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一 千年寵姫、モグラに生まれ変わる④

 彼女の室を出たあとは、掃除などの雑務を担当する宦官たちにさりげなく「雪寧がどれだけ姉公主に憧れ、尊敬してやまないか」という話を聞かせた。彼らも女官に負けず劣らずのおしゃべり好きなのでいい具合に千華宮に広まることだろう。


 事件が起きたのはその日の昼過ぎのことだ。


 雪紗宮に皇帝陛下が訪れる約束の時間が近づいていたので、女官たちは雪寧の室を丁寧に整えているところだった。


 詩清と香蘭は前庭の清掃担当。箒を動かしながら、詩清がぼやく。


「私たちも一度くらいは陛下の顔を拝んでみたいものよねぇ」


 千華宮全体の序列から見ればどんぐりの背比べ程度のものだが、女官のなかにも複雑な序列というものが存在する。常に雪寧のそばに控え、皇帝が訪ねてきた際に対応しても許されるのは上位女官だけなのだ。ふたりは残念ながらその地位にない。


「詩清さんは妃嬪を目指していらっしゃるの?」


 皇帝の顔を拝みたい理由などそれ以外には考えられない。そう思い尋ねてみたのだが、「馬鹿なの?」と言わんばかりの顔をされてしまった。


「お伽話じゃあるまいし、そんなものを夢見るほど暇ではないわ」

「お伽話ってことはないと思いますけど。女官の身で陛下の寵をいただく例は過去にもありましたでしょ?」

「そりゃなくはないけど、せいぜい一夜かぎりの話よ。そこで運よく男児を授かる可能性がどれだけあると思う?」


 身分や後ろ盾のない妃嬪にとって男児を授かることは最強の手札だ。幼い息子であっても強い味方になってくれる。もっとも、暗殺の危険が跳ねあがるのも事実だが。


「一度で身ごもることは難しいでしょうけど、陛下のお気に召しさえすればまたお渡りがありますわよ」


 けろりと返す香蘭に詩清はほとほとあきれている。


「あのね。そのお気に召してもらうってのが、私たちのような下級女官には夢物語なのよ。衣装も宝飾品も化粧も妃嬪たちとは格が違う。目に留まるはずがないでしょ」

「そこはほら。手練手管を駆使すればいいですわ」


 香蘭はいたずらな瞳で詩清の顔をのぞき込む。


「印象的な出会いを演出してあげると、その後の関係性が大きく変わってきます」

「……印象的な出会い?」

 詩清は興味を引かれたようにかすかに身を乗り出した。


「えぇ。殿方は案外と単純です。転んだ先に彼がいたとか、同じ月を見あげたとか。なんでもいいので〝運命〟を匂わせるのがオススメですわね」

「なるほど……じゃないわよ! 正気に戻るのよ、詩清」


 彼女ははたと我に返り、自身の頬をペチペチと叩いた。


「私ったら、モグラの恋愛指南なんて間に受けちゃって」

「あら。モグラだって恋愛くらいはしているかもしれませんよ。広い世界には魔性のモグラが存在する可能性も……」

「まったく。馬鹿なこと言ってないで、さっさと掃除を終わらせるわよ」


 詩清はガシガシと箒を動かしはじめた。


「馬鹿なことではないですよ~。詩清さんなら努力の方向性を間違わなければ、宮持ちの妃になれると信じているからこそです」


 詩清はのっぺりと特徴の薄い顔立ちだ。印象に残らず大勢の女が並ぶと埋もれてしまいがち。だが、逆に考えれば欠点のない顔ともいえるのだ。


(詩清さんは化粧で泣きボクロを作るとか、誰も使わない奇抜な色を瞼にのせるとか、そういう簡単な技術が非常に有効なタイプなので……戦略は練りやすいと思うんですよね)


 今、香蘭の頭は高速で回転し、いかにして詩清を宮持ちの妃にするかを計算していた。


「だいたいね、女官が宮持ちの妃になる方法だなんて。そんな助言ができるのは千華宮の長い歴史のなかでもひとりしかいないでしょう?」

「私でしょうか?」

「違うわよ!」


 気持ちよいほどに完璧な間合いの突っ込みが返ってきた。


「伝説と謳われる千年寵姫、貴蘭珠。彼女に決まっているでしょう」


(では、九割方正解じゃないですか)


 香蘭は心のなかでぼやくが、黙っておいた。


 さすがに前世の記憶があるなどと正直に打ち明ける気はない。頭がどうにかなったと追い出されてしまったら困るからだ。今世の香蘭の生家はあまり裕福ではない。せっかく口減らしをしたのに戻ってしまっては両親がかわいそうだ。


 もっとも、前世の蘭珠も決して裕福な家の娘ではなかった。都の外れで暮らす落ちぶれた貴族。千華宮にも妃嬪候補としてやってきたわけではなく、香蘭と同じく女官の立場だった。


「彼女も名家の出ではないのよね。いち女官があっという間に陛下に見初められ、宮持ちの妃に。女官から皇后はさすがに前例がなく宮中は大反対。それでも陛下は彼女を守り純愛を貫き、立后させたのよね。素敵……」


 いつもは辛辣でガサツな詩清がうっとりと頬を染め、羨望をのせた声でつぶやく。


(純愛を貫いたというより、ただ駄々をこねただけのような)


 少なくとも彼に守ってもらった記憶はない。後宮にうごめく魑魅魍魎から蘭珠を守り、皇后の座に導いたのは彼女自身の才覚だ。


(私以上にふさわしい人物が見つからないからやっていただけで、皇后をしたかったわけでもないですし)


「とにかく!」と、詩清は話を締めくくることに決めたようだ。


「彼女は千年寵姫のあだ名のとおり、千年に一度しか現れない逸材。彼女の没後、まだ七十年よ。女官からの皇后誕生には、あと九百三十年待たないといけないってことよ」

「はぁ、言われてみればたしかに」

「だいいちよ、だいいち! 私はただ朱雀の加護を受ける皇帝陛下とはどんな人物なのかと興味があるだけで、妃嬪になりたいとはこれっぽっちも思っていないわ」

「えぇ。そうなんですか?」


 詩清は大きくうなずく。


「当たり前じゃない。強い実家もなしに妃嬪になっても、悲惨な未来しか待っていないわよ。それより、公主に仕えていたという輝かしい箔をつけて身の程に合った男の妻になるほうがずっと幸せ」


 その顔を見るに、強がっているわけではなく本音のようだ。


「あなたもよ。馬鹿な夢を見たりせず、堅実に生きるのが身のためだと思うわ」


(やっぱり詩清さんは賢くて優しい人だわ)


 香蘭は彼女が好きだった。だから白状すると妃嬪を目指すなんて茨の道を進んでほしくはなかったのだ。それでも彼女が望むならと葛藤していたが、早とちりだとわかって安心した。


「はい、肝に銘じておきます」




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