16 夢
由美と別れた後、私は志望の大学に入学して、教師の勉強をしながらその生活を送っていた。
大学で友達を作るのは難しくなくて、通い始めて一ヶ月立つ頃にはそれなりの人間と関わるようになっていた。
そんな中で、彼氏もできた。
大学のサークルの先輩で、初めて会った時から息が合う人だったので、付き合うのも自然な事だった。
友達もいて、彼氏もいる。そんな大学生活はそれなりに、いや、なかなかに充実したものだった。
大学に通い始めて二年が経つ頃、私の元に一通の着信が入った。
高校を最後に一切連絡を取らなくなったかつての友人からだった。
「も、もしもし?」
私はどこか気まずくて、電話に出るか迷ったけど、何コールもされた末に電話に出ることにした。
「久しぶり! 元気!?」
出て見れば聞こえるのは、私の大好きだった元気で明るい声だった。私はつい涙ぐんでしまい震えた声で久しぶりに彼女と会話をした。
「元気だよ⋯⋯由美は?」
「うん! 今は毎日家の手伝い!」
「そっか⋯⋯」
「あのね! 私ね、結婚したの!」
気まずい沈黙が流れた後、由美が発した言葉に、私は更に言葉を失った。
「え?⋯⋯」
言葉はでないのに、胸の底から何かが込み上げてきた。
「お⋯⋯おめでとう!」
ようやく出た言葉に、由美は少し震えた声で「ありがと〜」と言った。
嬉しかった。相手が誰なのか気になった。どんな出会い方をしたのか、由美が好きになった人がどんな人なのか⋯⋯
「あの! 久しぶりに村に帰ってもいいかな?」
気づけばそんな事を口走っていた。ずっと連絡もしなかったくせに。そう自分にいい気がしたけど、聞きたいことがたくさんあった。
「いいに決まってるじゃん〜。私も百合香に会いたいしさー」
由美のその言葉が、その時の私には切ないくらいに嬉しかった。
久しぶりに由美と話してから、私は彼女と毎日の様に連絡を取るようになっていた。
お互い、その日に何があったとか、凄く些細でしょうもない事とか。彼氏も紹介した。由美はビデオ通話越しで彼に「うちの子をよろしくお願いします~」なんて言うもんだから、私は「母か!」と突っ込んだり⋯⋯
そんなくだらないやり取りを繰り返すうちに、まるで中学、高校の時に戻ったかの様で、罪悪感も消え、私はどんどん由美に会いたくなっていった。
そんなある日、突然、由美と連絡が取れなくなった。
私は慌てて村に帰った。由美が心配でいてもたっても居られなかった。
村に着くと、早々に由美の家に向かった。
家には、由美と、旦那さん、そして由美の母と父が暮らしていた。久しぶりに見る由美は、私が心配していたのが馬鹿らしく思えるくらい、元気な様子だった。流石に私も怒れて、「連絡くらいしてよ!」と叱りつけてしまったが、由美は昔と同じ調子で「ごめんごめん」と笑っていた。
どうやら、なかなか子供ができなくて暫くの間悩んでいたのだと言う。
旦那さんの励ましもあり何とか元気を取り戻したみたいで、由美は「がんばる!」と気合を入れていた。
そうだ。由美の夢は子供を授かること。人から見たら些細な夢だけど、由美の気持ちを知っている私からしたら心の底から応援していた。
久しぶりの帰省は、思った形とは違ったけど、私は存分に故郷を堪能して一週間で村を出た。
由美には「何かあったら、ちゃんと連絡してね!」と、一括入れたが、その後に、ずっと連絡を取ってなかった自分が何を言っているんだと、少しナイーブな気持ちになった。
帰省から一年が過ぎたころ、私は息子を授かった。名前は香。
私はその子の誕生に涙を流して喜んだ。由美の言っていた事も、その時なら分かる。この子は私の財産なのだと、心からそう思った。
二年後。大学を卒業した私は、無事教師になることができた。
初めは教習生として暫くの間大変だったけど、教師の仕事は続ければ続けるほど好きになって言いった。きっと私には合っていたのだと思う。
教師になって一年がたつころ、由美から一本の電話が入った。私はその内容に涙を流して、自分の事の様に喜んだ。
「やったよ⋯⋯私にも、宝ができたよ⋯⋯」
由美が妊娠したと言う報告だった。
私は由美に会いたくてしかなかったけど、なかなか時間が作れず、帰省が実現したのは、丁度由美が出産をする頃だった。
村に一つだけ立つ病院。そこには産婦人科も設置されていて、由美はそこで産後の入院をしていた。
どうやら、生まれたのは私が帰る三日程前だったようで、そのタイミングの良さに私は直ぐにお祝いできる事への喜びを感じていた。
病院に着くと、受付室に一人の男性が頭を抱えて座り込んでいた。
誰だかわからない私は、声もかけずに通り過ぎようとしたが、彼は私を見つけるなり慌てた形相で近づいてきた。
「貴方が、百合香さんですか?」
「そ、そうですけど⋯⋯」
「初めまして。由美の夫の大輔と申します。婿に入ったので名字は由美と同じです」
「貴方が、由美の⋯⋯。あ、この度は第一子の出産、おめでとうございます」
彼の第一印象は、正直野暮ったかった。服装からして、恐らく現場作業員なのだろう。でも、彼の話し方は優しく、それでいて芯の通った雰囲気だった。
「はい。ありがとうございます⋯⋯」
子供が生まれたと言うのに、彼は複雑な表情を浮かべた。私は少し不思議に思った。
