第5話 ジャン負け
ドカッと壁を背にして路上で尻餅をつく。
内ポケットからタバコの箱を取り出し火がないことを思い出した。
更に追い討ちをかけるように、
「チッ……」
雨も降ってきやがった。
頬に当たる雨粒を拭うことはせず、俺はタバコを内ポケットに戻しため息を吐く。
前方には蓋のないマンホール。
これ以上犠牲者を出さないためか、三角コーンと黄色い棒が周りを囲んでいた。
★★★
あの後。
『これ以上あなたとは交渉しない』
ルシとの交渉は、ルシのこの発言によって半ば強引に頓挫された。
契約書の内容は絶対。
取り返したいなら賭けをしなければならない。
マンホールの蓋が全て無くなった後も、俺はあの手この手と交渉を続け賭け続けた。
子供たちにとって不要な資源を賭けた。
不要な土地の一部を賭けた。
俺の部屋を賭けた。
俺の知識の一部を賭けた。
賭けられる全てを使って、だが、イカサマをしている悪魔からは何もかも取り返すことはできなかった。
イカサマに関しても、それが何であるか暴かない限り認められない契約だった。
俺よりも上位の権能を持つルシのイカサマは俺がわかるはずがなく。
けれど子供たちを取り返すためには賭けをするしかなく。
俺はまんまとルシの罠に嵌り続けるしかなかった。
そして、賭けられるものを全て失った俺は、
『出て行きなさい』
交渉の余地なく。
抵抗虚しくルシの側近悪魔に追い出されたのだった。
★★★
「クソ……」
地面を軽く殴る。
ルシは今、俺の部屋に滞在し続けている。
交渉しにいった部屋は元々俺の部屋だった。
良い感じに陰湿で根暗な、あいつ好みの部屋にしやがって。
「クソ……」
また殴る。
どうせその部屋から俺の様子を見て嘲笑っているんだろう。
馬鹿で無能で勝手な地球の神を。
「ぎゃははははは」
そんな時。
横から馬鹿笑いする男たちの声が聞こえた。
タバコを吸い缶ビールを呑みながら横開きに4、5人で練り歩く柄の悪い若者たちだった。
俺には気付いていない。いや、見てないフリをしているのだろう。
浮浪者のような格好で隅っこで蹲っている俺は、彼らにとったらそこら辺のオブジェと変わらない。
「お! 見てみろよ」
若者のひとりが楽しげにマンホールを指差した。
それだけでゲラゲラと周囲も笑う。
「あぁ? あれだろ?」
「ここに立ったら消えるんだっけ?」
「ちげぇよ! マンホール塞いだら、だよ」
「ってか臭ェ! ドブみたいな臭いしやがる」
「あ! 良いこと考えた!」
一番陽気そうな男がそう叫んだ。
嫌な予感がする。
拳を握りしめて仲間たちに見せると、
「ジャン負けでマンホールに蓋しね?」
全員、大笑いする。
いいね、やろう、と己の愚かさを知らず。
ノリと流れで決定する。
――こっちの気も知らないで。
「やめときな、兄ちゃんら」
苛立ちを込めてそう忠告した。
これもただの気まぐれだ。
「あぁ?」
水を差された気分なんだろう。
嫌悪感を隠さない目つきで俺を見ていた。
「なんだてめぇ?」
「お前らは遊びのつもりかもしれねぇが、あれは本物だ」
マンホールを顎で指して若者たちに近づく。
「本当に消えちまう。行き先も地獄だ。
悪いことは言わねえから、そんなくだらない遊びは――」
「うるせぇな」
ドカッと腹を蹴られた。
衝撃で後ろに倒れてしまう。
その隙を彼らは見逃さない。
「偉そうに説教しやがって」
倒れた俺を囲み、大量の足で襲ってきた。
「何が『やめとけ』だ?」
痛くはない。腐っても未だ神。
子供たちの攻撃なんて痛くも痒くもない。
「ノリだよノリ! 空気読めよな。くそが」
抵抗しようとすればできるが、それもしない。
神の権能は子供たちにとったら脅威。
地球の神として彼らを怪我させるわけにはいかない。
「汚ねぇじじぃが余計な口出してんじゃねぇよ」
だから甘んじて攻撃を受け続ける。
「なんならお前が蓋をするか? まぁできねぇだろうがよ!」
できるならそうしたい。
消えていってしまった子たちを自らの手で迎えに行きたい。
「そんなにやめてほしいなら、オメェが解決しろよ!」
…………。
若者たちの強襲は数分間続き、
「はぁ……しらけちまった……」
「行こうぜ」
何も抵抗せず蹲るだけの俺に飽きたのか、若者たちはその場をあとにした。
よかった。
彼らが盗られることがなくて。
所詮ただの子供たちのじゃれあいだ。
だが俺はその場から動くことができなかった。
身体の痛みじゃない。
ダメージは重く、精神の方。
何もすることができない。
彼らと同じような安易な行動をしてしまった。
ノリと勢いで悪魔の誘いに乗ってしまった自分の愚かさを恥じ、
『オメェが解決しろ』
彼らの言葉が胸に突き刺さった。
「ふふ……はは……」
次第に込み上げてくる笑い。
自分への嘲笑だ。
それと同時に雨と共に伝う。
「クソ……クソ……」
雨が降っていてよかった。
こんなみっともない姿。子供たちには見せられない。
もうこんな神いなくなっても変わらない。
あぁ……これが。この精神状態が……。
ようやく。
子供たちが逃げ出したくなる気持ちがわかった。
地球をこんなにしてごめんよ。神が愚かだった。
「……おじさん?」
そう言う声と共に傘が真上にさされ、身体中に打たれた雨が遮られた。
以前出会った少年――セイタが俺を見ていた。