者を警戒するのは当然だとしても。


 なだらかな下り坂が平坦な道に変わると、間もなく大きな広場に出た。一角には伐り出され枝を払われた丸太が、うずたかく積まれている。その丸太をを薪に割るため、男たちがあちこちで手斧を振るっていた。黒鉄づくりには原石だけでなく、大量の木炭が要る。木立の向こうに見える斜面では、炭作と呼ばれる工たちが、窯で大量の炭を蒸し焼きにしていた。蹈鞴は炭作たちの作業場よりもさらに里の奥にあった。


 湿気の多い季節になってきたため、焚かれている炉は少なかったが、折しも人の背丈ほどの蹈鞴を男たちが壊していた。筒状の蹈鞴に燃え盛る炎に、(たくみ)の振るう大きな鎚が振り下ろされる。崩れた蹈鞴からは焼けつくした炭とともに、赤々と燃える(けら)が流れ出した。白く赤く輝く鉄は、地上を流れながら鮮烈な火花を散らしている。綺良によれば、蹈鞴を司る工たちのことは(むら)(ぎみ)と呼ぶらしい。


 里長の館へと向かう間、綺良とすれ違った誰もが道を譲り、やや緊張感のある好奇心をもって鷹彦と騒速を眺めた。明らかに見慣れない二人ではあるが、綺良が連れているので誰も何も言わないようだ。

長の館の庭では、何人か男女が集まっていた。糸藤と綺良の姿をみとめると、皆安堵した表情を見せる。大きなお腹をした女が、綺良に駆け寄ってきた。


「糸藤」

「よく眠っている。泣いていたが、怪我はなかった」


 心配そうに腕を伸ばした母親に、綺良は言った。女はひどく恐縮した様子で糸藤を抱き取り、礼を言った。


「ありがとうございます。姫様はお怪我は」

「何ともない」


 綺良は快活に答えたが、ふと思い出したように眉を顰めた。


「だが、水に入ってしまった。今宵は皆に迷惑をかけてしまうな」


糸藤の母親も、彼女に歩み寄ってきた夫らしき男も、綺良が眉を顰めた理由を知っているらしい。母親は途端に身を縮こまらせて謝った。


「それは本当に……申し訳ないことで」

「よい。こちらの方々が運んでやろうとしていたところへ、川に飛び込んだのは私なのだ。――三穂埼(みほのさき)から帰った日なのに、よく眠れなくてすまないな」


 声を掛けられた男は、いえ、と答えながら怪訝そうな顔で騒速と鷹彦を見やった。

 川に入ったことの何がいけないのか、騒速は内心首を傾げた。先ほど時も今も、綺良に変わった様子はない。騒速の疑問をよそに、綺良は女の傍らの夫に言った。


「村君の馬馳(まばせ)を呼んできてくれないか。遠国の方々が私に会いに来たと言うのでな」


 子どもを抱いたまま、母親が驚いたように騒速らを見た。騒速もまた、まさかと胸の内に呟いた。確かに彼女は只人ではないが、道々そんなことは口にしなかったではないか。

 微かに眉を顰めながら男が尋ねた。


「一体、どちらから」

「筑紫洲は智舗国から。其方が聞いてきたと言う、杵築へ遣いを寄越した国だ」


 驚いた様子ながらも、男は神妙な顔で頷いた。


「すぐに連れてまいります」

「助かる。館に来るように言ってくれ」


 驚き冷めやらぬ騒速と目が合うと、綺良は得意げな笑みを浮かべた。

 黒鉄の里の長は、綺良姫その人だった。




 薄紅の西日が差す中、騒速たちは小ぢんまりした広間に通された。二人が腰を下ろすと、綺良姫が黒鉄の里について教えてくれた。


「黒鉄の里長は金屋子神(かなやごのかみ)の末裔が務める。私のように、鉄の砂の目をして生まれた者が。金屋というのは、黒鉄と薪を求めて住処を移しながら暮らす者のことだ」


