12 破壊魔
由美が死んだのは、ちょうど今くらいの時間だった。
私はその日、いつも通りタイムセールになる頃を見計らって、少し早めに学校前のスーパーマーケットに来ていた。
その日は珍しく、十五歳の息子を連れて買い物に行った。名前は香と言った。
スーパーで買い物をしている最中、香の姿がないことに気づいた。
私は慌てて香を探し回った。野菜コーナー、お肉コーナー、おやつコーナー、レトルトコーナー、レジ付近。
何処を探しても香の姿は見当たらなかった。
幸い、私は商品棚を見渡していただけだったため、直ぐに外に出ることができた。
「香⋯⋯」
上がった肩から一気に力が抜けた。
香は外で男の人と話していた。
もう十五歳にもなる息子を心配しすぎだとは思うが、母は何処まで行っても母だ。いつだって子供を一番に考えるし、心配だってする。
私は香の元に近づいた。
「香、勝手に離れないでよ!」
「母さん。心配しすぎだよ」
「心配するに決まって⋯⋯⋯⋯その人は?」
「久木結衣さん。こいいつの話で盛り上がっちゃって⋯⋯」
「こいいつ?⋯⋯ああ、あのゲームのことね⋯⋯」
恋はいつだって。略してこいいつ。
香が最近ハマっているシミュレーションゲームだ。
結構古いゲームらしいけど、香はどちらかと言うと新しいものというより、古い名作が好きらしい。
「ごめんなさい。うちの⋯⋯息子⋯⋯⋯が⋯⋯⋯⋯⋯」
その日の朝、私はニュースである事件についての記事を見ていた。
破壊魔事件。
破壊魔と呼ばれる虐殺者が、刑務所から脱獄して、再び人を殺していると言うニュース。
その時画面に出てきた破壊魔の顔を、私は鮮明に覚えていた。
いや、違う。
私はその時、目の前の男の顔を見て思い出したのだ。
「いえいえ⋯⋯丁度お腹が空いていたので。食事前の気晴らしができてよかったです」
ゾッとした。彼の言葉に身体中に寒気が走り、私は無我夢中で彼の口元を塞ごうとした。
『一瞬の事で、何が起きたのか分かりませんでした⋯⋯ただ、友達が破裂する瞬間、破壊魔が何か呟いたんです⋯⋯私は少し離れてたから、なんて言ってたのかは分からないけど⋯⋯今でも、なにがなんだか⋯⋯⋯⋯』
それは、テレビのインタビューで女子高校生が答えていた内容だった。
その記憶が微かにあったからか、途端に体が動き出した。
「逃げて! 香! 出来るだけ遠くに!」
全身全霊で叫んだ。何かが明確に分かるわけでは無かったけど、彼が何かを言おうとした瞬間の表情は、人殺しの表情だった。
「ちょ、お母さん⋯⋯突然どうしたんだよ⋯⋯」
「いいから! 早く逃げて!」
彼の口を塞ぎながら、なんとか香をその場から離そうと試みる。
2メートル。2メートルだけ離れれば、香は大丈夫だ。
でも、香は離れるどころか、私の方へと駆け出してきた。
「だめ! 香! 逃げて! 死んじゃう!」
必死だった。香を失いたく無かった。香だけでも、助かって欲しかった。
「なら尚更逃げれないよ。お母さんをおいて、逃げれるわけないだろ!」
その言葉が聞けただけで、私がどれほど報われるか。
ありがとう。香⋯⋯
生まれてきてくれて⋯⋯私の子供になってくれて嬉しかった⋯⋯
「ごめん。香⋯⋯私、店の中にスマホ落として来ちゃった⋯⋯拾って来て、警察を呼んでくれないかな⋯⋯」
私は、嘘をついた。
香に初めて、嘘をついた。
この嘘が、きっと、香を救ってくれるから⋯⋯
「分かった! ちょっと待っててよ!」
香は店の中へと駆けて行った。
スマホは私が持ってるから、探すのに五分以上はかかると思う。
よかった。これで香を救える。
ごめんね。香。ずっと、貴方の成長を見守ってあげたかったけど、お母さん、ここまでだ⋯⋯
死は突然やってくるとは言うけれど、ここまで急だとは思わなかったな⋯⋯
私は、彼の口から手を離した。そして、一つだけお願いをした。
「私一人。他の人は、殺さないで⋯⋯」
「どうして、そこまで? 命は惜しくないんですか?」
立ち上がりながら、彼が質問してきた。
「まあ、やりたい事はまだあったけど⋯⋯天秤をかけたら、私の命なんて軽すぎるから」
「そうですか⋯⋯分かりました。他の人には手出ししません。警察に捕まるわけにもいかないですし」
「助かるわ⋯⋯」
そういえば、彼、私に口を押さえられてる時、なんの抵抗もしなかったな⋯⋯
そんなどうでもいい事を考えながら、私は瞳を閉じた。
「ごめんなさい⋯⋯」
「え? 今、なんて———」
その瞬間、視界が乱れて、私は後ろへと投げ飛ばされた。
「どん」
びしゃ!
何が起こったか分からず、戸惑いながらも倒れた体を起こした。
私は助かったのか。そう思って視線を彼の方へ向け、私は、言葉を失った。
視界に映ったのは、涙を流しながら立ちすくむ破壊魔と、少し離れた場所で血まみれになって倒れている人の姿だった。
「うそ⋯⋯」
絶句した。
一瞬にして絶望感に襲われ、身体中が激しく震えた。
倒れていたのは、私の親友。由美だった。




