ドロテア
※本作は『オニタイジ・システム』の続編です。繋がりは薄く、未読でもお楽しみいただけますが、お時間がございましたらそちらもぜひお読みいただけますと幸いです。
栗原紬は火葬場に居た。彼女が見つめているのは、火葬炉に入っていく母親の棺である。
まだ十二歳の彼女は、涙一つ流していない。母親が死んだという実感が湧かないのだ。
周りからはすすり泣く声がする。紬が目を向けると、母方の祖父母や、母親の友人たちが泣いていた。横に居る紬の父親も、静かに泣いていた。
紬がさらに目を向けると、一際目立つ参列者を発見する。その参列者は女性で、白濁の肌をもち、その肌の奥から黄色い光が光っている、オールバックの髪型をした何者か。シルエットこそ人間のようだが、明らかに異質である。
そして、彼女もまた、泣いていた。
――次の瞬間、紬の目には見知った天井が映る。彼女は家のベッドの上で寝ていた。
「変な夢……」
◇
母親の死から五年の月日が経ち、紬は十七歳になっていた。仏壇の前に立ち、そこに置かれた母親の遺影を彼女は見つめている。母親が火葬炉に入っていった時と同じように。
二階から下りてきた紬の父が、彼女の居る居間のドアを開ける。
「紬、明日お母さんのお墓参りに行こうと思ってるんだけど、紬はどうする?」
「……行かない」
「そうか。まあ、気が向いたらでいいからな」
紬は足元に置かれたリュックを背負うと、父親に一言告げる。
「私ちょっと、駄菓子屋行ってくる」
「わかった。気をつけて」
「うん、いってきます」
「いってらっしゃい」
家を出て、住宅街を抜け、紬は自身の通う高校の通学路を歩いた。彼女が目指す駄菓子屋というのが、高校からそう離れていない場所にあるためである。
今日は土曜日――休日だ。いつもより人通りが多い。
紬は何となく、自分と同じ短いポニーテールの髪型をした人が居ないか、挙動不審にならない程度に探してみた。だが、五分ほど探しても誰一人として見つからない。彼女は仕方なく諦めて、人通りの少ない路地へと入っていった。
紬は路地で、リードの付けられたミニチュアダックスフントの犬を見る。飼い主が不在のようだ。辺りに彼女以外の人影は見当たらず、彼女は心配に思って、犬を捕まえてみることにした。
しかし、彼女が少し近づいた途端に、犬はどこかへ走り去ってしまった。とにかく、彼女は犬を追うことに決める。
犬を目で捉えながら、紬は人気のない公園の奥に走っていく。すると、前方の犬が急ブレーキをかけて止まり、何かに向かって吠え出した。彼女はすぐに犬に追い付き、犬の視線の先を見上げる。なんと、そこに居たのは――。
「怪獣……!?」
太い尻尾をもつ二足歩行の怪獣と、紬は目が合った。怪獣の背丈は、公園に生える木より少しだけ低い。
怪獣は空間を裂くような声で、犬に吠え返した。迫力は桁違いだ。
紬は咄嗟に犬のリードを掴んで、犬を怪獣から遠ざける。
その時、紬の前に、怪獣にパンチする黄色い光が現れた。女性の姿をした巨人だ。怪獣よりやや小さい。身長は五メートルほどだろうか。紬はその巨人に見覚えがあった。
「確か、夢に出てきた……」
紬は犬を木の裏に隠して、巨人と怪獣の戦いを見守る。どうやら、巨人は苦戦しているようだ。
程なくして、怪獣の尻尾に薙ぎ払われた巨人は、その巨躯とは裏腹に軽々と吹っ飛ばされた。巨人は紬の目の前に墜落する。
「あなたは、いったい……?」
紬は巨人に話しかけてみた。巨人はふらつきつつも、片膝を立てた体勢に直して答えてくれる。
「私は夢の魔神――ドロテア。あなたと一体化することで、私は強くなれる。……頼んでもいい?」
突飛なその言葉に、紬は興味が湧いた。
「私でよければ」
紬の返事を合図に、ドロテアは立ち上がった。そして、紬は黄色い光となって、ドロテアの身体に取り込まれる。
「一体化した……」
「じゃあ、戦うわよ」
ドロテアが振り返ると、怪獣は咆哮しながら彼女に向かって突進してきた。
「えっ、どうすればいいの!?」
焦る紬に、ドロテアは言う。
「私と心を通わせて」
「わかった。やってみる」
ドロテアは怪獣の頭を右手で受け止め、もう片方の手で喉元にチョップを入れる。
後ずさったものの、再び突進してくる怪獣。ドロテアは怪獣の頭を交差させた両腕で受け止めてから、その頭に回し蹴りを三発入れた。
続けざまに、ドロテアは怪獣を持ち上げて地面に落とす。
「今よ! 眉間に意識を集中させて」
「眉間ね? わかった」
ドロテアは、怪獣から一歩引き、眉間から黄色い怪光線を放つ。怪光線は怪獣の硬い皮膚を貫いて心臓を破壊。怪獣は爆発した。爆炎を受けて、木々が揺れる。
