七 彼を巡る愛憎⑥
焔幽は雪寧を抱きあげ、夏飛と一緒にいた宦官に「室に運んで休ませろ」と指示をした。彼女は意識を失っている様子だ。
雪寧を連れて彼らが去ってしまうと、この場には焔幽と香蘭、そして夏飛だけが残された。
三人とも言葉を発することもできず、その場に立ち尽くした。悪い夢でも見ていたような妙な気分なのだ。
沈黙を破ったのは夏飛だ。
「とりあえず事件解決ということになりますかね?」
「夏飛さん」
香蘭は思いきり彼をにらみつける。
「くれぐれも、くれぐれも、陛下には内密にと言ったじゃないですか!」
彼をあの幽鬼に会わせるのは拷問に等しいし、大切にしている妹が真犯人だったなどという事実ももう少しやんわりとした形で伝えてやりたかった。
そもそも、幽鬼騒動が起きた場所が標的であるはずの香蘭がいた朱雀宮ではなく、琥珀宮だったのは……わずかに残っていた雪寧の心が、愛する焔幽を危機から遠ざけようとしたためだろう。その思いも汲んでやりたかったのに。
そんな香蘭の女神のごとき崇高な心遣いを彼が台無しにしたのだ。
「いやぁ、『なにを企んでいるのだ?』とものすごく疑われまして。『香蘭になにかあったら殺す』とか物騒な脅しもかけられましたし」
「そんなのシレッと嘘をついて、かわしておけばいいじゃないですか」
香蘭には、シレッと嘘をつくのが苦手な人間も存在するということは理解できない。もっとも夏飛は得意なほうの人間ではあるが。
「無理ですよ~。そもそも僕は陛下より香蘭さんより、自分が一番かわいい人間ですからね」
我が身が惜しいと、彼はけろりと言い放つ。
「陛下。こんな方を側近としてそばに置いて大丈夫でしょうか。お考え直されたほうがよろしいのでは?」
頬を膨らませる香蘭に焔幽はふっと頬を緩めた。
「夏飛はこれでよい。一番は自分自身。二番には……俺の身ではなく、俺の意思を大事にしてくれる」
それから、焔幽は険しい顔を香蘭に向ける。
「俺は夏飛よりお前に説教したい」
「幽鬼退治にこんなにも貢献した私に、いったいなんの不満が?」
「千華宮に仕える女として、幽鬼に襲われるのは絶対に許さんと言っただろうが」
本気で怒っているらしく、彼の額には青筋が浮いている。
「私を愛おしく思う気持ちはよーくわかりますけどね、幽鬼にまで嫉妬するのは見苦しいというものです」
「俺は臣下としての心構えを説いているのだ。それとも……」
言いながら、焔幽は香蘭に近づきグイッと腰を引き寄せた。ごく近いところで視線がぶつかる。こんな騒ぎのあとでも彼の顔は少しも崩れておらず美麗だ。
「幽鬼にまで嫉妬するほどお前に惚れている。そう言わせたいのか? お望みなら叶えてやっても――」
「この私を口説こうだなんて千年早いですよ、陛下」
香蘭は彼を押し返す。が、焔幽はまたジリジリと迫ってくる。
「俺がお前にご執心だと、まんざらでもない顔で言っていたじゃないか?」
幽鬼と対峙したときのことをさしているのだろう、香蘭はおほほと高笑いをする。
「あれは演技です。私に与えられた天賦の才のひとつですわ」
互いに一歩も引かぬ攻防を続けるふたりを横目に、夏飛はふわぁとあくびをした。
「痴話喧嘩はどうぞおふたりで。僕はもう帰って寝ますね」
返事を待たずに夏飛は歩き出す。
「にしても、この千華宮にはどれだけの幽鬼が潜んでいるのでしょうか。恐ろしいので、祓い師を呼びましょう。はぁ、また予算外の大出費だ」
幽鬼を恐れているのか、祓い師に渡す金子におびえているのか、夏飛はぶるりと背中を震わせた。




