六 モグラ、幽鬼退治に駆り出される③
そんなわけで、蘭楊は皇帝側近から琥珀宮護衛担当にまたも職務変更することになった。
(雪寧さまの宮、朱雀宮、そして琥珀宮。私のように有能だとあちこちから請われ、ひとところに落ち着くことは叶わないものですねぇ)
今回は自ら強引に押しかけるという事実を棚にあげ、香蘭はいつものように悦に入りながら琥珀宮へと続く美しい庭を歩いた。
「あぁ、蘭楊! やっとやっと、役に立ちそうな宦官が来てくれたわね」
琥珀妃、甘月麗は香蘭を大喜びで迎えてくれた。
綿菓子のようにふわりとした栗色の髪が甘く香り、上目遣いにこちらを見あげる髪と同色の瞳は宝石よりもなおまばゆい。山吹色の地に金糸の刺繍がほどこされた衣も趣味がよく、彼女によく似合っている。
(いつ見ても、完璧にかわいい方ですね)
秀由が贔屓したくなるのもわかる、愛らしさだ。そして――。
「ねぇ蘭楊。幽鬼ごときにおびえて泣きベソをかく宦官たちを見た? 使えないうえに醜くて……あぁ、どうしてあんな汚物どもが私の宮の護衛だったのよ?」
(愛らしい顔に似合わない、この毒舌。これでこそ月麗さまですねぇ)
ギャンギャンと騒ぐ彼女を香蘭は生温かい目で見守る。
「翡翠妃の護衛は優秀で勇敢だと聞くわ。陛下はあの女ばかり贔屓していないかしら」
そして彼女の話はたいてい、ライバルである翡翠妃、陽明琳に帰結するのだ。
(明琳さまの宮に勤めると、彼女に心酔してしまう者が多いと聞きますね)
女官にしろ宦官にしろ、ただの一役人に過ぎない。金のため、生きるためにこの仕事をしているだけ。命を懸けてでも!という献身を引き出せるかは主次第といえる。
明琳にはその魅力が備わっているのだろう。
「そもそも、あの女はね!」
幽鬼事件の話を聞きたいところなのだが、月麗の口は一度も塞がらず延々と明琳について語り続ける。
(本当に愛憎は表裏一体。彼女のこれ、もはや恋に近いのではないでしょうか)
香蘭は苦笑を漏らす。が、陽明琳と甘月麗のライバル関係はなかなかにおもしろく、千華宮の華であることは確かだ。
月麗が満足するのを待ってから、香蘭は本題を切り出した。
「それで、ひとり目の被害者のときに幽鬼を見たという女官はどなたですか?」
月麗の案内で香蘭は彼女の室を訪ねた。
同室の者は気を遣って席を外してくれたようで、待っていたのは本人のみ。小柄でおとなしそうな娘だ。
「月麗さまに仕える寿安と申します」
つぶらな瞳に小さな唇。美女ではないが感じがよく、月麗の女官らしく衣や髪飾りは洗練されている。
「もう何度も話して飽き飽きだとは思いますが、もう一度あの日のことを聞いてもいいでしょうか?」
香蘭が誠実に頭をさげると、彼女は真剣な顔でうなずいた。
「わりと遅い時間だったと思います。あの日は客人が多くて、仕事が遅れがちだったんです」
ようやっとすべてを片づけて、寿安は同僚と一緒に使っているこの部屋に向かっていた。庭に面する廊下を歩いているときに、ふと違和感を覚えて外を見たそうだ。
「なんだか、庭がいつもより明るいなと思って。で、夜空を仰いだら星がすごく綺麗だったので、あぁ星明かりのせいかと納得して」
しばらく美しい星空を眺めて、それからまた進行方向に視線を戻そうとした。
「でもそのとき、星明かりのせいじゃないと気づいたんです」
その夜を思い出したのか、彼女は小さく身震いする。
「琥珀宮の庭には大きな柳があるのですが、その下がぼんやりと薄明るかったんです。怖くて見たくないのに目が離せなくて、じっと見つめていたらその光が人の形をしていることがわかりました」
「幽鬼だった?」
「はい、絶対にこの世ならざる者だと思いました」
だって足がなかったんですよ……と彼女はおびえた声で言う。
「見てしまったあと、あなたはどうしたの?」
「怖くて怖くて、一目散に室に戻りました。それで同室の子を叩き起こして、話をしたけれどちっとも信じてもらえなくて」
寿安はクスリとかわいらしく笑う。
「人間って不思議ですよね。絶対に幽鬼だと確信したくせに、同僚に明るく笑い飛ばされてしまうと途端に自信がなくなって……やっぱりただの人間だったのかなという気もしてきて」
「わかります、そんなものですよね」
香蘭に肯定してもらえてホッとしたのか、彼女の語り口はなめらかになった。
「同室の子は、逢引き説を唱えました。あ、この話、陛下には内緒にしてくださいますか?」
彼女が慌てて付け加えるので香蘭は「もちろん」とうなずく。
「名誉のために名前は伏せますが、この宮の護衛を務めるとある宦官はかなりの遊び人だそうで、あちこちの女官に手を出しているといううわさがあるんです」
この手の話はどこの宮にもあるもの。誰と誰が恋仲だとか、喧嘩別れをしてしまったとか。朱雀宮でいえば、焔幽と夏飛が相思相愛であるという説はものすごく根強い。
そんなわけなので、彼女の話も信憑性は五分五分だろうか。
「つまり同僚の女性は幽鬼ではなく、恋人を待つ人間だろうと主張したわけですね」
寿安はうなずく。
「そう言われると、きっぱりとは否定できなくて。それに、そう考えたほうが恐怖もやわらぐので。恋人を待っていただけの女官を幽鬼と見間違えた、自分にそう言い聞かせました」