怪獣の死体は黄色い光に包まれ、消滅した。
「消えた……。今の、ドロテアがやったの?」
「ええ、怪獣の死体を回収してくれる場所があって、そこに飛ばしたの」
ドロテアは紬の姿に変身する。
「一緒に戦ってくれてありがとう」
ドロテアは紬の頭の中で、彼女に話しかけた。
「ねえドロテア。まだ私たち、一緒にいられる?」
「いいの? 怪獣がまた襲ってくるけど……」
「そのときはまた一緒に戦おう」
紬は木の裏に隠していた犬を見つけて、撫でる。
「そういえば、自己紹介がまだだったね。私は栗原紬。高校二年生の十七歳。よろしくね、ドロテア」
「……ええ、よろしく」
◇
犬の飼い主を捜すため、犬を連れて交番まで歩くことにした紬。その道中で、紬はドロテアに話しかける。
「ねえドロテア。三ヶ月くらい前に、鬼を作ってた怪物の正体が赤い巨人だったっていうニュースがあったけど、ドロテアってもしかしてその巨人の仲間? あなたが何者なのか知りたい」
ドロテアは紬の問いに回答する。
「そうね、その巨人――ヴィクターと私は、同じ魔神っていう生き物よ。ヴィクターは義憤の魔神。災害を発生させる力をもってた。私は夢の魔神。すべての人々の夢の中に、遍在する力をもってるの」
「そっか、だから私の夢に、ドロテアが……」
「どんな夢?」
「五年前の私の記憶に、そっくりな夢」
紬は今朝に見た夢を話す。
「私のお母さんね、五年前に突然死んじゃったの。家の前で血を吐いて倒れてた。私が見た夢は、お母さんのお葬式の夢。その夢の中で、人間サイズのドロテアがお葬式に参列してて。変な夢って思ったけど、ドロテアの力なら納得」
紬は伏し目になって、少し力のない声でこう続ける。
「私、未だにお母さんのお墓参り、行けてないんだ。今でも受け入れられなくて……」
「紬、私――」
「スカイ!」
そう叫んだ若い男性が、前方から紬に駆け寄ってきた。スカイとは、おそらくこの犬の名前だろう。
「この子の飼い主さんですか?」
「はい! 見つけてくださってありがとうございます……!」
「これからは気をつけてくださいね」と言いながら、紬は犬を飼い主の男性に返した。
飼い主の男性の、「はい! 気をつけます!」という返事を聞いて、紬は彼と別れ、彼と反対方向へ歩く。
「ドロテア、さっき何か言いかけてた?」
「ううん、何でもない」
◇
紬は目的地であった駄菓子屋に到着した。とはいえ、駄菓子に用はない。彼女が欲しかったのはカプセルトイだ。彼女は、駄菓子屋の店頭に設置されたカプセルトイの自動販売機に硬貨を入れ、レバーを回す。
「紬、これは?」
自動販売機の中からカプセルが出てきた。取り出し口に手を入れて、紬はカプセルを取り出す。
「私が好きなキャラクターのキーホルダーが入ってるの」
紬はカプセルを捻って開け、内容を確かめた。
「やった! いきなり大本命!」
「中身はランダムなの?」
「そう、運がものをいうから、ついてないときはとことんついてなかったりする」
するとそこへ、一人の中年男性が現れる。綺麗なスーツを身にまとう長身の彼と、紬は目が合った。彼は紬に話しかけてくる。
「こんにちは、お一人ですか?」
本当はドロテアもいるが、「はい、一人です」と答える紬。
駄菓子屋のほうを見ながら、男性は言う。
「駄菓子屋は、ときどき来たくなる場所ですね。子どもたちで賑わっているのは微笑ましいですし、何より、ここにしかない趣がありますから」
「わかります。良いですよね、駄菓子屋」
男性は話題を変える。
「申し遅れました。私は桜庭健一と申します。今日はあなたに、こちらをお渡しするために参りました」
健一と名乗った彼は、スーツの内ポケットから一冊の日記帳を取り出した。紬はそれを両手で受け取る。
「日記帳ですか?」
「ええ、あなたのお母さんがつけていた、日記帳です」
「えっ……?」
紬は早速、日記帳を開いて読んだ。これは確かに、紬の母親が書いた日記のようだった。そして――。
「お母さん、ドロテアと一緒に戦ってたの……? ドロテア、どういうこと?」
「……ごめんなさい紬。五年前、あなたの母親と私は一体化していたの。でも、怪獣との戦いで、彼女は……」
健一は言う。
「やはりそこにいらっしゃるのですね、ドロテア。さあ、私と戦いましょう」
駄菓子屋のすぐそばで健一は、煙が立ち上るように怪獣に変身した。頭部はアゲハ蝶の幼虫に似ている。
「ドロテア、何で今まで隠してたの?」
「今日のうちに話すつもりで――」
「だったら会った時に話してよ!」
紬はそう感情をぶつけた。
「ごめんなさい紬。でも、今は変身しないと、怪獣が……」
