三 偽宦官、ハーレムを作る②
その夜、焔幽は自身の室に香蘭を呼んだ。
「さて、お前が〝蘭楊〟になってから早半月。任務の進捗はどうだ?」
皇后と三貴人にふさわしい女を見つけたか?と問うたつもりだ。香蘭は悩ましげに唇を引き結んでいたが、意を決したように口を開く。
「その前に陛下にひとつ、申しあげたいことが」
「なんだ? 遠慮せず申してみろ」
香蘭はじっとこちらを見る。
(やはり変わった女だな……)
まだ年若いはずなのに、彼女の瞳には老齢の賢者を思わせる落ち着きと威厳がある。底の知れない女だ。夏飛は動物的な嗅覚の鋭い人間だから本能で彼女を恐れるのかもしれない。
「私はやはりこの職を辞すべきではないかと思っております」
焔幽は軽く目を瞬く。
「俺の側近という任務は不満か?」
「いえ。白状するとこの生活は性に合っていて非常に楽しいです。女官より自由に出歩けるし、懐いてくれる女の子たちもかわいいですし」
彼女はホクホク顔で言った。どうやら満喫しているようだ。
「ではなぜ?」
えらく深刻そうに、香蘭は眉をひそめる。
「ですが……このままでは千華宮は私の後宮になってしまいます。たった半月で、もう誰も彼もが私の虜になっておりますでしょう?」
心から心配しているのだというそぶりで、香蘭は頬に手を当て首をかしげた。
「陛下はほら! 顔貌は優れておりますけど、女性の心の機微に疎くていらっしゃるので……この私がライバルとなると、それはもう厳しい闘いが予想されてしまうかと思います」
ようするに、焔幽より自分のほうが女たちに愛されてしまうと言いたいようだ。
焔幽の額に青筋が浮く。
「お前な……俺を誰だと心得ている?」
「瑞国皇帝、焔幽さまですね」
「わかっているのなら、言葉と態度にもう少し気をつけろ。モグラの分際で」
「あら。陛下が遠慮せずに……とおっしゃったのではないですか」
ケラケラと笑う香蘭に焔幽は「ぐっ」と言葉を詰まらせた。
「まぁ、無礼は許す。お前が無礼な人間であることは最初からわかっていた。だが、側近をやめるのは認めないぞ」
焔幽はそこでふっと口元を緩めた。
「別に千華宮中の女がお前に惚れても、俺はいっこうに構わない。皇后の条件、最初に伝えただろう?」
天真爛漫だった香蘭の顔が賢者のそれに変わる。すべてを見通すような冷めきった目で彼女は焔幽を見据えた。
「陛下を決して愛さない、けれど愛するふりは完璧にできる女性。それが条件でしたね」
「そうだ。……女の愛は求めていない」
冷ややかに焔幽は吐き捨てる。
香蘭には最初にこの条件を伝えた。
なぜ?と聞き返されることを想定していたが、彼女はただ『御意』と答えた。興味がないわけではなく、聞かずとも理由はわかっているという顔をしていた。
この半月で焔幽は確信した。香蘭と自分は同種の人間だ。
香蘭はにこりと笑う。
「陛下のご希望はわかりますが、妃嬪選びはそう簡単ではない。やはり家柄や権力バランスなども考慮しなくてはならないでしょう。後ろ盾のない妃嬪は本人が苦しみます。私はそんな女性を見たくはありません」
香蘭は優しい。とくに弱いものには無条件で手を差し伸べる。
(愛など信じていないくせに、おかしなやつだ)
皮肉でもなんでもなく、焔幽は純粋に香蘭という人間の抱える矛盾を興味深く思っていた。
誰からも愛され、誰にでも愛を与えるのに、おそらく彼女は愛を信じていない。
(同種の人間かと思ったが……もしかすると俺よりよほど歪んでいるのかもしれない)
「陛下?」
呼びかけられ、焔幽は意識を香蘭ではなく『妃嬪選び』に切り替えた。
「あぁ、それはわかっている。そういった面も踏まえて選んでくれてよい」
「では……」
彼女が自身の考えを述べはじめたので、焔幽は黙って話を聞く。
「まず外せないのは、翡翠妃、陽明琳さま。次に琥珀妃、甘月麗さま……」
焔幽はまだどの女にも寵を与えてはいないが、家柄のいい娘は千華宮にあがったときから『妃』の位を与えられ宮を持てる。
香蘭はすでに『妃』の地位にある女を数名、それから宮を持たない『嬪』のなかから見どころがあるとして数名の名をあげた。
どの名前もとくだん意外なものではなく、むしろ誰もが予想する人物たちであろう。
香蘭自身もそれは感じているようで、どこかシュンとした様子で付け加える。
「おそらく夏飛さんや秀由さんに聞いても同じ答えでしょうね。ワクワクする答えを差しあげることができず申し訳ございません」
「別に突飛な答えを期待しているわけではない。むしろお前に求めているのは、その誰もが納得する候補者たちにどう序列をつけるか、だ」
序列の一はもちろん皇后。だが、三貴人にも上下関係がある。
宝石にちなむ妃と同様で、貴人には色の名前を当てる。序列は高い順に蒼、緋、黄となる。
「血筋と本人の資質を単純に採点するのであれば、皇后は明琳さまで決まりでしょうね。ですが彼女は……」
香蘭はそこで言葉をにごした。焔幽にはわからないが、彼女は明琳になにか引っかかるとことがあるようだ。
「陽明琳のなにが気にかかる?」
「いえ、彼女だけでなくほかの候補者にも気になる点はもちろんあります。なのでこの場での言及は控えさせてください。それにほら!」
香蘭は明るい声をあげる。
「すぐに月見の宴があるではありませんか」
月見の宴は宮中行事のひとつだ。
一年でもっとも月が美しいとされる日に開かれる。昼間から芸事と酒を楽しみ、一年に一度きりの月がのぼってくるのを待つのだ。
天の主役が月に代われば、その後はもう無礼講。夜が更けるまでドンチャン騒ぎを繰り広げる。
「名前をあげた彼女たちはみな、なにか芸事を披露するはずです」
月見の宴では女たちが楽器や舞を披露する場面がある。みな、自身の美貌と教養を存分に見せつけようと修練を積んで臨むはずだ。
「もちろん芸事に長けているのは妃嬪にとって大事な要素ですが……」
そこで香蘭はニヤッと目を細めた。
「競い合う場面というのは人間の本質が出やすいもの」
萎縮して本番に弱くなる者、意外な度胸を発揮する者、そして他人の足を引っ張ろうとする者。香蘭の言いたいことを察して、焔幽もうなずく。
「そうだな。あの場で女たちがどう振る舞うのか、俺もよく見ておくことにしよう」
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