Episode021 転入生 I
「ここがそうかいな」
気の抜ける関西弁で研究所にやってきたのは、どこかテレビで見る出っ歯のお笑いキャラクターを彷彿とさせる若者だった。
季節は秋、紅葉にはまだ早いが、夏の日差しは消え、日々過ごしやすくなってきている。
「えーと、ロバート研究室は、と」
彼の名前は河東悟。遠く神戸からやってきたロバート研究室の転入生だった。
通常はロバート研究室には途中から入れないのだが、シンとハヤトの一件で特別に転入を許されたのだ。
とぼけた外観に似合わずなかなかの優等生だった。魔法等級は3級。
ミスティック・シナジーを勉強しに上京してきたのだ。
「おとんの仇を打つためにここに来たんやけど、正直、こんなに明るく振る舞えるわけやないねん。 でも、泣いててもしゃあない。 だからこそ、笑顔で乗り切るんや」
サトルは一瞬だけ顔を曇らせたが、すぐにいつもの笑顔を取り戻した。
「でも、今は前に進むしかないわな」
彼の父はフリーメーソン神戸ロッジのマスターをしていたのだが、エリュ・コーエンの陰謀により、殺されてしまったのだった。
ミスティック・シナジーを体得してその仇を討つのが彼の悲願だった。
サトルは一瞬だけ周囲を見回し、誰かが自分を監視していないか確認した。
「ここでもエリュ・コーエンが動いているかもしれん…気を抜いたらあかんで」
彼は心の中でそう呟きながら、あくまで軽い口調を保ち続けた。
「あの~、えらいすんません」
と道行く人に声をかけるが、大抵笑ってスルーされるか、気持ち悪がられて去って行かれる。
彼のベタな神戸弁と一見怪しい外観のせいだった。
「困ったのぉ、誰か話聞いてくれんかなぁ」
彼の外観で悩んでいると不思議とおかしく感じられた。
そこへ通りかかったのがスージーだった。
元々女好きなサトルがじっとしているわけはなかった。
「そこのべっぴんさん、えらいすんません、ロバート研究室ってどこでっしゃろ?」
「あなたは?」
いかにも怪訝そうに眉にしわを寄せてスージーが聞いた。
「怪しいもんちゃいます。転入生ですねん。ロバート研究室へ」
うわぁ、という顔をしたスージーはそれでも親切に
「私もロバート研究室の生徒よ。 案内してあげるからついてきなさい」
「これはラッキー、こんなべっぴんさんに案内してもらえるとはついとるわ」
先ほどとは打って変わって上機嫌のサトルだった。
「ロバート研究室には女の人多いんですか?」
「5人いるわ。 男は減っちゃったから3人」
「5人も! みんなべっぴんさんなんやろうなぁ」
ご機嫌のサトルに引き気味なスージー。
「さ、ここよ」
「先に教授に挨拶した方が良いでしょ。隣の準備室にいらっしゃると思うわ」
「そうですか。ほな、ご挨拶してきましょか」
鼻歌交じりに準備室に入っていく悟の後ろ姿に
「なんか、調子が狂う奴ね」とスージーは独りごちた。
「初めまして。 河東悟と申します。ロバート教授ですか? よろしゅう頼んどきます」
「サトルと呼んでください。 魔法属性は風。 魔法等級は3級です。 ミスティック・シナジーはまだ全然憶えてません。 しかし案内してくれた彼女、えらいべっぴんさんでしたなぁ。 他の女性陣もべっぴんさんなんですか? それとええ匂いですなぁ、コーヒーですか? それにしても色んなもんがありますなぁ。 ミスティック・シナジー3級の人がおるっちゅうて聞きましたけどどんな人ですか?」
マシンガンのように、次から次へと興味を変えては質問してくるサトルに、さすがのロバート教授も苦笑するしかなかった。
「神戸からいらっしゃったんですね。その訛は大阪弁ですか?」
「大阪弁ちゃいます。れっきとした神戸弁ですわ。一緒にしてもろたら困ります」
神戸弁に妙な愛着があるようだ。
