表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
14/29

五 吉備

 自らを吉備冠者(きびのかじゃ)と称する温羅(うら)という男は、どこからかやってきて黒鉄づくりを人々に教えた。伽羅国の出だとか、あるいは鬼だとも噂される彼は、瞬く間に吉備国を大国に育てあげた。田畑を耕すにも、堤や溜め池を作るにも、黒鉄の道具は欠かせない。穏やかな気候に恵まれた国が栄えるまで、歳月はかからなかった。


 騒速らを乗せた船は吉備の岸辺に差し掛かり、ほどなくして児島とはさまれた狭い海に入った。陸に上がり、冠者(かじゃ)の砦の場所を尋ねると、北の山間にあると教えられた。山へと歩くあいだ、宿禰はいかにも怠そうにしていた。


 砦の近辺には、緑に覆われた山並みのところどころが大きく伐り開かれ、蹈鞴場(たたらば)が設けられている。地面から幾つも伸びた四角い筒のような蹈鞴に、(たくみ)たちが盛んに火を焚いていた。黒鉄の石を燃やし、溶かすための炎だ。燃え盛る炉がひたすら立ち並ぶ眺めは、壮観だった。


 鍛冶場でも工たちが槌を振るい、赤く焼けた黒鉄を打っている。高く澄んだ小気味よい音が鳴り渡り、誰の手つきも如才なかった。


「蹈鞴場、鍛冶場が多いのは噂通りだな。山門の南と同じくらいか」


 金工(かなだくみ)たちを見ながら宿禰が言った。珍しく鷹彦が、宿禰の呟きに言葉を返した。


「ええ。ですが、見たところ吉備の方が蹈鞴の数が多い」


 宿禰は意外そうに鷹彦を一瞥した。


「ああ。――吉備は国を大きく拡げたが、大和方面には鉄が足りていない。伽羅国から仕入れた石を焚いて打ち、融通してやるうちに、ここまで蹈鞴場が大きくなった」


 斜面に見える蹈鞴の一つに、工が炭を足しているのが見えた。赤と紫に揺らぐ炎が、蹈鞴のてっぺんに燃え盛る。別の者は蹈鞴の脇に腹ばいになって、地上に空いた小さな穴から炎を見ていた。


「大八洲で採れる黒鉄はわずかで、石の出所の大半は伽羅国(からくに)だ。伽羅国との交易が途絶えれば、蹈鞴は役に立たぬ」


 並び立つ蹈鞴を眺めながら、宿禰が呟いた。

 勾配のきつい坂を登っていくと、吉備の平野のみならず、迫門の内海や伊予洲(いよのしま)までが見渡せた。山の頂には平らな土地が広がり、砦を設けるにはうってつけの地形だ。その平地をすべて使って、広大な城がしつらえられている。石垣に囲まれた敷地の中にいくつもの棟が連なり、張り巡らされた回廊や渡殿を、奴婢(ぬひ)が多数行き交っていた。


 身なりの良い老人から検めを受け、延々と事情を説明した末に、彼らは吉備冠者への目通りを許された。衛士(えじ)の脇を通って冠者の居所の軒をくぐろうとした時、一羽の鷹が頭上を掠めて飛んだ。


 近くの木に止まった鷹を、騒速は繁々と見つめた。生まれてこの方、鷹をじっくり眺めたことなどなかったのに、なぜか見覚えがある気がした。しかし、訝しげに自分を眺めている宿禰に気づき、慌てて鷹彦と彼とについて冠者の居所へ入った。

 鷹の目が何を思い出させるかはついぞ考えつかなかったが、もとより思案を巡らす暇はなかった。広間へ通され、吉備冠者の姿を目にした時に、あらかたの考えが吹き飛んでしまったからだ。


 広間の奥で片方の膝を立て、(おしまづき)に寄り掛かった大男の周りに、長く伸びた黒髪が這い回っていた。ごわごわと男の体やあたりを覆う漆黒の髪は、そこにだけ闇が渦巻くようにおどろおどろしい。髭の伸びた厳つい赤ら顔は険しく、ぎょろりとした目が眼光鋭く彼らを一瞥する。両脇に近衛を従えた彼が、吉備冠者だとすぐにわかった。


 吉備冠者は、堂々たる大男だった。背が高いのが、座っていてもわかる。使者のなかで最も長身の騒速であっても、座した冠者の顔を眺めるには、振り仰ぐようにしなければならなかったからだ。近衛は決して小柄ではないが、冠者の巨体に比べれば子どものようだ。絶句した騒速の前で、冠者は大きく眉根を寄せながら口を開いた。


「吉備冠者の温羅に、筑紫洲の者たちが何の用だ」


 地の底から響くような唸り声だった。警戒と敵意の漲る眼差しが、騒速らの上を走る。慄然と突っ立った騒速と目が合うと、冠者は呆れたように鼻を鳴らした。


「若造か。よほど人の少ない国と見える」


 言って彼は、爛々と滾る目を宿禰に向けた。宿禰の立ち姿は堂々として、落ち着き払った口もとには微笑すら見える。場の緊張を愉快に思っているのは、滲み出る昂揚が伝えていた。


「我は智舗国の山門大王に仕える武彦。八女宿禰と呼ばれている。これは警固の鷹彦と騒速」

「大国の長に差し向ける使者の数ではない」


 朝は晴れていた空が薄い雲に覆われ、広間の奥にいる吉備冠者には薄暗い陰が落ちた。その中で、冠者の眼光は一層鋭く漲るように見えた。荒々しく息を吐くと、長い口髭と顎髭の一部が揺れる。