 傾きかけた陽の光が、綺良の眼の中に橙の粒を散らすように映り込んでいた。


「神代に金山彦神(かなやまひこのかみ)金山姫神(かなやまひめのかみ)が、御子である金屋子神を中つ国に遣わした。金屋子神は高天原(たかまがはら)から白鷺に乗って桂の木に降り立ち、黒鉄造りの技を齎したと言われている」


 言いながら綺良は、腰に佩いた剣を外して床に置いた。彼女に倣って、鷹彦と騒速も剣を鞘ごと床に置いた。


「父母が亡くなった時から私が長だ。これほど早く長になるとは思ってもみなかったが、年寄りの力を借りてどうにかやっている。――鷹彦殿は驚いた様子がないな」


 おもむろに水を向けられて、鷹彦はわずかに目を伏せた。


「貴女のような国長をかつて知っていた。只人ではなく、男のような話し方をした」


 科戸国(しなとのくに)の姫のことだと何となくわかった。鷹彦について筑紫洲のあちこちに赴いてきたが、そのような国長に会ったことはない。綺良は淡白に、そうか、とだけ呟いた。

 広間に隣り合う廊下から足音が聞こえたかと思うと、小さな(わらわ)が戸口から顔を出した。彼は高く澄んだ声で言った。


「村君の長がお着きになりました」


 童の背後からは、一人の老人が歩いてくるところだった。足取りが確かな老人に童が手を貸したのが不思議だったが、よく見れば老人の右目は灰色に濁っている。騒速の目線に気づいた綺良は、村君が腰を下ろす間に言った。


「村君は黒鉄づくりの要を担う。蹈鞴に入れる砂や炭の量も、燃やし続ける火の勢いも、燃え続けた蹈鞴をいつ崩すかも、村君が決める。蹈鞴で燃え盛る炎を見続けるうちに、村君は目が見えなくなってゆく。黒鉄の炎の光は、人の眼には強すぎるからな」


 童に手を引かれた老人が座るのを手伝ってやりながら、綺良は続けた。


「腕のいい村君ほど懸命に火を眺め続け、早くに目が利かなくなってしまう。馬馳も、随分前に蹈鞴の火に魅入られてしまったのだ。片目を瞑って炎を見続けるので、一つ目になったり、果ては両目の光を失う者もいる」


 綺良の脇に腰を下ろしながら、村君は力強く頷いた。


「三日三晩、桂が咲き続ける間だけ、花と同じ色に火を焚かねばなりませぬ」


 老人が揺るぎない口調で言うのを聞いて、綺良は穏やかに笑んだ。年の割には落ち着いているが、村君の老人と比べると無論まだまだ若い。振る舞いにも面持ちにも軽やかさを残していた。だからなのか、年寄りが来て安心した様子だった。


「筑紫洲の若人が、黒鉄の里に何の用向きかな」

「それをこれから聞くところだ」


 言ってから、綺良は俄かに声を冷ややかにした。


「まずは言葉に偽りがないかを確かめねばな」


 眉一つ動かさない鷹彦の脇で、騒速は顔を強張らせた。綺良の声には強い疑念と警戒が滲んでいた。


「本当に筑紫洲から参ったのか」


 綺良は鷹彦と騒速を見据えた。年寄りは、綺良に場の舵取りを委ねたようで、何も言わない。暫しの沈黙の後に、鷹彦が淡々と答えた。


「いかにも私は秋津洲の生まれだ。それについては長い話になる」

「やはりか。短剣の(ぎょく)を見て、そうではないかと思っていた」


 間を置かずに発された綺良の言葉に、鷹彦は微かに眉を顰めた。鷹彦の短剣の柄には、紐を穴に通した勾玉が括り付けられている。月読の神宝(かむたから)だ。勾玉を見て出自に目方を付けたなら、綺良は科戸国を知っていたのだろうか。


「出雲国の西に、勾玉を携える月読の裔の里があると聞いた」

「今はもうない」


 冷徹な声で鷹彦が訂正した。やはり月読の里を知っていた綺良は、鷹彦の返答を聞いても恬淡としている。


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