「これは、私から貴方に話すこと。そう思って聞いてください。由美には、とてもじゃないが任せられない⋯⋯」
彼は拳に力を入れ、悔いるように言った。私は話が読めなかったが、彼が腰をかけた隣に座った。
「あの⋯⋯なにか、あったんですか?」
私の質問に、大輔さんは唇をかみしめた。そして、暫く沈黙を貫いた後、震える声で言った。
「目が、見えないんです⋯⋯」
「え⋯⋯?」
彼の言っていることは、本来、簡単に理解できる事だった。しかし、その時の私には、とても理解しがたい内容だった。
「目が見えないって、誰が?⋯⋯」
「僕たちの娘、香織のです」
一瞬、頭が真っ白になった。
「由美は、その事を知ってるんですか⋯⋯」
私の問いに、大輔さんは無言で首を縦に降った。
「彼女は、泣いていました。どうしてと⋯⋯どうして私にばかり、こんな試練を与えるの⋯⋯と。彼女の夢は分かっています。私はその夢を絶対に叶えて上げたかった! だから、子供ができたとき、私たちは本当に喜びました。二人で涙を流しながら、抱き合って。それはもう、大人げないくらいに⋯⋯」
「大輔さん⋯⋯」
「なのに! どうしてこうなるんだ! 僕たちは、なにも傲慢な願いをしたわけじゃない! 唯、健康な子が生まれて、幸せに育ってくれればそれでいい。それが、たったそれだけが、彼女が夢見た事なのに⋯⋯」
彼の嘆きに、私は由美に会うのが怖くなった。今、彼女がどんな気持ちでいるのか。子供が欲しいと夢を見て、ようやくの思いで身ごもった自分の子が⋯⋯そう考えるとムカついて、イラついて、やり場のない怒りにかられ、同時に、由美にかける言葉が一つもない事に気がついた。
「由美に、会ってもいいですか?」
そう聞くと、大輔さんは笑った。優しく、それでいて悲しげに。
「はい。きっと彼女は今、貴方の顔が見たくてしょうがないと思います⋯⋯」
『三波 由美』そう書かれた病室の前で、私は立ち竦んでいた。
目の前の扉を見つめてため息をこぼす。これを開けば、由美がいる。由美に会える。
どんな顔してるかな。私を見て、なんて言うかな。なんて、声をかければいいんだろう⋯⋯
そんな事をひたすら頭の中で繰り返し考え続けたまま、あと一歩が踏み出せなかった。
すると、突然、私は触れてもいないのに、扉が横に開かれる。慌てて周りを見渡すと、大輔さんが病室からは見えないように体を潜めて扉に手を添えていた。
「ちょ、ちょっと!」
私は慌てて扉を抑えようとする。しかし、ふと病室の中に視線を送ると、由美が驚いた様子でこちらを見ていた。
「あ、えっと⋯⋯」
場の気まずさにおどおどとしていると、大輔さんは私の背中を優しく押し出した。
「ごめんなさい⋯⋯お願いします」
そう呟いて、大輔さんは扉を閉めた。狭い病室で、私は由美と二人きりになった。
「ひ、久しぶり! 出産おめでとう!」
私は何とか言葉を絞り出した。しかし、由美はその言葉に返事をしない。表情はまだ驚いている様子だった。
「⋯⋯」
私は、彼女を傷つけてしまったのだろうか。そんな予感が頭を過る。
もし私が今の由美の立場だったらどうだろうか。やっとの思いで生んだ子が目が見えないと知って、そんな時におめでとうと言われるのは、一体どんな気持ちになるのだろう⋯⋯
気付けば、両頬から、なにかが垂れてきた。
「あれ?⋯⋯」
私は自分の涙に戸惑った。どうして今自分が泣いているのか分からない。泣く事事態に戸惑った訳ではない。涙の理由に戸惑ったのだ。
悲しみ、怒り、憤り、申し訳なさ。いろんな感情がぐちゃぐちゃになって、理由のわからない涙がなが流れている。私は必死に顔を隠して、「ごめんね⋯⋯」と、由美に言った。
由美が今、どんな顔をしているのかはわからない。きっと由美も戸惑っている。だって、泣きたいのは私じゃない。絶対に、私ではないのだ。
「やっぱり、百合香は、やさしいね⋯⋯」
「え?⋯⋯」
由美の言葉に、私はつい彼女の顔を見てしまう。
「だめだな、私は。親友にそんな顔させて⋯⋯」
「違う!」
私は必死に彼女の言葉を遮った。彼女が、謝ろうとしてると思ったから。
「私は、祝いたくて⋯⋯由美に、子供ができた事が、嬉しくて⋯⋯でも、言葉が、見つからなくて⋯⋯」
「ありがとう。嬉しい⋯⋯」
「由美⋯⋯」
彼女は微笑んでいた。でも、その笑顔は昔の様な、少し前の様な笑顔とは違くて、静かで、優しい笑顔だった。でも、それが愛想とか、取り繕ったものじゃない事は直ぐに分かった。彼女は今、心の底から私に感謝していた。
「私ね、自慢したかったんだ。誰よりも早く、由美に。私の娘を⋯⋯」
由美は笑っていた。笑顔で話しながら、涙を流していた。
「世界一かわいいんだ! 生まれてきてくれた子が、あの子で本当によかった!」
由美のその笑顔を見た瞬間、私は駆けだした。少し痩せてしまった由美の体を優しく、でも力強く抱きしめた。
「痛いよ。ゆりか」
「うん。ごめんね⋯⋯」
こうして由美の夢は叶った。これから先、きっと彼女が死ぬほど愛し続けるその子は、香織と名づけられた。
これから先、大変な事があるかもしれない。でも、きっと由美なら、あの三人ならどんな事でも乗り切れる。そう思った。
そう、思っていた⋯⋯⋯⋯




