六 モグラ、幽鬼退治に駆り出される④
実際、夜の闇にぼんやりと人が立っていれば、それだけで十分に怖い存在だろう。
最近は幽鬼が出るといううわさが流行していたし、幽鬼を見たと思い込んでも不思議はない。
(でも今回は、実際に幽鬼だった可能性が高いわけですよね。逢引きのついでに、無関係な人を襲うってことはないでしょうし)
「念のため確認しますが、その逢引きを疑われている宦官と襲われた彼は同一人物でしょうか?」
同じ人物なら無関係ではなくなる。たとえば、逢引き相手の女官が彼を恨んで切りつけた。宦官は逢引きをごまかすために幽鬼犯人説を主張。というような仮説を立てることもできるが……。
寿安は大急ぎで首を横に振る。
「いいえ! 被害にあった宦官の黄詠さんはものすごーくお堅い方で、女官と逢引きなどありえませんよ。遊び人なのは別の宦官です」
香蘭は唇を引き結ぶ。
(となると、残念ながら今の逢引き説は楽しい醜聞の域を出ないことになりますねぇ)
逢引きをしてようがしていまいが、幽鬼事件とはなんの関係もなさそうだ。
「そんなわけで、幽鬼ではなかったと決めつけて眠ってしまったんです。なので黄詠さんの被害を知ったのは朝になってからでした。今思うと、あのとき同僚と一緒にもう一度見に行くなどしていたら……」
たしかに、そうすれば黄詠が被害にあうことはなかったかもしれない。けれど、代わりに寿安と同僚が襲われていた可能性だってある。
「いいえ。あなたが責任を感じる必要はこれっぽっちもありませんよ」
真面目な彼女の後悔を少しでも減らそうと香蘭はきっぱりと主張する。
「蘭楊さま」
彼女の頬がほんのりと染まった。
「話を聞かせてくださって、どうもありがとうございます」
もう十分だろうと会話を切りあげようとしたとき、香蘭の頭にひとつひらめくものがあった。逢引きの話題は決して無駄ではなく、彼女は重要な情報を与えてくれていたのだ。
『恋人を待っていただけの女官を幽鬼と見間違えた』
寿安はそう言った。
香蘭はガシッと彼女の肩をつかむ。
ふいに顔を近づけられたせいか、初心な彼女の頬はますます赤くなった。いつもの香蘭ならば「あぁ、また無垢な女性をひとり虜にしてしまったわ」などと考えて悦に入るところだが、今はそんな余裕もない。
「さっき、女官を幽鬼と見間違えたと、そう言いましたよね」
香蘭の剣幕に押されるように彼女はうなずく。
「は、はい」
「どうして女官と思ったんでしょうか。柳の下で逢引き相手を待っていたのは宦官のほうという可能性は考えなかったのですか?」
香蘭がなにを聞きたいのか、彼女も理解したのだろう。はっきりと言葉をつむぐ。
「それは考えませんでしたね。私が見たのは……女の幽鬼でしたから」
香蘭はその足で朱雀宮へ走った。タイミングよく目的の人物が宮から出てくるところだった。
「陛下、ちょうどいいところに!」
言いながら焔幽に駆け寄る。
「ちょうどいい、だと? まったく。お前は俺を誰だと考えているんだ」
「夏飛さんが陛下は無礼な人間が好きだとおっしゃっていたので、お好みに合わせているまでですよ」
「別に無礼なのがよいとは思っておらぬが」
眉根を寄せる焔幽にはお構いなしで、香蘭は大事な話があると詰め寄った。
朱雀宮の前庭にある東屋にふたり、向かい合って腰かける。
香蘭の話を聞いた彼は思案するようにこぶしを顎の先に当てた。
「なるほど。幽鬼の性別か」
「はい。最初の被害者、黄詠さんを襲ったと思われる幽鬼をみた女官が『幽鬼は女だった』と言うのです」
顔立ちや衣服などははっきりわからないが、雰囲気や立ち姿が女性のそれだったと寿安は話してくれた。
「残りの三件はどうだったんでしょうか。幽鬼が男か女か、証言がありましたか?」
「確認しよう。正直、幽鬼の性別などもはや判定できぬものかと思っていたから考えもしなかった」
証言で出てくる特徴は異形の化物としか思えないものばかりだったので、男女の別については俎上にのらなかったのだ。
「私も。妖術師にばかり気を取られ、幽鬼のほうは深く考えていなかったのですが」
幽鬼は妖術師の扱う凶器、そのような認識でしかいなかった。だが――。
「そもそも、四件の幽鬼は同じ人物なのか。あ、幽鬼だからもう〝人〟じゃないでしょうか」
「そこは気にするところじゃないだろ」
焔幽もそして香蘭も、難しい顔で黙り込む。
今回の事件はまだ霧のなかにあるような感じで、全体像がつかみきれない。なにが重要で、なにがそうではないのか……。
「考えてみれば、幽鬼が同一人物とわかったからといって犯人につながる確証はないですね」
決定的な証拠を発見したつもりになって勢い込んで焔幽のところに来てみたが、こうして言葉にしてみると「だからなんなのだ?」というような気分になる。
「いや、調べる価値はあるだろう。今は散りじりになっている事件の断片を少しでも多く集めることだ」
今日はもう遅いので事件関係者のところには明日、話を聞きに行くことにした。




