鑑賞会
忙しなく歩きまわる先輩の姿。
手には銀色のトレー。
父さんが料理を作り、私がドリンクを作り、先輩が運ぶ。
8月30日。
夏休みの最終日の1日前。
私は手伝いに追われていた。
夕方の5時から8時まで休み暇もなく、ようやく客足が途絶えたころにはもう閉店時間になっていた。
夏休みになってから、先輩が午後のシフトに入っている時はいつもこんな感じだ。
「「ありがとうございました~」」
最後のお客様を送り出し、ようやく本日の業務が終わる。
先輩はすぐにテーブルを片付け、掃除道具を取りに向かう。
私は看板を下げるだけで、あとは先輩を待つだけなので先に着替えを済ませた。
さぼっているわけではない。
掃除道具が一つしかないだけ。
トイレ掃除は父さんがやればいい。
その父親はレジ閉めをした後にも仕事が残っており、明日の朝の仕込みがあるため、帰宅するにはもうすこし掛かる。
30分ほどスタッフルームで休憩していると、先輩が疲れた顔で入ってきた。
タイムカードを切り、着替え始める。
「出てましょうか?」
「大丈夫だよ。僕、男だし」
「女性だったらびっくりしますけど」
シャツとエプロンは支給されているものだけど、パンツは自前の物で上だけ着替えれば済む。
中にはTシャツも着ているので裸にもならない。
私の場合、中には下着オンリー。
だから先輩もそうなのかなって思っただけだ。
「先輩、今日の帰りコンビニに寄ってもいいですか?」
「うん」
午後のシフトに入った際は、帰りが遅くなるので自然と家まで先輩は送ってくれる。
何も言わずとも今日もそのようだ。
二人で父さんに挨拶を交わしてお店を出た。
お店と私の家のちょうど中間にあるコンビニ。
こんな夜遅くにコンビニ来ることはあまりなく、少しわくわくする。
先輩が外で待ってくれているけれど、最近お気に入りのグミなどお菓子類や、普段は買わないジュースなどを買い込んだ。
「お待たせしました」
先輩は返事をするわけでもなく、私のエコバッグを受け取る。
先に歩き始めた先輩に小走りで近づき、並んで歩く。
「ありがとうございます」
『ん』とだけの返事。
暗い家路をゆっくりと歩く。
「先輩、今日泊まっていきませんか?」
「泊まりかぁ」
右上を見ながら考える彼の姿を眺めて、これは押せば頷くタイプのものだと判断する。
断る場合は大抵即答。
たまに迷って断ることもあるけれど、最近は私の押しにより拒否することが少ない。
矢継ぎ早に、先輩を別の方向へと誘う。
「今年はあまり夏っぽいことしなかったんで、ホラー映画でも見ませんか」
「いいかもなぁ。納涼ホラー映画ってのも初めてかも」
「コンビニで色々買いましたし」
一瞬、私の顔を見やると手元にあるお菓子たちに視線を移す。
「最初からそのつもりだっただろ。僕が断ったらこれどうするつもりだったんだ、これ」
「断るんですか?」
「断らないけど」
「知ってます」
「なんでだよ」
私は満足して頷く。
先輩も楽しそうに笑ってくれてる。
帰宅すると、母が出迎えてくれてお風呂が沸いていることを知らせてくれた。
私は長風呂なので先輩に先に入ってもらい、彼が上がってから私はゆっくり湯船に浸かる。
自分の部屋で映画を見るつもりなので、いつもより丁寧に洗う。
真夏のお風呂上がり。
いつもはTシャツに下着という格好だけど、流石にそういうわけには行かない。
といっても短パンを追加するだけ。
見えちゃいけないところが見えなければいい。
長風呂に続き、ドライアーで髪を乾かすので先輩をかなり待たせることになる。
ただ、先輩も待たされることには慣れているようで、私の部屋でベッドを背もたれにしながら胡座をかいていた。
スマホにイヤホンを差しているようで集中してなにかを見ている。
手には特殊な譜面。
ベッドに上がって、先輩のスマホの画面を覗く。
先輩にしては珍しく邦楽。
それもかなりメジャーに楽曲。
あぁ、文化祭か。
邪魔するのも悪い気がしてくるけれど、このまま構ってもらえないのも癪。
右耳のイヤホンそっと外す。
「せんぱい」
わざとらしく甘い声。
あ、これはやりすぎたかもしれないと心配になる。
彼のトラウマを刺激しなければいいけど。
やってから後悔。
「あーっ、びっくりした。市ノ瀬か」
