三 偽宦官、ハーレムを作る④
翌日。香蘭は焔幽のそば仕えを夏飛に任せ、ひとりで千華宮を散歩していた。といっても、さぼっているわけではない。
『瑠璃妃、玻璃妃。そして瑪瑙妃』
昨日の秀由の声が耳に蘇る。
皇后争いから、明琳と月麗は頭ひとつ抜けている。そこに食いさがれそうなのが、この三人なのだ。
(百聞は一見にしかずと申しますしね。この目で確かめてみましょう)
三人のうち、まずは瑪瑙宮に向かった。とくに理由はない。しいていうなれば、香蘭がもっとも興味深いと感じたるのが瑪瑙妃、柴美芳だからだ。
彼女の宮は本人と同じく、ひっそりと静かに佇んでいた。女官たちも無口でおとなしい。ワイワイとにぎやかな雪紗宮とは全然違う。
門の前からコソコソとなかの様子をうかがっていた香蘭の背に「なにか?」という冷ややかな声がかかった。香蘭はびくりと背を震わせ、振り返る。
人形めいた無表情の女がそこにいた。黒い髪に黒い衣で非常に地味だが、彼女が美芳本人だ。
(気配がまったくありませんでしたわ。間者の才がおありかも!)
香蘭がおかしなところで感心している間も彼女の表情はピクリとも動かない。
(陛下以上に表情筋が仕事をしませんわね)
「も、申し訳ありません。コソコソと。実は陛下からの差し入れをお持ちしたのですが……」
香蘭は用意していた菓子の入った籠を彼女に差し出す。妃嬪候補たちと接触するために焔幽の名を利用する許可はきちんと得ている。
「別に」
顔立ちそのものはわりに子どもっぽいのに、美芳の声は意外なほどに低く渋い。童女にも老女にも見えるような、そんな得体の知れなさが彼女にはあった。
(まぁ、この私に言われたくはないでしょうが)
香蘭も身体は十八歳だが、内面は蘭朱だったときの三十年ぶんが加算されるので立派に中高年だ。
「誰がコソコソしていようが構いません」
興味なさそうに彼女は吐き捨てる。香蘭の差し出した菓子にも一瞥をくれただけで、すぐに背を向けてしまう。
「えっと! 甘いものはお嫌いでしょうか?」
美芳は足を止め、ゆるりと首だけを動かし香蘭を見る。
「ソレはわたしくの仕事ではありませんから」
届けものの対応は女官の仕事。そう言いたいのだろう。
香蘭は小柄な背中が宮のなかへ消えていくのをじっと眺めていた。
(やっぱり、興味深い方ですね)
こうして実際に言葉を交わしてみても、美芳は謎の多い女性だった。人を見る目には自信のある香蘭にもつかみきれない。
彼女はほかの候補と比べると家格は劣る。容姿も子どもっぽく、美女とはいえないだろう。にもかかわらず有力な候補のひとりにあげられている理由は、彼女が人並み外れた頭脳の持ち主だからだ。
男児に生まれていたら、末は宰相だったと誰もが言う。
(野心があるのかないのか、読めない人です)
美芳の指示どおり、菓子は女官に渡して瑪瑙宮をあとにした。
続いて瑠璃宮、最後に玻璃宮を訪ねてみるつもりだったが、瑠璃宮で両方の目的を達成することができた。瑠璃妃のところに玻璃妃が遊びに来ていたからだ。
宮の庭にある東屋あずまやで女官たちと一緒に和やかにお茶をしている。美しい女性たちが笑い合う様子というのは、よいものである。
(後宮ではなかなか見られない光景なので、余計にまぶしく感じるのかもしれません)
ライバルである妃嬪同士が仲良くすることは非常に稀なのだが、彼女たちはちょっと特別だ。
(姉妹、ですものね)
おまけに瑠璃妃、景桃花と玻璃妃、景柳花は双子なのだ。
顔立ちや背格好はよく似ている。ふたりとも清楚で上品、いかにも良家の姫という佇まいをしている。
頭の両側にふたつお団子を作っているのが姉の桃花で、真ん中にお団子ひとつなのが柳花。それが見分けるコツになっているので、髪型を交換されたらやや迷ってしまうかもしれない。
(いえ、雰囲気の差でわかるでしょうか)
こう言っては柳花に失礼かもしれないが、パッと目を惹く華があるのが姉の桃花。それで見分けがついてしまう気もする。
こうして眺めていても、天真爛漫でコロコロと表情が変わる桃花に自然と目がいってしまう。
(身体があまり丈夫ではないと聞きましたが)
たしかに柳花と比べるとやや線が細く、儚げだ。けれど、それもまた魅力となっているように思えた。
妹の柳花は生真面目でお堅い印象を与える。秀由なんかはきっと、断然に桃花のほうが好きなはず。
(けれど陛下は柳花さまのほうがお好みかもしれませんねぇ)
そんな下世話なことを考える香蘭の背に声がかかった。
「あら、蘭楊さま」
瑠璃宮に勤める顔なじみの女官だ。




