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二 モグラ、偽宦官になる③

 ただ、香蘭は彼の容姿には興味がない。美しいものなど、前世の自分自身でとっくに見飽きてしまったからだ。


 風景を見る目となんら変わらぬ様子で自分を見ている香蘭に、焔幽は大きくうなずいた。


「やはり、いい人選だったようだ」


 香蘭はふぅとひとつ息を吐くと、彼に語りかけた。


「陛下。陛下の人を見る目はまことに確かだと思います」


(これだけの女人があふれる千華宮で私を見つけ出したこと、それは称賛に値することですわ。でも……)


 香蘭はキッと彼をにらむ。焔幽は自分と目を合わせてもまったくひるまない香蘭の度胸にやや驚いたが、彼女は焔幽の心境に変化になど頓着していない。


「これはあくまでも善意なのです。陛下の治世が末永く続くこと、朱雀の加護を失わぬよう申しあげることで」


 婉曲に拒絶を伝えようとする香蘭の言葉を焔幽はばさりと遮る。


「ややこしい作法は嫌いだと言ったろ。無意味な装飾はいらぬから普通に話せばよい」


 優雅な外見に似合わずせっかちな男だ。香蘭は腹をくくり、きっぱりと言った。


「では正直にお伝えします。私の肌に触れるのはおやめくださいませ。それが陛下のためでございます」


 焔幽は意外なことを聞いたという顔で目をパチパチとさせる。


「お前は体内に毒でも巡らせているのか?」

「毒姫ですか。南方の伝承にそんな話がありましたね」


 幼い頃から少しずつ毒を摂取し、体液に毒を含ませる。そして成長したらその身体を使って敵を始末する毒姫。物語なのか実話なのか、そこは不明だ。もし現実にそんなことが可能ならば、よい手ではあるかもしれない。が、少なくとも香蘭はためしたことがない。


 フルフルと首を横に振る。


「そんなことはございませんが」

「では、なにゆえだ?」


 氷の瞳がかすかに輝く。どうやらおもしろがっているようだ。


(あぁ、やはり)


 香蘭は落胆する。どうあがいても、自分は男性を魅了してしまうのだと絶望にも似た思いを抱く。


 至って真剣な表情で、香蘭はグッと声をひそめた。


「そうですね。ある意味で私の肌は毒なのです。一度覚えてしまうと、ほかのものは目に入らなくなってしまうのですよ」


 前世の夫もそうだった。彼は蘭朱が妻になりさえしなければ、まぁまぁの賢帝になれたように思うのだ。魔性の女に出会ってしまったことは彼にとって幸運だったのか、悲運だったのか……聡い香蘭にも解けぬ永遠の謎だ。


「それはなにかの暗喩などではなく……言葉どおりの意味か? つまり俺が一度でもお前を抱けば、お前しか目に入らなくなると?」


 焔幽の眉間のシワが深くなる。彼は確かめるように一語一語、ゆっくりと発声した。


 香蘭はにっこりとほほ笑む。


「さすが陛下。理解が早くていらっしゃいますね。そのとおりでございます」


 妙な沈黙がおりた。ニコニコしている香蘭と目をみはる焔幽。ややあって焔幽が口を開く。


「お前は視力に問題があるのか?」

「いいえ」

「では、どこか遠くの生まれか? 瑞とは美意識が異なる国なんだな」

「いいえ、私はこの瑞国の生まれですわ」


 前世さえもこの国の人間だった。瑞国民としては焔幽よりかなり先輩だと、香蘭は胸を張った。


 また沈黙が流れる。


「これは決して侮辱の意味ではない。が、聞きたい。お前は自分がそれほどまでに美しいと思っているのか?」


 たしかに侮辱ではないようだ。焔幽の顔にそういった色は浮かんでおらず、あるのは純粋な好奇心だけ。


「千華宮には瑞国中から美女が集まっている。俺がそんな女たちにまったく関心を示さないとのうわさは聞き及んでいるだろう?」


 香蘭は余裕たっぷりにうなずいてみせる。


「そうですわね。この外側はたしかに現在の美女の基準からいくと中の上といったところでしょうか?」


 外側、である自分の身体をポンポンと叩きながら香蘭は言う。「いや、中の上でも自惚れが過ぎるだろう」という焔幽の突っ込みは完全に無視して続ける。


「ですが、顔貌の美しさなんて曖昧なものです。時代や支配者が変われば簡単にひっくり返ること。明日、この瑞国が他国に侵略され新しい王が誕生したとしましょう。その者がモグラ似の私を『美女』だと言えば明日から私は国一番の美女になります。国中の女たちがモグラに似せようと化粧をがんばるでしょうね」


 現王を前にしているとは思えぬ発言をしたが、焔幽は気にも留めなかった。むしろ「モグラに似ていることは自覚していたのか」と妙なところで感心している。


「誰をも虜にする美は、魂に宿るものです。たとえボロに身を包んでも私の美はあらゆる人を惑わせてしまう。あぁ、なんて罪深いのでしょう」


 香蘭は天に向かって救いを求めるように片手を伸ばす。


 陶酔するモグラ。大笑いが起きそうなおかしな絵面なのだが、焔幽の瞳は魅入られたように香蘭から動かない。彼女はそれを認識したうえで蠱惑的な笑みを彼に向ける。


 胡香蘭は決して美女じゃない。だがそのほほ笑みは間違いなく美女のそれなのだ。


 焔幽はぶるりと背中を震わせ、それからハッと我に返った。


「わかっていただけましたか? 陛下がよき皇帝であり続けたいのなら、私には触れないほうがいいのです」


焔幽が少しずつ香蘭の魔性に惑わされていきます!

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