案外たいしたことない
親に連絡を入れ終え、リビングに戻る。
先輩の背中は小さくみえて抱きしめたくなるが、ぐっと堪える。
「先輩さえよければ何か温かいものでも淹れましょうか?」
「あ、ごめん。客なのに」
「気にしないでください。というか、気を使わないでください」
「……わかった」
「冷蔵庫、失礼しますね」
先輩のことだから、しっかりと冷蔵庫にコーヒー豆が保存されている。
ミルは手動ではなく自動。
二人分のコーヒー豆を入れてスイッチを押す。
見た感じ紅茶の類はなかったけれど、幸いにも牛乳も冷蔵庫にあったので私も飲めそうだ。
夕飯のことも考え、更に注意深く冷蔵庫の中を確認する。
しっかりと自炊しているようで、様々食材がバランスよく置いてあって安心。
神楽さんにはうどんかおかゆ。
私たちはどうしよう。
先輩の食欲次第では私達も同じものになりそう。
ケトルのスイッチの光が消え、ステンレス製のコーヒードリップに移し替える。
あとはいつも通り手順でコーヒーを淹れると彼のもとに戻る。
「自分から話そうって言ったけど、何を言って良いのか……」
「辛いなら無理に話さなくても」
「いや、せっかくの機会だと思ってる」
「そう、ですか」
まるで告白するように、真剣に私の目をみる。
「話したいことが見つからないのであれば、私が質問していきます。それに答える形ならどうでしょう」
「うん、わかった」
私の心をなぞる。
自分の思ったことを口に出して質問にする。
「神楽さんのことがあったとはいえ、どうして今日、私達を家に入れてくれたのですか」
断ることも出来た。
少しお金が掛かるがタクシーも呼べたはずだ。
あそこには神楽さんを除いて3人いた。
そのことを先輩に伝える。
「考えもしなかった。考える余裕もなかったのかもしれないけど、自分勝手な考えて神楽先輩をそのままにするわけに行かないって思ってただけだから」
「自分のこと心配はしなかったんですか」
「いや、うん。市ノ瀬いるし大丈夫かなって」
「私が先輩の状況把握してなかったら、どうしてたんですか」
少し怒る。
いくら先輩が他人を優先するお人好しだとして、私を信頼していたとしても、彼が辛いことにはかわりない。
今だって手は固く握っていて、顔もうっすら青い。
「春人さんと話したのは中学の頃だったから、もう知ってるとしか思ってなかった。市ノ瀬も踏みとどまってくれてたし」
「はぁ……」
私はため息をついて頭を抱える。
あの父親は本当に何しているのか、わけがわからない。
「それで今はどうですか?」
「どうって?」
「私たちを家に入れてみて、やっぱりつらいですか?」
「思っていたほどじゃないかな。知らない女の人ならわかんないけど」
「そうですか」
父さんに聞いた話ではもっと症状が重いようだったけれど、確かに軽症のように見える。
「先輩はどうして、そこまで怯えていたんですか。」
「子供の頃は僕が家庭を壊したんだと思っていたんだよね。でも、今こうやって冷静になって話してると、壊したのは母親で、最初から家庭なんてなかったのかもしれないなって」
「それはそれで悲しいことですけどね」
「そうだね」
他人事のように言う。
吹っ切れたと思って良いのだろうか。
先輩の顔に赤みが戻っているように感じる。
「市ノ瀬と居るとやっぱり落ち着くな」
「な、なんですか急に」
「市ノ瀬好きなんだよね」
「……へぇ?」
呼吸が止まる。
心臓が。
景色が。
「あの家にいると安心するし、あの親たちも面白いし、見てるだけで楽しい。本当にいい家族だなって」
「あ、あぁ……そういうことですか」
市ノ瀬イコール私ではなく、市ノ瀬イコール家族ということ。
それならちゃんと市ノ瀬家と言ってほしい。
「市ノ瀬、顔めっちゃ赤いけど」
「……誰のせいですか。ほんっと最低っ」
先輩を軽く小突く。
「そういうことか、ごめん。市ノ瀬家って言いづらくて纏めてしまった」
「市ノ瀬一家という言い方もありますよ。先輩、最新の現代文点数いくつですか」
「99点」
「……ふっ」
「鼻で笑うなよ、どうせ市ノ瀬は満点だろ」
「はい、そうですが」
「その態度のせいで負けた気に、いや点数そのものが負けてるんだけど」
「ふふっ」
やりとりが普通で、いつも通りで、笑ってしまう。
「今度はなにさぁ」
先輩がジト目で睨んでくる。
「いえ、いつもの先輩だなって」
「……そう、かもな。ありがとう市ノ瀬」
「はい」
私は微笑んで見せる。