 不満げな呟きを、宿禰は無視した。


「吉備国と智舗国の道筋を定める話をしに参った」


 冠者は露骨に顔を顰めた。

 騒速は、冠者が佩いた大振りの大刀に目をやった。宿禰は剣を帯びていない。鳥船から借りてきた手勢は冠者の前に連れて行くことが許されず、砦の外で待たされている。

 宿禰は単刀直入に言った。


「智舗国は、秋津洲に足場を築きたい。今、其方らが出雲と覇権を争っている大和に、其方らと手を組んでな」


 立てた膝に載せた片手に、冠者はゆっくりと力を込めた。怒りか驚きか、指にこもった力が何かは窺い知れない。ひとまず手が大刀に伸びなかったことに騒速は安堵した。


「最果ての国に与する理由などない。智舗は得をしても、吉備には得がない」

「智舗を気に入ろうと気に入るまいと、吉備にとって出雲が邪魔なことは変わらん。出雲を抑えられるなら、智舗と手を組む利があるというものだ」


 宿禰の不遜な物言いにも、冠者は動じなかった。


「我らが自ら叶えられる望みに、無理やり手を貸し恩を売るか」


 冠者は訝るような表情を見せたが、見上げる宿禰は落ち着き払っていた。


「大和から出雲を締め出すには、吉備と言えど一朝一夕には行くまい。だが智舗と与すれば、十年で叶う望みが一年で叶う」

「絵空事だ」

「そうは思わんが」


 言い放った宿禰に、冠者は蔑むような目線を向けた。宿禰は動じないが、騒速は気が気でなかった。彼の不遜さに、智舗では誰も今さら腹を立てたりしない。しかし今目の前にいるのは強国の長である。冠者は、苛立ちを隠しもしなかった。


「物わかりの悪い奴だ。吉備一国ですべて成せると言っているのがわからんのか」

「吉備が大国なのは認める。だが出雲を止めるのは、一国では為し難い」


 八女宿禰はふいに、抑えた声音になった。


「どうしても智舗と与する気がないならば、気が変わるまで穴戸関を塞がせてもらう」


 端的な言葉の効果は絶大だった。吉備冠者はにわかに顎を突き出し、ぎらぎらと苛烈な敵意に滾る目を宿禰に向けた。右手が、膝に乗せた大刀の柄に伸びる。騒速は息を詰め、自分も環頭の柄に触れようとした。


「騒速」


 鷹彦が小声で制した。彼を見やると、目線が控えるようにと告げている。主の手が剣に触れる様子がないのをみとめ、騒速は焦りを覚えながらも従った。だが、吉備冠者が腹の底から憤怒を覚えているのは明らかだった。

 宿禰は涼しい顔で続けた。


「智舗も吉備も出雲も、黒鉄を打つことができる。だが大和は違う。吉備は、大和に鉄を手当てしているだろう。だから伽羅国から仕入れた石を、ああしてひっきりなしに打たせている」


 商人たちによれば、出雲や吉備が黒鉄の石を仕入れるのは、自国のためだけではない。鉄の足りない大和に融通してやるためでもある。

 黒鉄がなければ田畑は富まず、軍馬も設えられない。黒鉄の原料となる石は、大八洲で採れるより、伽羅国からやってくるもののほうが遥かに多い。伽羅国からの原石と、森の豊かな大八洲の薪とを手に入れて初めて、黒鉄を大量に生み出すことができた。


 吉備と伽羅国とを行き来するには、秋津洲と筑紫洲に挟まれる海峡、穴戸関を通る必要がある。穴戸を避け、筑紫洲の南を回って旅することは難しい。大幅に余分な日子が要るし、筑紫洲の南は余所者を好まない熊襲国や隼人(はやと)の民に占められているからだ。


「穴戸を通れなければ、石の仕入れは難しかろう」


 穴戸関は、晴れれば対岸が見渡せるほど狭い。智舗は関に面した企救に水門を擁しており、智舗の船だけで航路を塞ぐことができる。そして、穴戸関を塞ぐことは、吉備の首筋に縄を巻くことと同じだった。


「良い度胸だ」


 冠者の語調は、今までになく静かだった。怒気よりも殺気に満ち、聞いた者の背筋を凍らせずにいない冷たさがある。


「遣いだけが現れ、冠者を脅すとはな」


 いつの間にか、外の日は陰っていた。智舗の使者たちのいる広間も薄暗さを増し、吉備冠者のいる奥はなお暗かった。


 一瞬、暗闇が濃くなっているのかと見紛った騒速は、すぐにそうではないことに気づいた。吉備冠者の長い髪と髭が伸び、床を這い、天井を伝って、使者たちに襲い掛からんとしていた。射干玉のような闇が広がり、眼前の光景を塗りつぶしにかかっている。すべての影を呑みこむ漆黒のなか、吉備冠者だけが中心で確固たる生気をもっている。騒速は息を詰めたが、隣の鷹彦はなおも剣を抜く気配がない。


 足元まで冠者の毛髪が伸びているにも関わらず、宿禰は平然としていた。


「吉備冠者は知恵者と聞いていたが」

「脅しに屈する愚者ではない」


 冠者は剣の柄を握る手に一層力を込めた。


「帰れ。大王とやらが参って、礼に適った物言いをすれば良かったものを」

「承服しかねる」


 宿禰が断ると、吉備冠者は吐き捨てた。


「お前の大王とならば話をしてやる」


 しばし宿禰と冠者は、物も言わず睨み合っていた。冠者の黒髪は、彼らの足元を覆いつくした。微動だにしない鷹彦をよそに、密かに剣に手をかけようかと考え始めた時、視野の端に何かが飛び込んできた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