「大体、東京の人間は関西ひとからげで大阪やと思てるみたいですけど、ちゃいますからね。 神戸も大阪やのぉて兵庫県ですからね」
だいぶんに神戸愛が強いようである。
それに家族愛も。
「ロバート教授、ほんまは、わておとんの敵討つためにここに来たんですわ。お笑いみたいに見えるかもしれへんけど、これだけは真剣です」
いつもの軽い口調とは違い、サトルの声には明らかな決意が滲んでいた。
教授はサトルのシリアスさに少し驚いたが話を変えた。
「事務的な話をしましょう。 あなたは今日から我がロバート研究室の生徒です。 魔法等級は3級以上上がれませんが良いんですね?」
「はいな、わてはおとんの仇討つためにミスティック・シナジーを勉強しに上京してきたんですわ」
「ほぉ、ミスティック・シナジーを。 まぁ、魔法等級3級持ってればすぐに憶えることが出来るでしょう。 得意魔法は?」
「タイフーンですわ。スカートめくりから木造家屋の解体まで、風を使て出来ることは大抵できます」
「そぉですか、それは頼もしい。 それでは研究室の方に行きましょうか」
はいはいとばかりに手をもんでついてくるサトルに、教授は憎めない感覚を覚えた。
サトルが研究室に入ると、鼻に微かにかび臭い匂いが漂ってきた。
古い書物や実験器具が雑然と並ぶ中、埃が舞い上がる。
「ここがわての戦場か…」
サトルはその場の雰囲気に圧倒されながらも、心を引き締めた。
サトルは笑顔を絶やさなかったが、研究室に足を踏み入れる瞬間だけは、その表情にわずかな緊張が走った。
「ここで…おとんの仇を討つんや」
彼は心の中でそう誓いながら、誰にもそれを悟られないように、いつもの明るい口調で話し続けた。
「皆さん、席についてください。今日は転入生を紹介します。神戸からはるばるミスティック・シナジーを学びにこられた河東君です。 河東君、自己紹介を・・・・手短にお願いします」
研究室に入ると、壁には古い魔法書や奇妙な実験道具が並んでいた。
埃っぽい空気が漂う中で、機械の微かな音が響いていた。
サトルはその光景に一瞬驚きを感じながらも、すぐにその雰囲気に馴染んだようだった。
「はいな。わての名前は河東悟。 サトルと呼んでもらえると嬉しいですわ。 魔法属性は風、得意魔法はタイフーン、ミスティック・シナジーはまださっぱりですわ」
サトルの自己紹介という名の独演会が始まった。
それからまた神戸と大阪の違いやら、好きな女性のタイプやら、好きな食べ物、嫌いな物まで散々聞かされた研究室一同は少しげんなりしてきた。
「それくらいで良いでしょう。 とにかくよろしくお願いしますね。 席は空いているところに座ってください」
「そうですか、ほな」と彼は3列目の誰も座ってない机についた。女好きそうだからリサかスージーの横にでも座るかと思ったアキは少し意外な気がした。
サトルは笑顔を絶やさずに話していたが、誰も見ていない瞬間にふと表情を曇らせた。
「ここで油断はできへん・・・・エリュ・コーエンがどこで動いているか分からん」
彼はそんな考えを頭の片隅に置きながら、軽い口調を続けた。
アキが周りを見渡すとタケルがやれやれとばかりに頭を振った。ジムは肩をすくめただけだった。
「賑やかになりそうだな」アキの正直な感想だった。
女生徒陣はかなり引いていたが。
「河東君には当面個人授業で、基本的なミスティック・シナジーを憶えてもらいます」
「特別扱いですか?それは嬉しいこっちゃ」
地獄の特訓が待っているのも知らずにお気楽な物だとアキは思った。
サトルは表向きには明るく振る舞っていたが、心の奥底ではいつも父親の死が彼を苦しめていた。
「ここで…おとんの仇を討つんや」
彼は自分にそう言い聞かせるたびに、胸の奥で湧き上がる怒りと悲しみを必死に押し殺していた。