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三 偽宦官、ハーレムを作る③

 月見の宴を翌日に控え、千華宮はにわかに活気づいていた。庭には舞台がしつらえられ、食事用の大きな卓と椅子が並ぶ。大勢の人間が足早に行き交っている。


 朱雀宮のとある室の窓から香蘭と秀由はその様子を眺めている。窓際に置かれた丸机の上には花茶(はなちゃ)と桃饅頭。焔幽が香蘭に与えた任務は秀由の管轄内なので、話をする機会も増えすっかり茶飲み友達になっていた。


「みなさん、お忙しそうですねぇ」


 黄金(こがね)色の液体のなかで赤い花がふうわりと咲いている。


 その花茶をズズッとすすって香蘭は満足そうな吐息を漏らす。前の職場である雪紗宮の茶より上等で香りがいい。


「そうですな」


 宴の準備にいそしむ人々を見る秀由の目はどこか恨めしげだ。


「仕事に邁進できるなんてうらやましいかぎりです。それに引きかえ私は……この職務は千華宮でもっとも価値と名誉があるというのに!」


 秀由は机に顔を突っ伏しておおげさに嘆いてみせる。


 彼の仕事は皇帝の閨の管理。つまり、焔幽がいつ誰のもとに通い、どのくらいの時間を過ごしたかというのをつぶさに記録するのが使命である。下世話といえば下世話だが……本人の言うとおり、この部はわりと地位が高く宦官のなかでは花形ともいえる職場だ。


 にもかかわらず、こうして暇を持て余すのは真面目な彼には拷問に等しいのだろう。


「陛下はまだ若い。頭で小難しいことを考える前に、片っ端から味わってみればよいのだ。そもそもよい妃嬪の条件など、一にも二にも男児を産むこと。陛下がなにもしないのであれば、よい妃嬪は永久に誕生しないことになる」


 発言だけを聞くと過激だが、彼の言うことも一理ある。香蘭は否定も肯定もせずに「ほうほう」と適当な相づちを打っておいた。


(たしかに。閨もまた、人間の本性が暴かれる場面ではありますね)


 とはいえ焔幽自身がその手法を取る気はなさそうなので仕方あるまい。香蘭と秀由は小難しいことを考えて、焔幽の妻を選ばなくてはならない。


「秀由さんはどの女性を推薦されますか?」


 彼はあまり考えることもせず、さくっと答えた。外見は思慮深い雰囲気の漂う老爺だが、案外と単純な性格のようだ。


「それはもちろん翡翠妃さまです」


 予想どおりの答えだった。


「陽家は瑞でも一、二を争う名門の家。過去に皇太后を輩出したこともありますしね。ご本人の資質もなにひとつ問題ないでしょう」


 陽明琳はとびきりの美女だ。気品と知性にあふれ、彼女が皇后として焔幽の隣に立てば、このところ弱まってしまっている瑞国の威光も復活しそうに思える。


 容姿というのは案外侮れない。皇帝に気に入られる……などという小さな目的のためではない。国民に畏敬の念を抱かせるために重要だからだ。


(彼らは強く正しく、そして美しい支配者を求めている)


 圧倒的な存在になら、むしろ支配されたいとすら願う。それが民衆というもの。


「やはり、そうですよね」


 明琳のことは香蘭も一番の候補と考え、彼女を観察し、翡翠宮に勤める女官たちのうわさも十分に集めた。評判は悪くない。


『とても厳しい方ですが、贔屓はしないんです。全員に平等に厳しい。だから嫌いじゃないですよ』

『しっかりと自らを律していらっしゃいます。高貴なお方はやっぱり違うなぁと尊敬してます!』


 女官たちからはそんな声が聞こえてきた。ある意味では焔幽と似た類の人間なので相性も悪くなさそうだ。


 秀由は桃饅頭を口に放り込みながらモゴモゴと言う。


「懸念点は愛想がなさすぎるところでしょうかねぇ。皇帝もひとりの男。かわいげがあるほうに情が移るのは仕方のないことですよ」


「なるほど。秀由さんのご意見、参考にさせていただきます」


 意見を求めた以上は礼をするべき。その信念に基づき、香蘭は彼に頭をさげた。だが、秀由の明琳に対する評価はやや表面的で浅いと感じていた。


(愛想のない女は陛下にとってはむしろ理想的。だけど彼女は……)


 明琳は冷淡そうに見えるが、それは見えるだけ。実際は結構情の深い……歯に衣着せずに言ってしまえば、色恋にドロドロした炎を燃やす女だと香蘭は読んでいた。


(あの手の方は意外と面倒くさい! 間違いないはずですわ)


 そして面倒な女は焔幽のもっとも嫌うところだろう。


 秀由はふたつ目の饅頭に手を伸ばす。やせ細っているわりにはよく食べる。


「もっとかわいげのある女を……となれば、琥珀妃でしょうなぁ」


 秀由の表情筋がわかりやすく緩む。彼の好みは琥珀妃、甘月麗のようだ。


「甘家は財力があって後ろ盾としてはこれ以上なく強い。ご本人も可憐で愛らしいし、女嫌いの陛下でもきっとほだされるはず」

「なるほど、なるほど」


(長く生きているくせに、なんと浅慮な……)


 香蘭は秀由の雑すぎる人間観察力にすっかりあきれていた。女嫌いの男がもっとも苦手とするのが彼女のような人間ではなかろうか。


 栗色のふんわりした髪、桃色の頬と唇。媚びを隠さない甘い声と蠱惑的な笑み。おそらく焔幽の好みとはかけ離れている。


(それに可憐で愛らしいのは見た目だけで、中身は野心家ですし。翡翠妃と真っ向勝負しようと考えているのはおそらく彼女だけ)


 月麗は己の飽くなき上昇志向を別に隠していない。


 『どんな手を使ってでも皇后の座を手に入れる!』と鼻息荒く女官たちに宣言しているくらいなので『可憐で愛らしい姫』などと寝ぼけたことを思っているのは秀由くらいなものだろう。


 もっとも香蘭は野心家な人間を嫌ってはいない。皇后という重責を担うのだから、心が弱いよりは強いほうがずっといい。


(懸念は強すぎる野心に自滅しないかという点でしょうか)


 野心をうまく飼い慣らし、利用するのは難しい。多くの人間が制御できなくなって破滅する。


「ふたりより一段さがって、瑠璃(るり)妃、玻璃(はり)妃。そして瑪瑙(めのう)妃でしょうかね」

「やはり、そうなりますか」


 香蘭はうなずきながら最後のひとつこそは自分が……と桃饅頭に手を伸ばしたが、一寸早く秀由に奪われてしまった。単純で浅慮で、食い意地の張った爺さまだ。

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