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1 折りたたまれた恋愛歴

 いつの頃からか、こうだった。

 僕の生活を担保するのは、ただ、そんな曖昧な感覚だった。

「それ、捨てたい」

 彼女は、僕の食べ終わったラーメンの残骸を奪い取った。陶器の丼じゃなくて宅配用のペラペラの容器だ。熟練の掃除人のように余ったスープをシンクにぶち込み、残りをゴミ袋に叩き入れる。

「スッキリ」

 たったそれだけの行為で、越川佐夜(こしかわさよ)は満足げに手をはたいた。僕はその様子をコップの水を飲みながら眺めていた。

「ゴミ処理、そんなに好き?」

「ゴミは貯めて気持ちいい、捨てて気持ちいい。二度お得」

「はは、良い性分だな」

 お陰様でゴミの処分に悩まされることもなく、遠慮なく近所の飲食店のテイクアウト品をばかばか宅配してもらうことができる。いかに労働時間外のあれこれを圧縮するかに命を懸ける一般勤め人としては助かっていた。

「これで無職でなければ……」

「それはしかたない」

 ボスっと音がして、僕の座っているソファが少し揺れた。佐夜が僕の隣に座ったのだ。座った拍子に揺れた髪が、ふわっと肩口に切り揃えられた形に収束した。緩いサイズの白Tシャツとショートパンツ、彼女はそんなスタイルで永遠に過ごしている。ふにっとした鼻、黒豆をはめ込んだような目なせいで、未だに酒を買う時に年確されそうな童顔が、小言を言った僕の顔を至近距離からのぞき込む。

「私たち、今までずっとこうやってきたんだから」

 平坦で透明感のある声音が、ずいぶんと保守的なことを言った。

「……そうだな」

 そのことについて、今更、何か考えることもなかった。いつの頃からか、そうなのだ。佐夜は僕の幼馴染で当然のように同棲している。いずれにしたって、きちんとした宣言をしたことはなかったけど、この事実が並んでいるだけで幸福な生活を営むのには十分だった。

 二人してソファに座る、そんな休日の昼下がり。何をするわけでもなくぼーっとするいつもの余暇。ありきたりな幸せ。ただ、僕は時間を気にしている。スマホのトークをぼんやり眺めていた。

「今日、帰りは夜になるよ」

「そ」

 佐夜は興味なさそうに返事をして、コップを手に取って水を飲んだ。さっきまで、僕が飲んでいた水だ。呆気に取られるくらい、小さな小さな一口だった。

「ふう……」

 それから、満足気に息を漏らす。そうしているだけで十分だ、と言うように。


 その日は憎いほどの快晴だった。鉄橋を渡る電車の窓の外では、墨田川の水面がキラキラと輝いていた。こういう日は何かをしないと罪悪感を植え付けられてしまう。予定があることを幸いに感じた。

 駅に降りて改札を出ると、すぐに彼女の姿を見つけた。美人な彼女はとても目立つ。僕は足早に近づいて声をかけた。

「お待たせ。ごめん、待たせた?」

「あ~、住本(すみもと)くん。えっと……今、来たとこ!」

「あはは、本当?」

 まるで作法のように言われた言葉に、僕は笑ってしまった。

 彼女──内古閑静子(うちこがしずこ)は、僕の地元で有名な名家の生まれで、箱入り娘ということになる。といっても、本人はおっとりした見た目ながら気さくで、話していてもそんな感じは全然しない。世俗的な知識もきちんとあるし、抜けているとすれば異性との交流くらいだろうか。なので、静子の恋愛知識は創作物がベースで「今、来たとこ」も言いたかった台詞のひとつなのだろう。やっと口に出来た興奮からか満面の笑みを浮かべていた。

「ほんとほんと! あ、もう整理券取っておいたから、それまで他のところ回ってよ~」

「お、ありがとう。って、もうバリバリ早く来てんじゃん」

「え? うん。……あ、そっか。矛盾しちゃった。うーん、難しいね」

 静子は照れたようにはにかんでみせた。

 今日は、好きなキャラのコラボカフェに行きたいということで、とある商業施設にやってきたのだ。静子のくれた整理券を見ると順番待ちはだいたい一時間。ぐるっと一回りしていれば、それくらい経っていることだろう。

「あのね、なんか面白い雑貨売ってるとこあったから、そこ行こー!」

「いいね」

 そうして、連れたって歩く。傍から見れば、僕と静子は恋人同士にしか見えないだろう。そして、実際にそうだった。僕と静子は実際に付き合っていた。その関係のもとでこうしてデートを楽しんでいる。

 ──家で同棲している佐夜という子がありながら。

 冷静になって、客観的になって、自分を見つめれば見つめるほど、僕は最もスタンダードな浮気野郎でしかないだろう。ただ「私は不貞をしております」と私小説じみた断りだけで運べるほど、ことは単純ではなかった。

 今、デートしている内古閑静子は元恋人だ。それも、何人かいるうちのひとり。

 僕は、これまで付き合ってきた女の子たちと、何故か、同時に付き合っている時空でいつの頃からか生活しているのだ。

 僕はこの状態を頭の中で「恋愛歴が折りたたまれている」と表現していた。恋愛歴、という直線的な時間軸をたたみ、付き合っている期間を無理に重ねたようなイメージだ。どうしてこうなってしまったのか理由はわからないし、どの子とも関係は良好で生活は矛盾もなく続いている。僕はこの事態にどう収集をつけたらいいか、一体何が正解なのか検討もつかず、ただ流されるままに彼女たちと過ごす日々を生きていた。

「わー、大きい! すごーい!」

 順番が回ってきて、やっとこさ入店したカフェの席には、たぶん等身大の、イヌだかクマだか、その中間の特徴をまとったキャラの大きなぬいぐるみが座っていた。静子はそのお腹をばほばほと叩く。僕も便乗してばぼばぼと叩く。恐らくこのぬいぐるみはずっとそういう目に遭ってきたのだろう、毛先がぽさぽさになっていた。

 静子は高校生の時に付き合っていた子だ。お嬢様で、美少女で、性格は曇りなく明るくて、優しい、ということで、男女問わず人気の的だった彼女と、運良く僕は恋人同士となれたのだった。

 そんな彼女と向かい合わせに座って、何を頼もうかとあれこれ話し合っているのは、ある意味では幸せかも知れず、別れたという事実がある分、残酷であるのかも知れなかった。ただ、そんな判断に何の意味があるのだろう。何度でも言えるけど、いつの頃からか、こうだったのだ。何月何日、お付き合いをしましょう、同棲している彼女がいるけれどね──と宣言して始まったものではない。

 だから僕は自分が悪くないとでも思っているのか?

 思いたいのだろうな、と僕は他人事のように思いながら、頼んだ料理を待つ間、静子と恋人のように雑談を交わす。

 やがて、お待たせしました、と、店員さんがかわいいケーキを持ってきた。きゃーっ、かわいい! と静子は嬉しそうにはしゃいで写真を撮った。

「ああ~、ごめんねぇ……」

 それからニコニコ笑顔で、好きなキャラクターの顔面に入刀する静子は、相変わらず眩しいほどで、そんな彼女の好意を独占しているのだと思うだけで心が落ち着いた。浅はかであるには違いないけど、この生活を自分から打ち破る意味もなかったのだった。

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