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連勝中の私が唯一勝てないもの  作者: 「」
三章 三年生
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雨の後

「神楽さん大丈夫ですかね」

「わからない」



 翌日の朝。

 先輩の問題に一段落つき、今度は彼女の事が心配になってきていた。

 キッチンに先輩が立ち、私はその手伝いをする。



「米は炊けてるから、いつでもおかゆ作れるけど。市ノ瀬、一旦見てきてくれないか」

「わかりました」



 彼の部屋で寝ている神楽さんの傍にたち、ぬるくなったシートを張り替える。

 起きる気配はない。

 熱も測ってみるが、どうやら薬が効いたようで微熱程度で済んでいる。

 荒かった呼吸もなく静かなものだ。

 学園祭は再来週だから、風邪なら間に合うだろうけど。

 そっちも心配だ。

 ゆっくりドアを閉じ、先輩の所にもどる。



「熱は少し下がっていますが、起きる気配はないです」

「そっか。作っておいて、いつでもレンチンできるようにしとくか」

「そうですね」

「僕が作っておくから、先に食べちゃって」



 私が神楽さんの様子を見ている間に、テーブルには朝食が並べてあった。



「いえ、待ちます」

「そう?」

「はい」



 小さな土鍋を取り出して、手早くおかゆを作り。

 テーブルに着く。



「「いただきます」」



 向かい合って食べることは普段からあったけれど、彼の家で彼の作る朝食は初めてだ。

 目玉焼きにサラダ、お味噌汁と白米。

 オーソドックな朝食。

 でも新鮮な気持ち。


 朝食の後、私は脱衣所で着替える。

 先輩に借りたぶかぶかのTシャツ一枚という格好。

 自宅での格好とほぼ一緒だけど、短パンを履かないだけで、正直すごく恥ずかしい。

 下着は替えがないので昨日のまま。

 泊まるなんて思っていなくて油断して、上下バラバラ。

 気付かれるわけもないので安心はしている。

 完全に昨日と同じ格好になって、脱衣所を出た。


 お昼を過ぎる頃には神楽さんも目が醒めた。

 着替えさせるために先輩にはリビングにいてもらっている。

 温め直したおかゆに薬と着替えを用意して、彼女の傍に座る。



「すまない、迷惑をかけた」

「いえ、それは先輩に」



 目覚めた神楽さんの声はガラガラで、凛とした声はなく、まるで老婆のようなしゃがれた声になっている。

 喋るのは辛そうというよりは、痛そうに感じた。



「そうだな、彼にも言わないとな」

「無理に喋らなくて大丈夫です。首だけで返事していただければ」



 素直に頷いて見せる。

 いくつか質問して、大丈夫そうなので私は部屋を後にした。

 日が沈み始める頃には、神楽さんがリビングに歩けるぐらいに回復したようで、二人で彼女の自宅まで送り届けた。

 明日には病院に行くということで、私たちは帰宅することになった。

 昨日から続く雨もあがり、秋の空気は冷たい。

 けれど心は穏やかで家路をゆっくりと進む。



「市ノ瀬、昨日今日とありがとう」

「いえ」

「なんかお礼しないとな」

「別にいいですよ」



 私にも実りがあった2日間だと思う。

 もうお礼なら貰っているような気持ちではあった。



「それじゃ僕の気がすまないからな」

「はぁ……では、考えときます」



 ※



 先輩は学園祭のためにシフトを減らしていて、急いで帰宅する必要もなく私は放課後、麗奈と談笑していた。

 麗奈はこのあと塾に行くことになっているため、ほんの僅かな時間だけ。

 彼女は見た目に反して成績が良く、私と同じく梅ヶ丘を受験予定らしい。



「じゃ、そろそろ行かなきゃ、また明日ね」

「うん、麗奈またね」



 校門まで一緒に歩いてそのまま別れた。

 家路をゆっくりと進んでいると、携帯が震える。

 こんなタイミングで誰だろうと確認すると、神楽さんだった。



「はい」

『市ノ瀬さん? すまない忙しかっただろうか』

「いえ」



 かすれた声。

 一瞬、本当に誰かわからなかったけれど、思い返すと先輩の家で聞いたことがあったもの。

 結構な日が経ったというのに戻っていないようだ。



「まだ声が?」

『そう、実はそのことで相談があるんだけど、駅前に来れるかな』

「はぁ、了解です。このまま向かいます」



 嫌な予感というものは、往々にして当たるもので、駅前で神楽さんに言われたことは『あたしの代わりにボーカルをやってくれないか』というものだった。

 場所をカラオケに移る。