顔色も普通だし、私を半目で睨みつけてくる。
いつもの先輩。
……よかった。
最近調子に乗りすぎたかもしれない。
でも、気づいたことがある。
自宅に女性っていうのがトリガーなだけで、他の場所なら平気なのだろうと。
思い返せば、学校でも私は先輩に少なからずアプローチはとってきていた。
先輩の体育祭なんかがもっともいい例だ。
「なんだと思ったんですか」
「いやぁ、まぁ、市ノ瀬以外に考えられないんだけど」
「先輩、集中すると周りみえないですよね」
「そうかも」
先輩が譜面を片付けると同時に私はノートパソコンを立ち上げる。
OSのロゴが表示され、しばらくしてデスクトップ画面が映る。
「邦画と洋画どちらがいいですか」
タッチパッドで操作しながら先輩に判断を委ねる。
「夏のホラーっていうと邦画なイメージ」
「そうですね」
なんとなく先輩と映画を見ようと思っていただけで、タイトルなどは一切決めていない。
彼となら成り行き任せでも、ちゃんと決まりそうだったから。
「あ、これ僕みたことないかも」
先輩が差したものを素直に開く。
私は所謂ジャパニーズホラー映画を見て育たなかったため、知識がない。
有名所であるテレビから女性が出てくる物もみたことがなかった。
そのため先輩が選んでくれて助かる。
「雰囲気出すために、明かりを消しますね」
買ってきたお菓子や飲み物を広げてから、手元にあるリモコンで証明を落とす。
光源はパソコンのモニターだけになる
※
「……先輩、どこに行くんですか?」
「客間だけど」
映画が終わり、いつもの様子でゴミを片付ける先輩。
そのまま部屋を出ていこうとする。
「なんでですか」
「映画終わったから」
「……」
「じゃ、そういう事で」
再び立ち上がろうとする先輩の腕を掴む。
「映画が終わったら感想会するものです」
「ホラー映画の感想なんて、怖かったか、怖くなかったかしかないんだけど」
「誰々の演技が良かったとかもありますよね」
「アイドルが演じて棒読みとかじゃない限り、僕そこまで気にしないんだけど」
それは私もだ。
棒読みだと演技が気になって、内容が頭に入ってこない。
なんとか先輩を部屋に留めようと画策する。
「明日、夏休み最終日です。今日が夜更かし出来る最後の日ですよ。もっと映画について話し合う必要があると思うんです」
「そ、そう?」
気圧されるように先輩は仰け反り、そのまま私の隣に座ってもらう。
「今回、比較的新しい邦画のホラーですが、日本のホラーといえば一杯あるじゃないですか」
「まぁ色々あるね。ってか、市ノ瀬めちゃめちゃ今日喋るじゃん」
「そうですか? いつもこんな感じでは? 先輩の気の所為ですよ」
「そんなにホラー映画が好きなら、もう一本見る? それこそ夜更かししても怒られないし」
「いえ、結構です」
「……あはは」
先輩は困った顔で笑っている。
バレている。けれど認めたくない。
私だってこんなにホラーが苦手だとは思わなかった。
家族で洋画ホラーは、テレビでやっているのを見たことなら何度もあった。
けれど、海外のものは怖いというよりビックリするという表現が正しく。
そんな気持ちで邦画を鑑賞すると後悔する。
いや、した。
背筋が凍るような、後味を引くような怖さと、リアルさがある。
「正直、身体いい感じに疲れてて結構眠い」
「そう言わずに」
「もう一緒に寝る?」
欠伸をしながら、先輩はそう提案してくる。
私も一瞬迷う。
年頃の女の子になにも考えずに提案してくるあたり、意識されていないのがわかって複雑だけれど。それならばそれを利用しない手はない。
「先輩がどうしてもというのなら」
ちっぽけなプライド。
私がお願いしているわけではないですよ、的なアピール。
「じゃ、どうしても」
とっても投げやり。
私を見てすらいない、想い人は布団のようだ。
「……はい。どうぞ」
ベッドに先輩が入り、私も続く。
壁際ぎりぎりまで寄ってくれるが、狭い。
ほのかにシャンプーの香り。
私と同じものを使っているけれど、同じニオイとは思えない。
本当に眠かったようで、すぐに先輩の寝息が聞こえる。
先輩の背中をつついても反応がない。
その背中に顔をこすりつける。
心臓の音が聞こえる。
一定のリズムが心地よく、怖さは霧散し、安心感に包まれる。