終章①
終章です!
終章
あのあとしばらく伏せっていた雪寧が起きあがれるようになったと聞いたので、香蘭は雪紗宮を訪ねた。あいかわらずの宦官姿だ。
(なにやらもう、この格好で一生を過ごしてもいい気がしてきましたね)
「お元気になられたとのことで安心しました、雪寧さま」
香蘭がそう声をかけるやいなや、雪寧は額を床にこすりつけるようにして頭をさげた。
「ごめんなさい! 私……」
あの妖術は厄介なもので、操られていたときの記憶はぼんやりと残る。完全な別人になるわけではなく、その人物の負の感情だけを増幅させて、思考や性格をがらりと変えてしまうと説明するのが適切だろうか。
(あぁ、酔っ払いが近いですね!)
心のなかで香蘭はポンと膝を打つ。
本来の自分が抑えつけられ、常ではありえない言動をとってしまうが本来の自分が消えているわけではないので記憶は残る。そして翌朝、羞恥に悶える。あの現象とよく似ている。
「どうか気に病まないでください。あれは呪いです。腕輪にこめられた妖術の力がしたことで、雪寧さまのせいではありませんよ」
雪寧はおそるおそる顔をあげた。心配になるほど青白い。絞り出す声はか細く震えていた。
「でもね、たくさんあった腕輪のなかから私があれを選び取ったの。ギラギラと輝くあの石ならきっと願いを叶えてくれると思って」
彼女の頬を透明な滴が伝う。
「妹の身でありながら陛下を独占したいと罪深いことを考えた。だからバチが当たったのね」
香蘭はゆるゆると首を横に振った。
「雪寧さまの恋心は美しいものです。忌むべきものでも、恥ずべきものでもありません」
実の兄を愛してなにが悪いというのだ。禁忌なんてものは国と時代が勝手に決めるもの。そんなものに雪寧の純粋な思いが否定されるべきではない。
「陛下も同じようなことを言ってくださいました。妹としてではなく、ひとりの女として失恋することができて私は幸せ者です」
焔幽が自分より先に彼女に会っていたことは聞いていた。『極刑にしてください』と泣く雪寧をなだめるのに苦心したと笑っていた。
雪寧はクスリと苦笑して唇をとがらせた。
「けれど、あんなふうに優しくされると……ますます忘れがたくなってしまいます」
「あぁ。陛下はそういうところがありますねぇ」
香蘭とは違う方向の人たらしだ。
「なので私、縁談を進めてもらうことにしました」
「えぇ?」
予想外に話が飛躍して香蘭は目を瞬いた。
「あんな罪をおかしておいて陛下のそばにいるわけにはまいりません。極刑にとお願いしましたが認めてもらえませんでしたし……なので心機一転、どこかに嫁ぐことに決めました」
雪寧はふふっといたずらっぽく笑って付け加える。
「実は私、春麗お姉さまより縁談のお話が多くあがっているのですよ。誰にするかは陛下が決めてくださるでしょう」
香蘭はしばらく開いた口が塞がらない状態だったが、雪寧が決めたことならと祝福することに決めた。
「素敵なご縁が結ばれますよう、祈っております」
恭しく頭をさげる。
「ありがとう」
あまり長居しては彼女の身体に障ると香蘭はそっと腰を浮かせた。別れのあいさつを口にした香蘭に、雪寧が言う。
「私、あなたに早くここに戻ってきてとお願いしたでしょう?」
あのときすでに雪寧には妖術の影響が及んでいた。香蘭を焔幽のそばから引き離したくてたまらなかったのだろう。
だが、彼女は意外な、そしてなんともうれしい言葉をくれた。
「あれね、半分はあなたへの嫉妬。陛下がどんどんあなたに惹かれていくのが憎らしかったの。でも残り半分は言葉どおりだったのよ」
雪寧は彼女らしい、そよ風のような笑みを浮かべる。
「香蘭は誰よりも頼りになって、一緒にいると楽しかったから」
「雪寧さまが千華宮を出られてしまったら、私には帰る場所がなくなってしまいます。仕方ないのでこのまま宦官として出世を目指すかもしれません」
そこで香蘭は鮮やかに笑ってみせた。
「私は有能なので、国内外を飛び回ることになるやも。そうすれば、雪寧さまの嫁ぎ先を訪ねることもできるでしょう」
「えぇ、そうね。そのときはまた、髪を結ってくれる? 明琳さまに負けないくらい綺麗にしてね。私の夫が見惚れるくらいに」
「もちろんです」
それから数日。雪寧の嫁ぎ先選びは順調だと焔幽から聞いた。
香蘭が彼女に伝えた言葉に嘘はなかった。女官香蘭の主はあくまでも雪寧でほかの人間に仕えたいとは思わない。となれば、このまま宦官でいる道も悪くないかもしれない。
(あぁ、でもまずは皇后と三貴人を決めなくてはなりませんね)
自分の身の振り方はそのあとでいいだろう。
(ですが、みなさまがそれぞれに魅力的で決めかねます)
優秀かどうかはわからないが、誰が皇后になっても楽しい千華宮になりそうだ。
いっそ、本人のやる気で判断しようかと香蘭はひとりひとりを訪ねることにした。




