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五 同じ闇を⑤

「琵加は穏やかな笑みの裏で、ずっと母を妬んでいたんだろうな。わからぬではない」


 愛されない女同士。そのことがふたりの絆を深めていたのだとしたら、焔幽の母に皇帝のお渡りがあった時点でふたりの関係は壊れたのだろう。たとえ一度きりのことでも、二度と友人には戻れない。 


「鬼の形相で殴りつけ罵倒する。その後すぐに、女神のごとき慈愛で俺を抱き締める。朝と夜で、昨日と今日で、別人のようになる。琵加という女がわからなくて、ただひたすら恐ろしかった」


 彼女は彼女で壊れていたのかもしれない。後宮という場所は女たちを狂わせる。


『愛しているわ』

『あなたなんかを愛してあげるのは世界中で私だけ』

『私だけを見て、私の言葉だけを聞いていなさい』


 彼女はそう唱え続けた。


「俺は世継ぎの候補にすらあがっていなかったから、誰も俺に感心など寄せることはなく……世界は彼女とふたりきりだった。まぁたしかに、俺を愛してくれたのは琵加だけだった」


 閉ざされた世界のなか、おぞましい愛に溺れ、静かに息絶えていく少年の姿が目に浮かぶようで香蘭の背筋は凍った。


 気がついたら叫んでいた。


「違う! 支配は……愛ではない。それを愛と呼んではいけません」


 ほの暗いものを抱えている男だとは初めから思っていた。だが、彼の闇は想像していたより真っ黒で底が見えない。


 彼は香蘭にほほ笑みかける。その笑みは悲しく、ゾッとするほどに美しい。


「当時の俺にそれを教えてくれる者はいなかった。あの女の愛にすがる以外に生きる術がなかった」


 冷えきっているであろう彼の手を握ることも、いつもより小さく見える身体を抱き締めることも、香蘭はしなかった。そんな安っぽい愛で彼の傷が癒えることはないからだ。


 彼にとって、女の愛は自分を痛めつけるムチなのだ。


(厭うなどという生優しい感情ではないですね。目を背けたくなるほどの恐怖……)


「転機は長兄の死だった。俺にとっては雲の上のような存在で言葉を交わしたことすらなかったが、国中の期待を一身に背負う優秀な世継ぎだったそうだ」


 彼が次の王。みながそう信じていて、当時の瑞国には世継ぎ争いなどありえない話だった。


「ところが、彼の死で状況は一変した。兄はほかにも大勢いたが、これといって有力な者はおらず、いくつもの派閥に分かれ宮中は混乱した」


 その事態を誰もが憂い嘆いたが、ただひとり焔幽だけは神に感謝した。


「かつぎあげる神輿として俺の名を思い出す者もいてな。地獄から抜け出す、ただ一度きりの好機だと思った。どんな手を使ってでも皇帝になると決意し、成し遂げた」


 そこで焔幽の味方になってくれたのが、現在の臣下や夏飛たちだったようだ。


「……琵加という女は?」


 絞り出すように香蘭は声を発した。自ら聞いておいて、答えを知るのが空恐ろしかった。


「死んだよ。力を得た俺に拒絶されて……自死した」


 やはり聞かなければよかった。


「鬼は、最期まで鬼だったのですね」


 なんという卑劣な女だろうか。最期の瞬間まで、彼の心をムチ打ち続けた。もうとっくに、焔幽の心は修復不可能なほどボロボロだっただろうに。


「それについては俺も偉そうなことは言えない。今でも……長兄の死を幸運だったと思っているからな」


 そんなことで鬼のような女と焔幽は同列にはならない。そう言いたかったが、さまざまな感情が頭をグルグルと回り言葉にならなかった。


 これは怒りだ。香蘭は今、猛烈に腹を立てている。


 焔幽はふっと、いつもの彼らしい表情を取り戻した。


「こういうとき、女とは美しい涙を流してみたり、そっと寄り添ってみたりするものじゃないか?」


「……涙は悲しいとき、もしくはうれしいときに流すものです。怒り狂っているときには出てきません」


 香蘭の肩は小刻みに震えていた。


 泣きそうな顔で彼は笑う。悲しいのだろうか、それともうれしいのだろうか。


「お前のそういうところが……俺はわりと好きだ」


 この話はおしまい。そう示すように彼は前を向いて歩き出す。


(忘れられませんが、忘れたふりをしましょう)


 彼の過去には二度と触れまい、香蘭はそう決意した。


 互いに何事もなかったかのように、予定どおりに公主李蝶の宮に寄った。


 一風変わった事件の報がもたらされたのはその日の夜更けのことだった。

五章はここで終わりです。


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