六 モグラ、幽鬼退治に駆り出される⑤
「琥珀妃のところはどうだ?」
あいさつをして帰ろうとする香蘭に彼が聞いた。
「なかなか快適ですよ。夏飛さんとは相性がよくないみたいですが、私は月麗さまとは馬が合うようです」
焔幽は柔らかく笑む。
「よく似ているからな。自分大好きという一点が」
「私と月麗さまへの最上級の褒め言葉として、受け取っておきますね」
クスリと笑って香蘭は続ける。
「たった一日とはいえ、陛下は私がいなくてさぞ寂しかったことと思いますが……」
香蘭は彼からの突っ込みを待つために言葉を止めたが、いつまで経っても反応がない。
「あの~?」
いぶかしげに、彼の顔をのぞく。一日離れていただけで、定番になっていた応酬を忘れてしまうとはずいぶんと薄情な主だ。
近い距離で視線がぶつかると、至って真面目な顔で彼は答える。
「そうだな。思っていた以上に寂しく感じた」
彼は甘く笑んで、香蘭の腕をつかまえた。そのままグイと引き、焔幽は耳打ちした。
「だから、必ず無事で俺のところへ帰ってこい」
低く響く声に香蘭の胸がざわめく。蘭朱だった頃には感じたことのなかった感情の揺れだ。
「お前はまったく自覚がないようだから言っておくが、この千華宮にいる女はすべて俺のものなのだ。幽鬼に襲われるのは不貞も同然だからな」
「し、心配していると素直におっしゃればいいものを!」
香蘭は必死に形勢を立て直すが、その慌てぶりも見抜かれていたようだ。彼はクスクスと楽しそうに笑い、「俺がこんなにも素直になるのはお前といるときだけだが」とけろりと言ってのける。
「陛下もお忘れのようなので言っておきますが、私が帰る場所は雪紗宮の雪寧さまのもとですからね」
悔し紛れの捨て台詞を吐いて、香蘭は逃げるようにその場をあとにした。
その夜、香蘭は護衛としての役目を果たすべく琥珀宮の見回りに出たのだが幽鬼ではなく夏飛に出くわした。
「陛下の命で、あなたの護衛をしろとのことです」
「護衛に護衛がつく意味とはいったい?」
「まったく同感です。そもそも僕はどちらかといえば頭脳派で、肉体労働ならおそらくあなたのほうが……」
ブツブツと文句を言いながらも夏飛は香蘭について回る。
「まぁ、宦官姿がお似合いすぎてすっかり忘れてましたが、あなたは一応女性ですしね」
「狙われているのは本物の宦官ばかりなので、理屈上は夏飛さんのほうが危険かもしれないですよ。私より体術が下手くそですし」
「生きた人間が誰も気づかないんですから、幽鬼ごときがあなたを女性と見破る確率は零でしょう」
無礼者同士、くだらない応酬を繰り広げながら見回りをしたが、幽鬼にも逢引きの現場にも出くわすことはなかった。
翌朝。見回りで寝つくのが遅かったにもかかわらず、香蘭は早起きして仕事に精を出した。宦官の退職が続いた琥珀宮では仕事が山積み状態だからだ。
(それに午後からは陛下と一緒に、幽鬼に性別についての調査に出かけますから。それまでに仕事を終えておかないと)
あちこちに出向き、昼前に琥珀宮の門前に戻るとなにやら宮が賑やかだった。
「お客さま?」
香蘭は近くにいた女官をつかまえて聞いた。
「はい。翡翠妃、明琳さまがいらしてまして」
彼女の視線を追いかけると、たしかに宮の出入口の前で明琳と月麗がにらみ合っていた。
(にぎやかではなく、険悪だったのですね)
ザワザワした気配は楽しいものではなかったようだ。
「明琳さまは喧嘩を売りに?」
「いいえ。琥珀宮の人手不足を知って宦官を貸してくれると、腕に覚えのある方を連れてきてくださったのですよ」
「お優しいじゃないですか」
現実的に役立つ支援をしてくれるのも、有能度が高い。
「はい、明琳さまを悪く言う方はいらっしゃいませんよ。月麗さま以外」
そこまた、月麗としては腹立たしい点なのだろう。
女官は同情めいたため息を落とす。
「主をかばうわけではないですが、月麗さまのお気持ちもわかりますけどね」
明琳と月麗は同じ年。名家の娘同士でなにかと比較されることが多かったようなのだ。
「なにを競っても、ほんの少しばかり、けれど必ず明琳さまが上を行くそうです」
月麗は劣等感をこじらせているのだろう。今もキャンキャンと明琳にたてついている。
「だからね、どうしてあなたはそう『自分こそが妃嬪たちの世話役だ』って顔をするわけ?」
明琳は表情ひとつ変えずに淡々と返す。
「現状、皇后の地位に一番近いのがわたくしだからですわ。わたしくしには千華宮全体を統率する義務があります」
悪役感たっぷりの甲高い笑い声をあげ、月麗はここぞとばかりに反撃する。