「まだ声を出すのはつらそうですね」

「あぁ、扁桃腺が腫れていてな。喋るのもそうだが、飲み込むのも痛みがある」

「そうですか、チャットで話しますか?」

「いや、あたしがお願いする立場だ、直接言いたい」

「わかりました」



 ドリンクバーで飲み物を補充し、部屋に戻る。



「柊くんから聞いている、市ノ瀬さんは歌も上手いと」



 いつだったか、彼が好きな楽曲を聴いてハマっていた時期が私にはあった。

 今でも好きな曲ではある。

 家事をしている時に口ずさんで歌ってしまったのを一度聞かれた。

 たったそれだけ。



「あれは鼻歌のようなものですが」

「それでカラオケだよ」

「やっぱりですか。私はやると言ってませんが」

「まぁいいから、好きに歌ってくれ」



 言って神楽さんは私にデンモクを差し出す。

 急に渡されても何が歌えるのか思いつかない。

 最近、聞く楽曲誰かの影響で洋楽に偏っているからカラオケでは歌えるものが少ない。

 なんちゃって英語ならなんとか歌えるかもしれないけれど。

 まぁこれでいいか。

 と一曲適当に入れる。


 大体4分未満。

 歌い終わる。

 大声で叫ぶような歌。

 歌詞は単調な英語の羅列。

 同じ歌詞がループするので日本人の私でも歌いやすい。



「ふぅ」



 何も考えず、歌うというのは存外気持ちいいものだった。

 乾いた喉をメロンソーダの炭酸が刺激する。

 あれ?



「神楽さん?」



 呆けている。



「いや、済まない。上手いとは聞いていたけれど、予想以上に圧倒された」

「そうですか。好きに歌えと言われたので、その通りにしただけですが」

「市ノ瀬さんはダウナー系というか、静かに話すからこんな大きさで歌うのもびっくりした」



 それはそうかもしれない。

 自分でもボソボソと喋ってる時があるのは実感している。



「いい声をしていると思っていたけれど、やっぱりいいな」

「それはどうも」

「やはり、手伝ってくれないだろうか?」

「……」

「そうだね、君に理がないのもあれだ。一日柊くんを好きに出来る権利をあげるというのはどうだろうか」

「……なんですか、それ」

「学園祭の間、彼にずっと案内してもらうといい。出番がくるまでずっと」

「……わかりました」



 乗せられたようで癪だけれど、悪くない提案だと思った。

 存外私はちょろいのかもしれない。



「これが君の歌う物のリストだ。せっかくカラオケにいるのだから、少し練習していくといい」

「神楽さん、一つ聞きたいのですが」

「なんだろう」



 どうしてここまでするんですか?

 高校生の学園祭だ。

 リタイアしてもいいと思う。

 体調が悪いことはわかっている。

 だからこそ無理をする必要はないと。

 彼女は2年生だ、来年もある。



「そうだね、市ノ瀬さんには話しておこうか」



 神楽雅という女性には9つ離れた義理の兄がいて、梅ヶ丘の教師をしているらしい。

 彼女のが言っていた想い人というのは彼のことだそうだ。

 兄の影響で楽器を演奏するように。

 そして、今年その兄が結婚する。

 手向けと自分の想いに決別するために、この文化祭のバンド演奏にエントリーした。

 想いを知ってか知らずか、そんな彼もこの演奏を楽しみにしている。



「まぁ、無理やりに柊くんや山辺くんにも付き合ってもらっているからね」

「先輩たちは気付いているんですか?」

「柊くんはどうだろう、ただ山辺くんは気付いているよ。あたしと彼は幼馴染みだからね」

「そうだったんですか」

「このリストにも意味があって」



 1曲目は、観衆に向けての物。

 そもそも文化祭だ、楽しんでもらわねば意味はない。つかみとして、キャッチーな最近の邦楽。

 ただ2曲目以降は最近の高校生は知らないようなものばかり。

 神楽さんが初めて彼に教えてもらった曲だそうだ。

 3曲目に関しては初めて彼とセッションした曲。

 思い出のつまった物ばかり。

 そして最後になってまた、邦楽なのだけれど。



「これ卒業式によく流れる曲じゃないですか?」

「そのイメージが強いだろうね。でもこの曲自体は友人の結婚のために送られた曲だそうだよ」



 そう言えば最近、先輩はアコギを借りてきたと言って、部屋に置いていたの思い出していた。

 あれ以来、たまに先輩の家に遊びに行っている。

 リハビリと称して。


 彼女の気持ちを聞いて、不純な想いだけで手伝うことはやめて、正式に手伝うことを決めた。

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