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一 千年寵姫、モグラに生まれ変わる⑥

* * *


 雪寧の室の扉の向こう側。そこにふたりの男が立っていた。ひとりは皇帝の私的空間である朱雀宮づきの宦官、夏飛(かひ)


 もうひとりは、瑞国の若き新皇帝、焔幽その人だ。


「……クソ食らえ」


 たった今、耳にした言葉を焔幽はオウム返しにつぶやく。常日頃、まるで仮面でもつけているかのように表情を変えぬ彼にしては珍しく、かすかに唇の端をあげた。もっとも笑顔と呼ぶような代物ではなく、皮肉げに顔をゆがめただけだったが。


「雪寧さまのところにあんな女官いましたっけ? おもしろいなぁ」


 夏飛の声はどこか楽しげに弾んでいる。彼は主の顔をのぞいて尋ねた。


「お怒りにならないんですか? 今の『クソ食らえ』は間違いなく陛下に向けられた言葉と思いますが」


 夏飛は焔幽が即位するより前、後ろ盾のない不遇な皇子のひとりに過ぎなかった頃から彼に仕え出した。焔幽にとってはもっとも信頼できる側近であり、弟みたいなもの。ゆえに彼のあまりにも気安い態度も許しているのだ。


「妹の女官にまで教育、指導をしてやるほど俺は暇ではない」


 焔幽は吐き捨てる。


「それに、無礼ではあるが女の言っていることは正しい」


 皇帝の権力はすさまじい。黒でも赤でも黄でも、白にすることなど造作もない。だからこそ、焔幽は絶対に見間違えてはいけないのだ。白なのか黒なのか、正しく見極める必要がある。朱雀の加護が得られるのは、その才のある皇帝だけ。才覚を失えば、朱雀は離れ玉座を追われることになる。


 夏飛はクスリと笑う。


「それに、陛下は無礼な人間がお好きですしね。僕をはじめとして」


 焔幽は黙る。夏飛の言葉が半分くらい図星だったからだ。権力のなかった焔幽はちっとも皇子らしくない子ども時代を送った。


 次期皇帝間違いなしと評されていた長兄の死後、残った兄弟たちと自分とを見比べ、これは自身が帝位につくべきだろうと判断したのでそうしたが……白状すると、皇帝の窮屈な生活はあまり性に合っていない。


 美辞麗句で飾り立て、なにが言いたいのか本題のさっぱりわからぬ臣下たちの話しぶりにはとくにイライラさせられる。逆に馬鹿にされているのでは?と疑ってしまうことさえある。


 夏飛のように率直に話せる人間はたしかに安心する。とはいえ――。


「無礼なのがよいというわけではない。いいから早く行け」

「御意」


 夏飛は踵を返し、サッと駆け出した。なにも命じていないが、焔幽の「宮中医を連れてこい」という意図を彼なら把握しているだろう。


「さて」


 夏飛の戻りを待つ間に雪寧の症状を確認しようと思い、焔幽は開きかけていた室の扉にもう一度手をかけた。が、そこで足を止める。


(俺の出る幕じゃないようだな)


 焔幽は扉の裏に隠れて、なかの様子を見守った。


 先ほどのクソ食らえ女官が場を仕切り、焔幽のしようと思っていたことをすでに進めている。女にしては野太く、しっかりとした声が焔幽の耳にも届いた。


「意識はしっかりしていらっしゃいますし、すぐにどうこうということは絶対にありません。雪寧さま、ご安心なさってくださいね」


 彼女は寝台に横たわる雪寧の背を撫で、力づけるように声をかけた。それから今度は女官たちに告げる。


「憶測で犯人を語るのはやめておきましょう。誰かの耳に入れば、かえって雪寧さまのご迷惑になります」


 聞いていた焔幽もそれにはうなずいた。春麗が知れば「雪寧のせいで自分の名誉は傷つけられた」と嬉々としてわめき立てることだろう。


(そもそも春麗なら……)


「あくまでも私の推測ですが、春麗さまはなにもしていないと思いますよ」


 焔幽の心の声を読んだかのような発言だった。焔幽は少し驚き、彼女の台詞の続きを待つ。


「もし春麗さまなら、雪寧さまのお衣装をすべてズタズタにするとか、髪をザンバラに切ってしまうとか、雪寧さまの美を損ねる方法を取る気がするんですよ」


 春麗なら雪寧の顔を焼く薬を投げつけるだろう。焔幽はそう考えたが、彼女の意見はもう少し穏やかだった。


(だが、あの女のほうが真実を見ているかもな)


 たしかに春麗は性根が曲がっているが、よくも悪くも〝お馬鹿さん〟なのだ。もう嫁入りしてもおかしくない年齢なのに、雪寧よりよほど子どもっぽい娘だ。


 顔を焼くという過激な発想は焔幽のもので、春麗はきっと思いつきもしない。


「でも、それなら誰が? やっぱり食事が悪くなっていたのかしら」


 女は雪寧にちらりと目を走らせ、それからみなにほほ笑んでみせた。


「だと思います。私たち女官とは違い、やはり公主さまのお身体は繊細なんですわ。雪寧さまは偉大なる皇帝陛下の妹君ですから」


 ものすごく強引に女は場をおさめた。が、彼女の声には不思議な説得力が宿っていて誰にも強引であることを悟らせない。


「そうね、たしかに」

「毒見をした鵬朱(ほうしゅ)はとくに臓腑が頑丈だものね。この前もうっすら白くなりはじめた饅頭を平然と食べてたし」


 同じぽっちゃり体型仲間でも、がっしりと逞しい香蘭とは趣が異なり、鵬朱は丸々と柔らかそうな身体をしている。見た目どおり、中身もおおらかだ。


 ほほほと鷹揚に笑う。


「うっすらではなく、ほんのりよ。ほんのり!」

「違いがわらないわ、鵬朱」


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