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13 まっとうな話し合い

『別れてください』

 三か月の連絡不通の後、観里が別れたいとメッセージを送って来た時、僕は地元の新しくできたパン屋にいた。

 僕が地元に帰ったのは佐夜の命日、墓参りのためだ。

『私はあなたにふさわしくないので』

 観里からの連絡を目にした僕は、突然、岐路に立たされたような気分になった。それも、単なる分かれ道ではない。一直線の道の真っただ中に放り出されたようなものだった。前か後ろか、選べば最後、進まなかった方の真逆を往くことになる。この場合は、片方は佐夜に繋がる道、そして、もう片方は──観里へと続く道だ。

 葛藤があった。いや、それはこれまでふたりの女性を傷つけてきた僕にとって、不誠実なものだった。僕は当然、佐夜を選ぶべきだった、のに、迷いが生じてしまったのだ。

 それは、観里に対して僕が何がしかの思いを抱いていることの裏返しであり、佐夜に対する裏切りに思えた。

 ただ、この未解決でぐちゃぐちゃな感情を抱えたまま佐夜のもとを訪れる気にも、どうしてもなれなかった。

 結局、僕は墓参りを果たさずに、東京へとんぼ返りをする決断をする。

 久々に会った観里は、ただでさえ細い見た目をしているのに、更に痩せているように見えた。

『──住本くんは、私に対する無関心を徹底的に深めようとしている』

 そして、彼女は僕にそう告げた。その瞬間、鋭利な槍で心臓を貫かれたような衝撃が走って、呼吸が一瞬、滞った。

 観里はこれまで会ってきたどんな女の子たちよりも地味で控えめな性格で──そして、人の感情に対する凄まじい敏感さを持っていた。その敏感さゆえに人からどう見られるかを過剰に気にしてしまい、人間関係がうまくいかなかったのだ。

 そんな彼女だからこそ、その時の恋人たちへの「無関心を深める」という僕の本質的な態度を見抜けたのだ。それを初めて誰かから指摘されて僕は狼狽した。

『そうじゃない……そうじゃ、ないんだ……僕は……ただ、忘れたくなかった、だけなんだ……』

 僕は何かを弁明しようとしたが、何を、どう説明すればいいのかわからなくて、そんな断片みたいな言葉を吐いた。もはや、観里と別れる別れないの話ではなく、僕のこの感情の正当性をどう伝えればいいか、それだけが頭の中を駆け巡っていた。

『何を……忘れたくなかったの』

 どう考えても不当に困窮する僕に対して、観里は戸惑うように訊ねた。

 何を、忘れたくなかったのか? そんなの決まりきっている。佐夜のことだ。何を今さら、そんなことを──と、僕は一瞬、怒りを覚える、が、瞬時に悲しみへと散った。何に怒ればいいのかわからなかったからだ。どこにも向けようのない怒りは、悲しみへと蒸散する。

『……幼馴染がいたんだ。僕は彼女が好きだった。でも、一五歳の時……死んだ』

 それから、僕は越川佐夜について打ち明け、彼女とどういう生活を送ったのか、それから僕がどういう風に、自分の精神を構築してきたのか洗いざらい喋ってしまった。

『僕は僕もろとも誰かを不幸にすることを、自分に課してきた。そうしないと、佐夜のことを忘れてしまう……佐夜と過ごした時間を失ってしまう……そんな恐怖に捉われていて』

 懺悔するように僕は話す。

『でも、君から別れたいって言われて、佐夜のもとへ行かずに、すぐに戻ってきて来てしまった……こんなこと初めてなんだ。確かに、僕は君に対する関心を必死で抑えようとしてきた。好きにならないように努めてきたし、今、こうして別れを切り出されているのは、当然だと思う。でも……君とは別れたくないとも、どうしても思ってしまう……』

 何故なら……僕は、観里を好きになりたい、と思ってしまっているから──と、僕は言った。

 僕は観里の辛い気持ちに心底同情していたし、それでも頑張ろうとする姿に心を打たれていたし、たまに見せる和らいだ笑顔にも惹かれていた。佐夜とも、静子とも、彩とも違うタイプで、僕は本来、こういう健気で幸薄体質な子が好みなのだと初めて気がついたのだ。それは僕の恋愛歴で全く新しい体験だった。

 しかし、この好意が許されるわけがなかった。

 僕のナイーブな想いを慰めるだけのために、僕との空虚な時間を過ごすことになってしまった静子と彩を侮辱することになるし、何より僕自身の佐夜への想いを否定することになる。中学生の頃の僕の苦しい時間をなかったことにしてしまう。そして、これほど傷つけてしまった観里になおも負担を強いようとしている。

 今の僕は罪を抱えすぎてしまっていた。

 僕は佐夜を轢いたおじいさんのことを思い出す。僕が彼を許さなかったのと同じように、静子や彩、そして観里も僕を許さないだろう。きっと、佐夜だって、こんな僕を許さないはずだ……。

 そんな僕のバックストーリーだって観里にとっては何の意味もない。結局、恋人として機能していないのは変わらないのだから。こんなみっともない、恥にまみれた内情を語ってしまったことを後悔しながら、僕は観里が何かを言うのを待った。

 彼女は言った。

『……わかった。それなら、私、待つ』

『……え?』

 僕は思わず、観里を見た。いつもどこか悲愴さの滲んでいる彼女の顔が、その時だけは決意に漲っているように見えた。

『住本くんの中で気持ちが落ち着いて、はっきりと私のことを好きだって思える時になるまで、待ってる。三か月でも、一年でも、三年でも、十年でも……』

『な、なんで、そんなことを……』

 呆然とする僕に、観里は沈痛な面持ちで答えた。

『だって、私も本当は……住本くんと、別れたくない、から……。そんな過去を抱えながら、こんな私に声をかけてくれた住本くんの、好意をそのまま流すようなことは、したくない』

『……観里』

『でも、お願い。住本くん、その気持ちから逃げないで。私も、これから先、自分の力で生きていけるように頑張るから……住本くんがいつ戻ってきても、大丈夫なように』

 逃げないで──と、彼女は言った。それは、形式上は僕に向けられていたが、実際は彼女自身に差し向けられた言葉のように思えた。だからこそ、逆説的に、僕の中に強く意味を持って響くことになる。

『……わかった』

 僕は震える声で言った。

『今まで、僕が辿ってきた歪んだ恋愛歴を、なんとかたたみ直してみる……それで、僕の中で何か確信を持つことができたら、君に必ず連絡するって約束する』

『うん。待ってる……』

 観里は小さく言った。

 僕たちはそんなごく普通でまっとうな話し合いを経て、その日、別れた。

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