「……わかった。あとで話そう」
紬はドロテアに変身する。
怪獣に向かって踏み込むドロテア。彼女は怪獣にパンチやチョップを決めた。
続けて彼女は、怪獣の脇腹目がけて回し蹴りをする。しかし、それは命中しなかった。彼女の脚が怪獣に掴まれてしまったのだ。さらに彼女は軸足を蹴られてバランスを崩し、地面に倒れ込む。
ドロテアは立ち上がろうとするが、すぐさま怪獣に蹴りでやめさせられた。彼女は、怪獣が自分に馬乗りになることを許してしまい、頭に重いパンチを食らう。それは一定の間隔で何度も続き、ダメージは紬にも伝わった。
ダメージの累積によって、ドロテアはその姿を維持できなくなり、紬の姿に戻る。
紬は怪獣と目が合った。攻撃をせずに彼女を見下ろす怪獣は言う。
「あなた方はここで屈しては――」
怪獣の言葉の途中で、紬の意識は途絶えた。
◇
――彼女は、自分が作った血溜まりを見つめていた。
「ドロテア、私……あなたと出会えて良かった」
◇
目が覚めると、紬は暗い部屋の真ん中で、木製の椅子に縛りつけられていた。
「おや、目が覚めましたか」
正面の椅子に座っていた健一は、どうやら読書をしていたようだった。彼はその本を閉じて左手に持ち、椅子から腰を上げる。
「私の尖兵が殺されたのは残念でしたが、親子共々私の手で葬ることができるのは、愉快で仕方がありませんね」
健一は本を椅子の上に置くと、スーツの右ポケットからマッチを取り出した。彼はマッチをすって着火させ、窓際の床に放る。火はカーテンに引火。暗かった部屋に明かりが灯った。
「紬さんは、ドロテアと心を通わせることができなくなりました。たとえ変身しても、もうドロテアは強くありません。ではお二人とも、さようなら」
本を手に取った健一は、奥のドアから去っていった。
「紬、ごめん。あなたも助けられない」
「……ううん、こっちこそごめん」
謝り返した紬は、視界の端で炎が踊っていながらも、落ち着いた声で話す。
「私、思ったんだ。ドロテアと私は、お母さんが出会わせてくれたんじゃないかって。あいつを倒してほしいとまでは思ってないかもしれないけど、これは私の意志。あいつを倒そう、ドロテア。私はもう一度、あなたと一緒に戦いたい」
ドロテアは心底嬉しそうに返す。
「ありがとう」
紬の姿はドロテアに変身し、巨大化。部屋を突き破る。
そこは小さな水田の見える、木々に囲まれた場所だった。足元にはドロテアが出てきた部屋――プレハブ小屋を囲うように、砂利が広く敷きつめられている。辺りは暗くなっており、街灯などは無く、そこにある明かりはプレハブ小屋の炎と、黄色に眩しく光るドロテアくらいであった。
ただ、遠くからは車の行き交う音がする。街からはそう遠くないだろう。
水田の近くで怪獣が出現。健一が変身した怪獣だ。
すると、怪獣の顔面はキャノン砲に変形し、砲弾を発射。それは放物線を描いて、ドロテアに飛んでくる。
ドロテアは砲弾を避けた。砲弾に吹き飛ばされた砂利や土が、ドロテアの眼前に舞い上がる。
「いくよ、紬」
「うん、ドロテア」
ドロテアは走って砂利の敷きつめられている場所を抜け、怪獣との距離を詰めていく。
怪獣が放った二発目の砲弾も避けつつ、彼女は水田の手前――怪獣の目の前に辿り着いた。怪獣の顔面から生えているキャノン砲を鷲掴みにして、ドロテアは怪獣の脇腹に蹴りを三発連続で入れる。
対する怪獣はキャノン砲を引っ込めて、頭を元の形に戻した。かと思えば、怪獣はドロテアの両肩を掴んで、彼女の額に頭突きを加える。
ドロテアは怪獣の腕を振りほどいて距離をとった。
「ドロテア、あれを使ってみない?」
ドロテアは紬のその提案を、「あれね。わかったわ」と受け入れる。
怪獣が突進してきた。ドロテアは怪獣を、砂利のある場所まで引き付けて受け止め、背負い投げを決める。
怪獣が投げ飛ばされた先に待っていたのは、燃え盛るプレハブ小屋。怪獣はそこに落とされ、火が全身に燃え移る。
もがき苦しむ怪獣を前にして、ドロテアは眉間から黄色い怪光線を放つ。その怪光線に貫かれた怪獣は、たちまち爆発四散した。
「勝った……」
紬がそう呟くと、そこへ桃色に光る女性の巨人が現れる。
「魔神?」
紬がドロテアの視界を通して見た、その魔神らしき巨人は言う。
「私は母の魔神――クリスタル・ジン。ドロテアを迎えに来ました」
「紬、もうお別れみたい」
黄色い光とともに一体化が解かれる。紬はドロテアの顔を見上げた。
「もう会えないの?」
「私は夢の魔神。あなたの夢の中にもいる。だから、また会えるわ」
翌日、紬は父親と共に、母親の墓参りに行った。