四 月と太陽③
「あら、そろそろ始まるみたい。陛下はもう行かれたほうがよろしいのではないですか?」
雪寧が舞台のほうに目を向けて言う。その言葉を合図にそれぞれが自分の席に向かった。
側近は護衛を兼ねているので、夏飛と香蘭は焔幽の席の後ろのほうに座る。舞台の正面、特等席だ。
ただ、すぐ隣に夏飛がいるのがどうにも落ち着かない。というのも、人たらしの香蘭にしては珍しく彼とはいまだ打ち解けられていないのだ。警戒されているような気がする。
(陛下の側近同士。ライバルといえる関係だからでしょうか)
「夏飛さんは私が陛下の側近をすることに納得がいっていないのですか?」
本来は宦官でないとできない仕事だ。男性が宦官になるというのは、そうとうの覚悟が必要のはず。その意味で香蘭に思うところがあっても不思議はない。
「いえ、ありがたく思っていますよ。妃嬪選びは僕向きの任務じゃないですしね」
「では、私がお嫌い?」
ずばり聞いてみたところ、夏飛はパチパチと目を瞬く。ここまでの直球を投げかけられるとは予想外だったのだろう。
しばし考え、口を開いた。
「嫌い、ではないですよ。優秀だし、あなたは性格も悪くない。けど、なんというか……気味が悪い感じがするんですよ」
「それは、私の頭がよすぎるとか機転がききすぎるとか、そういった意味で?」
夏飛は苦笑して眉根を寄せる。
「いつもながら清々しいほどの自惚れぶりですね」
「はい。私は自分のことが大好きですが、それで誰かに迷惑をかけているわけでもないですし……責められるいわれはありませんよね?」
「まぁ、たしかに」
夏飛はじぃっと香蘭の顔を見る。仮面をはがしてやるとでも言いたげな目だ。
「――足のある幽鬼」
香蘭の心臓が跳ねた。もちろん夏飛にときめいたという意味ではない。
「うん、まさにそんな感じだ」
自分の胸のうちを適切な言葉で表現できた。夏飛の顔にはそんな納得感があった。
「人間なのか幽鬼なのか、正体がわからぬほうがかえって恐ろしいでしょう。あなたを前にするとそんな感覚を覚えるんです」
香蘭はまじまじと彼を見返す。
(なるほど。この方はこの勘のよさで陛下の側近になったのですね)
夏飛がなぜ焔幽のお気に入りなのか、その理由がわかった。
足のある幽鬼とは言いえて妙だ。今の自分は死んだ蘭朱の魂が香蘭の身体を得て歩いているようなものなのだから。
香蘭の真実に夏飛はかぎりなく近づいている。
「おそらく陛下も同じことを感じているはずですよ。僕と違って、あの方はあなたのそこを〝気味が悪い〟ではなく〝おもしろい〟と思っているんでしょうけど」
自身を暴かれるかもしれないという感覚に香蘭の背筋はヒヤリとした、と同時に、ちょっとした高揚感も覚えていた。蘭朱のときとは異なり、香蘭の人生はあまりにも穏やかだからちょっとした刺激を本能で求めてしまったのかもしれない。
結局、夏飛と打ち解けることはできなかった。嫌われているのではなく、気味悪がられているとわかっただけ。
まだ太陽が南の空で悠々としている時間ではあるが、月見の宴が始まった。
美食と酒を楽しみながら、舞台で披露される妃嬪たちの芸事を眺める。
こういう場の常で、披露の順番は期待値の低いほうからだ。皇后にもっとも近いとされる翡翠妃のすぐあとに美貌だけで選ばれたような田舎貴族の娘の番では、いじめにしかならないからだ。
順番が早いほうの女たちの芸はたどたどしく、拙い。が、それもまた一興ではある。
(この初々しさを気に入る男性は案外と多いですから)
未熟さが武器になるのは女の特権かもしれない。
(が、陛下には、残念ながら通じなそうですね)
斜め前の席にいる焔幽の横顔がちらりと視界に入る。瞳が「退屈だ」と言いたげである。
焔幽とは違い、香蘭はわりと未熟な芸事を見るのは好きだった。どこをどう改善すればよくなるのか、そういうところを研究するのが好きだから。
途中、舞の振りをド忘れしてしまったらしい子に客席からこっそりと教えてあげたりしたことは焔幽には秘密にしておこう。
残り半分くらいのところまで来ると、桁違いに水準があがり、全員の目が舞台に釘づけになっている。そして終わると割れんばかりの拍手が送られる。
礼をして舞台を去っていくのは瑪瑙妃、柴美芳だ。彼女は二胡にこを披露した。確かな腕前と彼女独特の音の捉え方により素晴らしい演奏になっていた。
焔幽もきちんと拍手を送っている。




