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連勝中の私が唯一勝てないもの  作者: 「」
三章 三年生
30/38

8月31日

「……暑い」



 クーラーの効いた部屋。

 なぜかいつもより暑い。

 うっすらと意識が回復していく。

 まだ少し、このまま眠っていたい欲望もあるけれど、朝ごはんの準備がある。


 起き上がろうと身体に力を込める。

 けれど、何かが蔦のように巻き付いていて上手く、上体を起こせない。

 もう一度力を込めると、声が漏れる。



「んっ」



 私の声ではない。

 それで思い出す。



「先輩。起きてください」



 眠っているのに力強くて、本当に動けない。

 完全に私は抱きまくら。

 ちょうど腕枕のような形になっているため、下からもしっかりとホールドされている。

 反対側はややスペースがあるものの、体重を掛けられていて抱きしめられている。尚且つ脚も同様で八方塞がり。

 



「どうしよう」



 起きる気配もまったくない。

 首は動かせるので何度も頭突きをお見舞いしている。

 いつかは、と想像していたものの、想像とは全然違う状況にただ困惑。

 気持ち良さそうに眠っている顔が憎たらしい。

 最初の5分間ぐらいは喜んでいたものの、身動き出来ない辛さは時間を増すことに辛くなっていく。


 とても静かだ。

 壁掛時計の音。

 私の心臓の音。

 先輩の呼吸。

 階段を登る音。


 ……?



 ドアを静かに叩くと、母の顔が。



「……おはようございまー、した」

「待って」



 引っ込む母に制止を掛ける。



「娘が大人になった朝を見る母の気持ちも考えて」

「よく見て」



 なんなら助けて欲しい。



「見なきゃいけないの?」

「なんで母さん嬉しそうなの」

「もうすぐお婆ちゃんになると思うと感慨深くて」



 何を言っているんだこの母親は。

 頭、お花畑すぎる。



「それに母さんが私の部屋に避妊具置いていってるの知ってるからね」



 先輩が初めて泊まった日に、机の上に見慣れない箱が置いてあり、確認すると避妊具だったため、びっくりして投げ捨てたことがあった。

 今では机の引き出しに仕舞ってある。



「えへっ」

「……」

「そんな怖い顔しないでよ、夏菜。大事だよ」

「わかるけど」



 男子高校生を間に挟みながら姦しいやりとりの応酬。

 ほぼ猥談になっているのが残念でしかたない。

 そんなこんなで言い合っていると、先輩の目が震えていた。

 覚醒のときが近い。

 私が黙って先輩を見つめた事で母は察して、ドアを閉めた。

 階段を降りていく音。



「……はぁ」



 本当に茶化すだけ茶化して去っていった。


 私の首の下にある腕が上手く動かないようで、呻く声が聞こえる。

 頭を上げるとするりと抜けていく。

 抱きしめていた手は、私の顔の隣に突き刺すように、立ち上がるつもりなのだろう。その腕にぐっと力が入るのを感じた。

 目の前の整った顔がくる。

 とろんっとした眠そうな目。

 睫毛が長い。

 吐息からはミントの香り。


 ここにきてようやく目が合う。



「おはようございます、先輩」

「……っ」



 金魚が餌を貰うように口をパクパクと。

 まだ眠そうな目は見開く。



「わ、ちょ。わ……、たったっ」



 バランスを崩し、でも私のほうに倒れないように配慮する。

 ごっ、という鈍い音。



「なっ、、、べぇ~……」

「わたなべ? 誰ですかそれ」



 最後の『べぇ~』は、きっと『いてぇ~』と言っているのだけど、『べぇ~』にしか聞こえなかった。

 ようやく束縛されていた身体自由になる。

 凝り固まっていた身体をもみほぐし、先輩と対面する。



「そんなこと言ってないから」

「それより、先輩。大丈夫ですか? 壁に穴あいてません」

「僕の心配は……」

「いえ、先輩なら大丈夫だろうと信頼しているので」

「やっすい信頼だな……」



 打った頭を撫でながら、悪態をつく。



「夜は怯えてて可愛かったのに……」



 ……っ。

 耳が熱い。

 ズルい反撃を食らった。



「もういいから、出ていってください。着替えます」



 ※



 午後になり母さんが買い物に出掛けて、今は二人。

 先輩も動きたくないのか、私と同じようにリビングのソファでどろどろに溶けている。



「夏休みも終わりだなぁー」

「そうですね」

「休み明けも暑いんだろうなぁ」

「そうでしょうね」

「学園祭も近いなぁ」

「そうなんですね」

「受験生だけど、うちの学園祭くる?」

「行きます」

「三段活用でおわりかぁ」

「そうでしょうか」

「……あるんだ」



 何も考えず、先輩の話しに相槌をうつ。

 夏休みの最終日がこんなんでいいのだろうかと疑問に思う。

 何もない日常が幸せと誰もが言う。

 気怠い午後の一時。

 確かに至福だと思う。



「コーヒー作って良い?」

「どうぞ」

「市ノ瀬は?」



 私も何か飲みたいと感じていたところだ。



「ミルクとシュガー2本でお願いします」

「あいよ」



 先輩はソファから名残惜しそうに降りて、とぼとぼとキッチンへ。

 彼が外れたことにより広くなったソファに横になる。

 ちょっと温い。

 コーヒーミルの小気味いい音が鳴り響く。

 静かになると、コーヒーの酸味のきいた芳醇な香りが私のもとまで漂ってくる。

 味は苦くて無理だけど、香りは好き。



「おまたせ」

「ありがとうございます」



 起き上がると背中越しに声が掛かる。

 何もせずに冷房に効いた部屋でじっとしていると身体が冷えてきたのでホットコーヒーは丁度いい。

 今日の先輩はなにかとタイミングが良い。



「市ノ瀬って高校どうするの? そろそろ進路相談の時期でしょ」

「梅ヶ丘志望ですよ」

「うちの高校くるんだ」

「はい」

「来年は同じ学校か、よろしくな」

「言うの早くないですか」

「志望校変えない限り、絶対一緒になるだろ」

「まぁ、そうですけど」

「来年はもっと楽しくなりそうだなぁー」



 私が入学することに、先輩は本当に嬉しそうに笑う。

 純粋な笑顔。

 裏も表もない。

 ただただ喜ぶ。



「先輩、子供ですね」

「市ノ瀬だって少し嬉しそうじゃん」

「そうやって見透かしてくるところ嫌いです」


 

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― 新着の感想 ―
[一言] 改めて、短編読み直したけどこちらの連載が卒業まで完結したら、短編後の連載が読みたいですね!
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